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2021/12/15

萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 散文詩 遊泳 / 致命的に不全

 

    遊  泳

 

白日のもと、わが肉體は遊樂し、沒落し、浮びかつ浪を切る。

 

けふわが生くるは、わが遊戲をして、光り、かつ眞實あらしめんためなり。

わが輝やく城の肢體をしてみがき、したしく魚らと淫樂せしめてよ。

 

 奇蹟金銀

 祈禱晶玉

 海底詠嘆

 海上光明

 

しんしんたる浪路のうへ、祈れば我が手につながれ、あきらかに珊瑚の母體は昇天す。

 

母體は昇天す、このときみなそこに魚介はしづみ、いつせいに哀しみの瞳(ひとみ)をあげて合唱し、あなや合讃したてまつる。

 

 さんたくるす

 さんたくるす

 

遊樂至上のうみのうへ、岬をめぐる浪のうたかた、浪とほれば鳥禽の眼にも見えず、況んや白日の幽靈は、いと遙かなる地平にかげをけしゆくごとし。

 

ああ、まぼろしのかもめどり、渚はとほく砂丘はさんらん、十字の上に耶蘇はさんらん、女(をみな)の胴は砂金に硏がれ、光り光りてあきらかに眞珠をはらむ。

 

白日のもと、わが肉體は遊樂し、沒落し、浮びかつ浪を切る。

 

[やぶちゃん注:本篇は筑摩版全集の「拾遺詩篇」に載り、大正三(一九一四)年十一月号『地上巡禮』初出とされるのであるが(これは本底本の巻末にある「詩作品發表年譜」にもそうなっている)、それとは重大な異同が複数あり、この小学館版の本篇は《不全で無効なもの》と私は考える。以下にその初出をそのままに示す。漢字表記・誤植と思われるもの等、総てママである。

   *

 

 遊泳

 

 白日のもと、わが肉體は遊樂し、沒落し、浮びかつ浪を切る。

 

 けふわが生くるは、わが遊戯をして、光り、かつ眞實あらしめんためなり。わが輝やく城の肢體をしてみがきしたしく魚らと淫樂せしめてよ。

 

 奇蹟金銀

 祈禱晶玉

 海底詠嘆

 海上光明

 

 しんしんたる浪路のうへ、祈れば我が手につながれ、あきらかに珊瑚の母體は昇天す。

 

 母體は昇天す、このときみなそこに魚介はしづみ、いつさいに哀しみの瞳(ひとみ)をあげて合唄し、あなや合讃したてまつる。

 

 さんたくるす

 さんたくるす

 

 遊樂至上のうみのうへ、岬をめぐる浪のうたかた、浪とほれば鳥禽の眼にも見えず、况んや白日の幽靈は、いと遙かなる地平にかげをけちゆくごとし。

 

 ああ、まぼろしのかめりどり、渚はとほく砂丘はさんらん、十字の上に耶蘇はさんらん、女(をみな)の胴は砂金に硏がれ、その陰部もさんらん、光り光りてあきらかに眞珠をはらむ。

 

 白日のもと、わが肉體は遊樂し、沒落し、浮びかつ浪を切る。

 

   *

本篇の相違点を、逐一、箇条で指示する。「・」は軽微の、「●」は重い誤り、而して「✕」は致命的に無効な誤謬であることを示す。

・特殊な第三連と第六連を除いて、各段落の冒頭一字下げがない。

但し、萩原朔太郎は、散文詩の場合、冒頭の一字下げを一切行っていない別な詩篇もあり、特にそれを問題にするには当たらないとも言える。ただ、個人的には、私は散文詩は一字下げをするのが普通と考えており、ぱっと見でも、違いとして際立って違和感を抱かせはする。但し、後に掲げる本篇の草稿詩篇(無題)を見るに、字下げは行われていないので、元の詩稿はこうなっていたと考えることも出来よう。

・第二連「戯」が「戲」。

●第二連が二つの段落から成っている。

これは或いは初出誌の版組みで「わが輝やく」が行頭にきていたために、編者が勘違いしたものとも思われる(この場合、本書の編者ではなく、同社の先行する「萩原朔太郎全集」の編者となる。その意味は以下の『第七連』以下を参照)。他の連では連内での改行はないことから、筑摩版全集のものが正しいと推定される。

●第五連の「いつさい」が「いつせい」となっている。

この「いつさい」は萩原朔太郎が極めてよくやる書き癖であり、これが原稿でもそうなっているはず、則ち、「いつさい」が正しいものと推定する。小学館編者は違和感を感じたか、誤植と採ったかで、手入れしてしまったものであろうが、不当である。

・第五連「合唄」が「合唱」。

・第七連「况」が「況」。

●第七連「けちゆく」が「けしゆく」。

古語の「消(け)つ」は他動詞タ行四段活用で「消(け)ち」は正当な用法である。本篇全体は擬古文であると言っても違和感はない(細部の言い切りは口語的臭気は含むが)から、これを修正するのは不当である。かの渡し個人の中で評判の悪い消毒主義の筑摩版全集の校訂本文でさえも訂していない。

・第八連「かめりどり」が「かもめどり」

これは明らかな誤植であり、問題ない。

第七連の「その陰部もさんらん、」が存在しない。

これは理由が判らない。本書は戦後の昭和二二(一九四七)年十一月発行である。従って、この程度のものを危惧して自主的にカットすることはちょっと考えられないように思う。されば、あり得ることは唯一つで、昭和十八年三月から昭和十九年十月にかけて刊行された、本書と同じ小学館の「萩原朔太郎全集」に収録(推定だが、第一巻「詩集上卷」・第二巻「詩集下卷」・別冊「遺稿上卷」の孰れか)する際、時局を憚って、この詩句を削除して載せたものを、そのまま転写してしまった(初出誌の確認をしなかった)ということになろうか。私は小学館版全集の原本を見たことがないので断言は出来ない。

 なお、筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』には、本篇の無題草稿が『本篇原稿一種一枚』として載る。以下に示す。かなり、推敲に悩んでいるものである。表記の誤りは総てママである。「×」「○」は萩原朔太郎によるもの、□は判読不能字。

   *

 

  

 

ああ、わが淫慾は淚たれ、怒りふんすいす、

┃ああ、まぼろしのかもめどり、沖合をみしかればいつさいにさんさん銀のたましひは  青らみぬるゝうみのうみ

白銀のつばささんらん、渚に砂金をついばむさんらん、渚は遠くああまぼろしのかもめどり、砂丘はさんらん、十字の上に耶蘇もさんらん、

[やぶちゃん注:「┃」と「↕」は私が附したもので、前の「┃」のある二行(実際には抹消しているから一行)部分と、後の一行部分が並置残存していることを示す。]

×奇蹟金銀、祈禱晶玉、海底詠嘆、遊樂光明、

○しんしんたる浪路のうへ、いのれば我が手つなかれて

はやかの このはや魚の女體は昇天す、素裸のおみなぞ歩む

みなみな このときみよ純金の女母體ぞ昇天す、はや肉はやみどりをおひこのときみなそこふかに魚介はしずみ、いつさいに哀しみの瞳(ひとみ)をあ*ぐる、さんた、くるす。//げて合唄し、さんた、くるす。//あはや合唄したてまつる*

[やぶちゃん注:「*」と「//」は私が附したもので、「ぐる、さんた、くるす。」と、「げて合唄すし、さんた、くるす。」と、「あはや合唄したてまつる」の三つの詩句が残存並置されていることを示す。以下も同じ。]

海底詠讀

海上光明

□だかる泳げは肉みどりを一身におび、たましひはつや靑らみぬるゝ海の底

はや唄す遊樂至上のうみのうヘ

岬をめぐる浪のうたかた、浪遠ければ鳥禽の眼にも見えず、況んや白日の幽靈はいとはるかなるところ地平より來りまた去り行くごとし、

ああはや、みよおんみらわが泳、四體より血を流し、血をもつて金屬の女をとげるこの*あゝみよ□□砂丘の上この女は砂金にまみれ//渚は遠くみよ女は素裸、その胴體□はも砂金にとかれ*この陰部光り光りてあきらかに眞珠をはらむ

 

白日のもと、わが淫樂は祈禱し、肉體は遊樂し、没落し、

浮びかつ浪をきる。

 

   *]

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