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2021/12/21

萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 春の芽生

 

   春 の 芽 生

 

私は私の腐蝕した肉體にさよならをした

そしてあたらしくできあがつた胴體からは

あたらしい手足の芽生が生えた

それらはじつにちつぽけな

あるかないかも知れないぐらゐの芽生の子供たちだ

それがこんな麗らかの春の日になり

からだ中でぴよぴよと鳴いてゐる

かはいらしい手足の芽生たちが

さよなら、さよなら、さよなら、と言つてゐる。

おおいとしげな私の新芽よ

はちきれる細胞よ

いま過去のいつさいのものに別れを告げ

ずゐぶん愉快になり

太陽のきらきらする芝生の上で

なまあたらしい人間の皮膚の上で

てんでに春のぽるかを踊るときだ。

 

[やぶちゃん注:「ぽるか」ポルカ(チェコ語:polka/英語:polka/フランス語:polka)は、十九世紀後半に流行した四分の二拍子の活発な舞曲。各小節の第三番目の八分音符が強調される。名称はチェコ語の「polska」(「ポーランド娘」の意)に由来するとされる。起源は不明だが、一八三七年にプラハで登場して以来、直ちに世界中に広まり、舞踏会やダンス・ホールに欠かせない存在となった。ヨハン・シュトラウス父子は、ワルツのほかにも多数のポルカを書いており、スメタナは、オペラ「売られた花嫁」(一八六六年初演)の他、さまざまな作品に、この舞曲のリズムを取り入れたことで知られている(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

 本篇の初出は大正四(一九一五)年四月発行の『卓上噴水』で、初出では「春」と題されている。筑摩版全集で以下に示す。「ぐらひ」「子供だち」「ずいぶん」はママ。

   *

 

 

 

私は私の腐蝕した肉體にさよならをした

そして新しく出來あがつた胴體からは

あたらしい手足の芽生が生えた

それらは實にちつぽけな

あるかないかも知れないぐらひの芽生の子供だちだ

それがこんな麗らかの春の日になり

からだ中でぴよぴよと鳴いてゐる

可愛らしい手足の芽生たちが

さよなら

さよなら

さよなら

と言つてゐる

おお いとしげな私の新生よ

はぢきれる細胞よ

いまいつさいのものに別れをつげ

ずいぶん愉快になり

きらきらする芝生のうへで

生あたらしい人間の皮膚のうへで

てんでに春のポルカを踊る時だ。

          三月十七日

 

   *

同全集の「草稿詩篇 蝶を夢む」には『本篇原稿六種六枚』とあり、二種が掲げられてある。同全集では四種を重要と判断せず、掲載していないことになる。以下、二種(孰れも無題)を以下に示す。二篇とも歴史的仮名遣の誤りや誤字(「健設」「らいまちす」など)・脱字はママである。

   *

 

  

 

私は私の肉體にさよならをした

ふりすてゝ顧り見ない過去の腐蝕した肉體に

そうして新らしい胴體からはく健設した胴體から

新らしい手足が生えたの芽生がはえた

新らしい指の芽生がはえた

それはほんのそれはじつにちつぽけ

あるかないかもわからないぐらいの芽生であるの子供たちだ、

それがこんな麗らかの春の日にすら

からだ中でぴよぴよ鳴いて居る

可愛らしい手足の芽生たちが

さよなら

さよなら

さよならといつて居る、

おおいとしげな私の新生よ

ちよいと空をごらん

太陽がくるりくるりとまわて居る、

からだ中が球のやうに

春の芝生を

いつさいのものに別れをつげ

うらゝかのきらきらする芝生の上で

みんな春のポルカをおどるのだ

 

[やぶちゃん注:「顧り見ない」はママ。以下の別稿も同じ。]

 

 

  

 

私は私の肉體にさよならをした、

ふりすてゝ顧り見ない 腐蝕 過去の肉體、

腐蝕した 過去の→らいまちすの 過去の肉體の上に別れは墓場の中で光つて居る、

らうまちすの羊みたいな奴に要はないのだ過去と告別した

お前は→を「時」の墓場の下で光つておいで、

そして見給へ新らしく出來あがつた胴體からは

新らしい手足の芽生がはえた

それはまだじつにちつぽけな

あるかないかわからないぐらいの芽生の子供たちだ

それがこんな麗らかの春の日になり

からだ中でぴよぴよ鳴いて居る

可愛いらしい手足の芽生たちが

さよなら

さよなら

さよならといつて居る

おおいとしげな私の肉體→細胞新生よ

はぢきれる細胞よ

いまはいつさいのものに別れをつげ

ずいぶん愉快になり

きらきらする春の芝生のうへで

私のいきいきした生あたらしい人體の皮膚の上で

てんでにみんな春のポルカを踊るのだ、

 

   *

なお、筑摩版全集第三卷の『草稿詩篇「補遺」』の「斷片」パートに、

   *

   ○

私の私の腐れきつた紳經にさよならをした、

そして新しく出

   *

とあるのは(「私の私の」のくり返し及び「紳」の誤字はママ)、本稿冒頭部分に他ならない。]

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