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2021/12/31

萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 こころ

 

   こ こ ろ

 

こころをばなににたとへん

こころはあぢさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言ふことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

 

[やぶちゃん注:初出は大正二(一九一三)年五月号『朱欒』。以下に示す。

   *

 

 こゝろ

 

こゝろをばなにゝたとへん

こゝろはあぢさゐの花

もゝいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 

こゝろはまた夕やみの園生のふきあげ

音なき音のあゆむひゞきに

こゝろはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

あゝこのこゝろをばなにゝたとへん

 

こゝろは二人の旅びと

されど道づれのたえて物いふことなければ

わがこゝろはいつもかくさびしきなり

 

   *

こちらは踊り字「ヽ」「ゞ」が視覚的アクセントとして奇妙な内在律を感じさせる。しかし、因みに、私は人生の中で幼児期より「々」以外の踊り字を用いたことがなく、特に複数語の踊り字「〱」「〲」は特に激しい嫌悪を催し、「〻」も気持ちが悪いほどで、残る余生も自分の文章に用いることはない。しかし、この初出詩篇は、なんとも、踊り字がまっこと、いいではないか。

 なお、筑摩版全集の「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」に、本篇の草稿が載る。以下に示す。「あぢさい」はママ。

   *

 

 こゝろ

 

こゝろをば何にたとへん

こゝろはあぢさいの花

もゝいろに咲く日はあれど

うすむらさきのためいきばかりはせんなくて。

こゝろはまた夕やみの園生のふきあげ

砂時計の漏刻

音なき音の步むひゞきに

こゝろはひとつによりて悲しめども

悲しめどもあるかひなしや。

あゝこのこゝろをなにゝたとへん

こゝろは二人の旅びと

されどその道づれのたえて物いふことなければ

わがこゝろはいつもかく淋しきなり

 

   *]

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