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2021/12/30

伽婢子卷之十二 大石相戰 / 卷之十二~了

 

   ○大石相戰(あひたゝかふ)

 

Daijyakuahiarasohu

 

[やぶちゃん注:挿絵は同じく底本からトリミング補正した。個人的には「大石」は「だいじやく」と読みたいが、「だいせき」だろうなあ。]

 

 

 越州春日山の城は、長尾《ながを》謙信の居住せられし所也。謙信、巳に死去せらるべき前(さき)かど、城の内に、大石、二つあり。

[やぶちゃん注:「長尾」の読みは底本は「ながう」、元禄版は『なかを』、「新日本古典文学大系」版は『なかう』。如何ともし難いので、正規で示した。但し、「新日本古典文学大系」版脚注には、『「ながう」の振仮名は、本書他巻にも見られる』とあるから、「ながう」とするのが、本書の電子化ではそちらが正しいとは思う。]

 或日の暮方に、かの二つの石、躍(をど)り上(あが)り、踊り上り、頻りに動きけるに、人皆、恠しみ、見侍べり。

 怱に一所にまろび寄りて、

「はた」

と打合ひ、又、立のきて、躍り動き、又、打ち合ひたり。

「大石の事なり。如何なる故とも知《しり》がたし。只、恠しき事。」

に思ひければ、人々、いかにとも、すべき樣(やう)なし。

 夜半過《すぐ》るまで戰ひて、其の石、缺け損じて、散り飛ぶ事、霰(あられ)の如し。

 終に、二つの石、諸友(もろとも)に、碎けて、扨(さて)、止みにけり。

 夜あけて見れば、其あたりに、血、流れたり。

「是れ、只事(たゞ《こと》)にあらず。」

と思ひ、恠しみける所に、謙信、病み付き給ひ、終に空しくなり給へば、兄弟(きやうだい)、跡を爭ひ、本城と、二の曲輪(くるわ)と、兩陣たてわかりて、軍(いくさ)ありける。

「これ、其しるし成るべし。」

と、後(のち)に思ひ合はせしとぞ。

 

 

伽婢子卷之十二終

[やぶちゃん注:「越州春日山の城」越後国頸城郡中屋敷春日山(現在の新潟県上越市春日山町)にあった中世の山城。主に長尾氏の居城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「謙信、巳に死去せらるべき前(さき)かど」「前かど」は「以前」の意。当該ウィキによれば、上杉謙信は天正五(一五七七)年九月二十三夜、手取川の渡河に手間取る織田軍を追撃して撃破した(「手取川の戦い」)後、十二月二十三日には、次なる遠征に向けての大動員令を発し、翌年三月十五日に遠征を開始する予定であったが、その六日前の三月九日、遠征の準備中、春日山城内の厠で倒れ、昏睡状態に陥り、その後、意識が回復しないまま天正六年三月十三日(一五七八年四月十九日)に四十九歳で没した。倒れてからの昏睡状態から、死因は脳溢血との見方が強い。遺骸には鎧を着せ、太刀を帯びさせ、甕の中へ納め、漆で密封された。この甕は上杉家が米沢に移った後も米沢城本丸一角に安置され、明治維新の後になって、歴代藩主が眠る御廟へと移されている。『生涯独身で養子とした景勝・景虎のどちらを後継にするかを決めていなかった』ことから、『上杉家の家督の後継をめぐって』「御館(おたて)の乱」『が勃発、勝利した上杉景勝が、謙信の後継者として上杉家の当主となり、米沢藩の初代藩主となったが、血で血を洗う内乱によって』、『上杉家の勢力は大きく衰えることとなる』。『未遂に終わった遠征では』、『上洛して織田信長を打倒しようとしていたとも、関東に再度侵攻しようとしていたとも推測されるが、詳細は不明である』とある。本篇の最後に語られる「御館の乱」については、当該ウィキを見られたい。]

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