「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「二」の(4)
コランド、プランチー(上に引いた書、一四三頁[やぶちゃん注:「一四三頁」は原書のページであろう。『「二」の(2)』の「Collin de Plancy, “Dictionnaire infernal,” Bruxelles, 1845, p.347」の私の注を参照。])は、古希臘の詩聖ヘシオドスの言を引いて、人の極壽は九十七歲なるに、烏は八百六十四歲、鴉は其三倍卽ち二千五百九十二歲生きると述べた。印度にも烏鴉を長壽としたは、法華文句に文珠問經を引いて八憍を八鳥に比せるに、壽命憍如烏、烏命長不死[やぶちゃん注:「壽命憍(じゆみやうきよう)は烏のごとし、烏、命長くして、死せず。」。]、烏は死なぬ物と信じたのだ。五雜俎に舊說烏性極壽、三鹿死後、能倒一松、三松死後、能倒一烏、而世反惡之何也[やぶちゃん注:「舊說に、烏の性、極めて壽(いのちなが)し。三鹿(さんろく)死して後、能く一松(いつしやう)を倒し、三松、死して後、能く一烏を倒す。而るに、世、反(かへ)つて之れを惡(にく)むは何ぞや。」。]。抱朴子に丹を牛肉に和(ま)ぜて未だ毛羽を生ぜぬ烏に呑ませると成長して毛羽皆赤し、其を殺し陰乾(かげぼし)にし擣(つき)服(の)む事百日すると五百歲の壽を得と載せたのも、烏極めて壽(いのちなが)しちう俗傳から割り出したのぢやろ。蘇格蘭(スコツトランド)の古諺にも、「犬の命三つ合せて馬の命、馬の命三つ合わせて人の命」、其から鹿鷲檞[やぶちゃん注:「かしは」。]と三倍宛で進み增す。是には烏は無いが東西共に鹿を壽(いのちなが)い物とする證には立つ。又人が馬と鹿の間にあるも面白い(John Scoffern, “Stray Leaves of Science and Folk-Lore,” 1870, p.462)。予は烏を畜(か)うた事無いが、屢ば烏を銃つた[やぶちゃん注:「うつた」。]のを見ると、頭腦に丸が入つて居ても半日や一日は生き居り、甚だしきは吾輩が獲物の雉で例の强者(つはもの)の交りを始め、玉山傾倒に臨んで烏でもいゝからモー一升などと見に行くと、苦勞墨繪(くろうすみゑ)のと洒落(しやれ)て飛び去つた跡で、折角の興も醒めた事が數囘ある。何しろ非常に生力の强いものだから、隨分長生もさしやんせう。然し八百歲の二千五百歲のなどは大法螺で、Gurney, “On the Comparative Ages to which Birds Live,” Ibis, 1899, p.19 に、鳥類の命數を實査報告せるを見ると、天鵞(はくてう)と鸚哥(いんこ)は八十歲以上、鴉と梟は八十に足らず、鷲と鷹は百年以上、駝鳥は體大きい割に夭(わかじに)で最高齡が五十歲と有る。兎に角壽命が短かゝらず妙に死人の在處へ飛んで來るより、衆望歸仰する英雄が烏と成つて永存するてふ迷信も間(まゝ)在る。英國の一部でアーサー王鴉と成つて現在すと信じ(Cox, op.cit., p.71)、獨逸の傳說フレデリク、バルバロツサ帝の山陵上を烏が飛廻る間は帝再び起きずと云ひ(Gubernatis, vol.ii, p.235)、フキニステラの民は其王グラロン娘ダフツト俱に鴉に化つて現存すと傳ふ(Collin de Plancy, p.143)。
[やぶちゃん注:「八憍」の「憍」は仏教で言う煩悩の一つである「驕」の正字。「法華文句」第六に載り、「オンライン版仏教辞典」のこちらの「憍」によれば、『心所(心のはたらき)の一つ。自己に属するものについて自らの心のおごりたかぶること。倶舎宗では、小随煩悩地法の一つ。唯識宗では、小随煩悩の一つに数える〔他に対して心のおごりたかぶるのは慢という〕。』とし、その名数として、盛壮憍(元気盛んなことの誇り)・姓憍(血統の勝れていることの誇り)・富憍・自在憍(自由の誇り)・寿命憍(長寿の誇り)・聡明憍・行善憍(善行の誇り)・色憍(容貌の誇り)を挙げている。
「John Scoffern, “Stray Leaves of Science and Folk-Lore,” 1870, p.462)」ジョン・スコッファーン(一八一四年~一八八二年)はイギリスの外科医で、ポピュラー・サイエンスの著作をものしている作家でもあった。「科学と民間伝承の落ち葉籠」(或いは「飛花落葉集」)とでも訳すか。「Internet archive」で原本の当該箇所が視認出来る。
「Gurney, “On the Comparative Ages to which Birds Live,” Ibis, 1899, p.19」ジョン・ヘンリー・ガーニー・ジュニア(一八四八年~一九二二年)はイギリスの鳥類学者。父も政治家であったが、鳥類学者としての方がよく知られていた。「鳥類の寿命の比較年齢について」か。
「Cox, op.cit., p.71」『「二」の(2)』参照。熊楠の指示するのは、「Internet archive」の当該原本のここ。
「獨逸の傳說フレデリク、バルバロツサ帝の山陵上を烏が飛廻る間は帝再び起きずと云ひ(Gubernatis, vol.ii, p.235)本篇で既出既注のコォウト・アンジェロ・デ・グベルナティスの「動物に関する神話学」。選集もこのページ数であるが、調べたところ、どうも違う。名前の「Frederic Barbarossa」(中世の神聖ローマ皇帝フリードリヒⅠ世(Friedrich I. 一一二二年~一一九〇年)でフル・テクストを検索したところ、「253」ページの誤りであることが判明した。「Internet archive」の第二巻原本の当該部はここの下部の注がそれである。]
「フキニステラ」選集では『フィキニステラ』。不詳。
「王グラロン」「娘ダフツト」不詳。]
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