萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 こころ
こ こ ろ
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
[やぶちゃん注:初出は大正二(一九一三)年五月号『朱欒』。以下に示す。
*
こゝろ
こゝろをばなにゝたとへん
こゝろはあぢさゐの花
もゝいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こゝろはまた夕やみの園生のふきあげ
音なき音のあゆむひゞきに
こゝろはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
あゝこのこゝろをばなにゝたとへん
こゝろは二人の旅びと
されど道づれのたえて物いふことなければ
わがこゝろはいつもかくさびしきなり
*
こちらは踊り字「ヽ」「ゞ」が視覚的アクセントとして奇妙な内在律を感じさせる。しかし、因みに、私は人生の中で幼児期より「々」以外の踊り字を用いたことがなく、特に複数語の踊り字「〱」「〲」は特に激しい嫌悪を催し、「〻」も気持ちが悪いほどで、残る余生も自分の文章に用いることはない。しかし、この初出詩篇は、なんとも、踊り字がまっこと、いいではないか。
なお、筑摩版全集の「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」に、本篇の草稿が載る。以下に示す。「あぢさい」はママ。
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こゝろ
こゝろをば何にたとへん
こゝろはあぢさいの花
もゝいろに咲く日はあれど
うすむらさきのためいきばかりはせんなくて。
こゝろはまた夕やみの園生のふきあげ
砂時計の漏刻
音なき音の步むひゞきに
こゝろはひとつによりて悲しめども
悲しめどもあるかひなしや。
あゝこのこゝろをなにゝたとへん
こゝろは二人の旅びと
されどその道づれのたえて物いふことなければ
わがこゝろはいつもかく淋しきなり
*]