萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 農夫
農 夫
海牛のやうな農夫よ
田舍の家根には草が生え、夕餉(ゆふげ)の烟ほの白く空にただよふ。
耕作を忘れたか肥つた農夫よ
田舍に飢饉は迫り 冬の農家の荒壁は凍つてしまつた。
さうして洋燈(らんぷ)のうす暗い厨子のかげで
先祖の死靈がさむしげにふるへてゐる。
このあはれな野獸のやうに
ふしぎな宿命の恐怖に憑(つ)かれたものども
その胃袋は野菜でみたされ くもつた神經に暈(かさ)がかかる。
冬の寒ざらしの貧しい田舍で
愚鈍な 海牛のやうな農夫よ。
[やぶちゃん注: 「海牛」には後発詩集でもルビがない。従って、「うみうし」と読んでいるか、「かいぎう」と読んでいるか、判らぬ。現代の圧倒的一般人は「うみうし」と読んでしまうだろう。しかし、それは正当か? この農夫の形容は、「耕作を忘れたか」と見えるような「肥つた農夫」であり、それはまさに「このあはれな野獸のやうに」「ふしぎな宿命の恐怖に憑(つ)かれたものども」の表象であり、「その胃袋は野菜でみたされ くもつた神經に暈(かさ)がかか」っている奇体な生き物である。しかも、それは、「冬の寒ざらしの貧しい田舍で」の嘱目である。
無論、これを「海牛」=ウミウシ(軟体動物門腹足綱異鰓上目 Heterobranchia に属する後鰓類(Opisthobranchia:近年はこれに階級を与えないが和名呼称としては親しい。これはラテン語の“opistho”(後ろの)+“brankhia”(鰓)である。)の中でも、貝殻が縮小するか、体内に埋没或いは完全に消失した種などに対する一般的な総称(当該体制を持つ総てを必ずしもウミウシと呼ぶ訳ではない)。特に異鰓上目裸鰓目 Nudibranchia(新分類では裸鰓亜目 Nudibranchia(同綴り))が典型的なウミウシとされることが多く、ウミウシとは裸鰓類のことであるとされることもあるが、裸鰓類以外の後鰓類にも和名にウミウシを含む種は多く、和名にカイ(貝)を含む種でも貝殻が極めて小さく、分類するに際してはウミウシに含められる種も少なくない)ととっても意味は通じるように見える(ウミウシについては、私の「生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 二 雌雄同體 ウミウシ」を見られたい。萩原朔太郎は、海辺で観察出来る海産無脊椎動物を、この時期、盛んに詩篇に読み込んでいるから、違和感はない。私の偏愛するウミウシ類は一般人から見れば、奇体である。
だが、私はこれを、そうは読まない。これは「海牛」で「かいぎう(かいぎゅう)」と読みたい。このシチュエーションの中で、田舎の貧しいが、太った、畑中で動かない鈍重な農夫の形象――「このあはれな野獸のやうに」想起され、事実、「ふしぎな宿命の恐怖に憑(つ)かれたものども」として既に地球上から人間によって絶滅させられた巨大な優しき水棲哺乳類で、「その胃袋は野菜でみたされ くもつた神經に暈(かさ)がかか」っているような、草食性の奇体な巨大な海の野獣が――嘗ていた――からである。萩原朔太郎は、それを話しで知っていたとしても、おかしくない。而して、「海牛」という、それは、現生種では、
海牛(ジュゴン)目Sirenia
ジュゴン科Dugongidae ジュゴン属ジュゴン Dugong Dugon (一属一種)
マナティー科 Trichechidaeマナティー属
アマゾンマナティ Trichechus inunguis
アメリカマナティ Trichechus manatus
アフリカマナティ Trichechus senegalensis (一族三種)
である(但し、目の和名の狭義の「海牛」は、本来は、マナティ類を指す)。しかし、私は敢えてここでは、人魚のモデルとされるジュゴンやマナティ――ではない――としたい。私はここに出る朔太郎の言う「海牛」は、断然、
哺乳綱海牛目 Sirenia ジュゴン科 Dugongidae ステラーカイギュウ亜科 Hydrodamalinae ステラーカイギュウ属ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas
と読みたいのである。
カイギュウ類の寒冷地適応型の一種で、体長七~九メートル、最大体重は実に九トンにも及ぶ巨大水棲獣であった。ロシアのベーリング率いる探検隊の遭難によって一七四二年(寛保二年相当)に発見された彼らは、その温和な性質や、傷ついた仲間を守るために寄ってくるという習性から、瞬く間に食用に乱獲され、一七六八年(天明六年相当)を最後に、発見報告が絶える。人間に知られて僅か二十七年の命であった。私は、こうした過去の事実を知った萩原朔太郎が、ここに、既にこの世から絶滅させられてしまった哀れな彼らを、秘かに現出させたのであると思う。環境保護が叫ばれる今でこそ、少しは知られるようになった彼らだが、反して「地球にやさしい」を嘯く僕たちは、欲望の赴くまま、容易に普段のやさしさを放擲して、不敵な笑いを浮かべながら、第二のステラダイカイギュウの悲劇を他の生物にも向けるであろう点に於いて、何等の進歩もしていない。それは、バチルス、トリパノゾーマ、いや、生物と無生物の狭間にいるウィルス以下の存在だ。ステラーカイギュウの頭骨の哀しそうに語りかけてくるそれに、僕たちは耳を傾けねばならない。最後の言葉をずっと昔に述べた、私の南方熊楠「人魚の話」もある。
「厨子」の「厨」は「廚」の俗字(「厨子」(ずし)は筑摩版全集校訂本文では「廚」に消毒されているが、後発の詩集の再録では一貫して「厨子」である。こんなこの筑摩版全集でしか見られない校訂本文にどんな意味があるのか、それが定本となって流布することにどんな絶対的正当性があるのか、私は甚だ不思議に思う)。「廚子・厨子」は日本だけで用いられる訓義で、神仏の像を入れる二枚扉の附いた堂形の箱。ここでは、ごく粗末な小さな仏壇。
なお、本篇の初出は未詳である。]
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