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2021/12/21

萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 灰色の道

 

   灰 色 の 道

 

日暮れになつて散步する道

ひとり私のうなだれて行く

あまりにさびしく灰色なる空の下によこたふ道

あはれこのごろの夢の中なるまづしき乙女

その乙女のすがたを戀する心にあゆむ

その乙女は薄黃色なる長き肩掛けを身にまとひて

肩などはほつそりとやつれて哀れにみえる

ああこのさびしく灰色なる空の下で

私たちの心はまづしく語り 草ばなの露にぬれておもたく寄りそふ。

戀びとよ

あの遠い空の雷鳴をあなたは聽くか

かしこの空にひるがへる波浪の響にも耳をかたむけたまふか。

 

戀びとよ

このうす暗い冬の日の道邊に立つて

私の手には菊のすえたる匂ひがする

わびしい病鬱のにほひがする。

ああげにたへがたくもみじめなる私の過去よ

ながいながい孤獨の影よ

いまこの並木ある冬の日の街路をこえて

わたしは遠い白日の墓場をながめる

ゆうべの夢のほのかなる名殘をかぎて

さびしいありあけの山の端をみる。

戀びとよ 戀びとよ。

 

戀びとよ

物言はぬ夢のなかなるまづしい乙女よ

いつもふたりでぴつたりとかたく寄りそひながら

おまへのふしぎな麝香のにほひを感じながら

さうして霧のふかい谷間の墓をたづねて行かうね。

 

[やぶちゃん注:筑摩版全集によれば、初出形は大正七(一九一八)年一月号『詩歌』の「重たい書物を抱へて步む道」であるが、烈しく異なっている。以下に示す。「厭生」(まあ、「厭世」があるのだから、これもよかろうか)、「たえがたく」の「え」、「みぢめ」の「ぢ」はママ。「PAGE」は総て横書き。なお、本篇決定稿には清書原稿があるのであるが、そこでは「孤獨の道」となっており、後から題名を変更したことが判る。

   *

 

 重たい書物を抱へて步む道

 

日暮れになつて散步する道、

よく手入れをした美しい並木の道道、

ひとり私のうなだれて步いて行く、

あまりに寂しく灰色なる空の下によこたふ道。

あはれこのごろの夢の中なるまづしき少女、

その少女の姿を戀する心にあゆむ、

その少女は薄黃色なるながき肩掛を身にまとひて、

肩などはほつそりとやつれてあはれにみえる、

ああこの寂しく灰色なる空の下に、

私たち二人の心はまづしく語り、草ばなの露にぬれて重たく寄りそふ。

戀びとよ、

あの遠い空の雷鳴をあなたはきくか、

かしこの空にひるがへる浪浪のひびきにも耳をかたむけたまふか。

戀びとよ、

この薄暗い冬の日の道べにたちて、

私の手には重たい厭生の書物をかかへてゐる、

みたまへ、

ここのPAGEには菊のすえたるにほひをかぎ、

ここのPAGEには病みたる心靈の光をみる、

そしてこのうすいみどり色のPAGE,  PAGEには

風にふかれる葉つぱのやうにちつてしまつた、

ああ げにたえがたくもみぢめなる私の過去よ、

ながいながい孤獨の影よ、

いまこの美しい並木ある冬の目の街路をこえて、

私は遠い憂愁の墓塲をながめる、

ゆうべの夢のほのかなる名殘をかぎて、

さびしいありあけの山の端をみる、

戀びとよ、戀びとよ、

もの言はぬ夢の中なるまづしい少女よ、

いつも私はひとりで歩み、

ひとりでかんがへ、

ひとりでかなしみ、

私の白い墓塲のかげに座つてお前のくるのを待ちたいのだ

このごろの夢によくみる、

よにもしたしげな、そして力のない愛憐の微笑をかぎながら。

 

   *

初出形は典型的な「エレナ」詩篇の一つとして読め、朔太郎の中の幻しのエレナ喪失のトラウマは初出形の方が遙かに濃厚濃密であり、個人的には初出形を推すものである。]

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