萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 始動 / 「詩集の始に」・目次・「蝶を夢む」(詩集前篇の第一篇)
[やぶちゃん注:萩原朔太郎の第三詩集「蝶を夢む」は大正一二(一九二三)年七月十四日、正規の単行詩集としてではなく、新潮社の叢書「現代詩人叢書」の第十四巻として刊行された。収録作品は六十篇で、内、十六篇は、先行する処女詩集「月に吠える」(大正六年二月十五日発行/感情詩社・白日社出版部共刊(事実上の完全自費出版))及び第二詩集「靑猫」(大正十二年一月二十六日発行/新潮社刊)からの再録である。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの同原本初版(当該書の奥附の発行日が七月十二日となっているのは、一般刊行前に行われる国立国会図書館収蔵用献本であるからであろう)画像を視認した。但し、加工データとして「青空文庫」の同詩集のテキスト・ファイル・データ(二〇一八年十二月十四日最終更新版・入力・kompass氏/校正・小林繁雄氏/校正・門田裕志氏)を使用させて貰った(ここの下方にある)。ここに御礼申し上げる。
下方インデントなどはブログ・ブラウザでの不具合を考えて再現していない。
私は既にこのブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」で、先行する二詩集を正規表現版で公開しているが、再録と称している十六篇は、表記上の変更(主に歴史的仮名遣の誤りの整序)が有意に認められるので、煩を厭わず、全篇を電子化することとした。また、今までの二詩集の電子化注同様、後注で筑摩版全集に附載される初出形も掲げる。表紙その他は、以上のような仕儀であるため、前二詩集のような魅力が皆無なので、電子化はするが、画像は貼らず、底本のリンクに留めた。【二〇二一年十二月十九日始動 藪野直史】]
蝶 を 夢 む
萩 原 朔 太 郞 著
現代詩人叢書
14
新潮社版行
[やぶちゃん注:表紙。国立国会図書館デジタルコレクションの画像はモノクロームであるので、ネットの古書店のサイトに貼られた画像をみたところ(但し、翌大正十三年五月二日発行の第七版)、上記のような色付けがなされてあるのが確認出来たので、せめてもの花として、かく、した。文字列は総て右から左に書かれてある。背は国立国会図書館デジタルコレクションの画像では見られないが、こちらも同前で確認したところ、辛うじて、
*
蝶 を 夢 む 萩 原 朔 太 郞 現代詩人叢書14
*
と視認するところまでは出来た。参考のために添えておく。因みに、裏表紙はこれで、中央に新潮社のマークがあるだけである。]
蝶 を 夢 む
萩 原 朔 太 郞 著
現代詩人叢書
14
新潮社版
[やぶちゃん注:とびら。この画像はネットには見当たらないので、何とも言えないが、底本のモノクローム画像でも「萩 原 朔 太 郞 著」と「14」が明らかに薄いのが判る。或いは、表紙と同じく水色なのかも知れぬが、白抜きで示しておいた。]
詩 集 の 始 に
この詩集には、詩六十篇を納めてある。内十六篇を除いて、他はすべて既刊詩集にないところの、單行本として始めての新版である。
この詩集は「前篇」と「後篇」の二部に別かれる。前篇は第二詩集「靑猫」の選にもれた詩をあつめたもの、後篇は第一詩集「月に吠える」の拾遺と見るべきである。卽ち前篇は比較的新しく後篇は最も舊作に屬する。
要するにこの詩集は私の拾遺詩集である。しかしながらそのことは、必しも内容の無良心や低劣を意味しない。既刊詩集の「選にもれた」のは、むしろ他の別の原因――たとへば他の詩風との不調和や、同想の類似があつて重複するためや、特にその編纂に際して詩稿を失つて居た爲や――である。現に卷初の「蝶を夢む」「腕のある寢臺」「灰色の道」「その襟足は魚である」等の四篇の如きは、當然「靑猫」に入れるべくして誤つて落稿したのである。(もし忠實な讀者があつて、此等の數篇を切り拔き「靑猫」の一部に張り入れてもらへば至幸である。)とはいへ、中には私として多少の疑案を感じてゐるところの、言はば未解決の習作が混じてゐないわけでもない。むしろさういふのは、一般の讀者の鑑賞的公評にまかせたいのである。
詩集の銘を「蝶を夢む」といふ。卷頭にある同じ題の詩から取つたのである。
西曆千九百二十三年
著者
[やぶちゃん注:萩原朔太郎自身の序。太字は底本では傍点「◦」である。
なお、以下の目次は、リーダとページ数を略した。「・」(実際には二回りほど大きい黒丸である)は萩原朔太郎自身が打ったもので、最後に彼が注記しているように、先行詩集からの再録であることを意味するマークである。]
目 次
蝶 を 夢 む (前篇)
蝶を夢む
腕のある寢臺
靑空に飛び行く
冬の海の光を感ず
・騷 擾
・群集の中を求めて步く
内部への月影
陸 橋
灰色の道
・その手は菓子である
その襟足は魚である
春の芽生
黑い蝙蝠
石竹と靑猫
海 鳥
眺 望
蟾 蜍
家 畜
・夢
・寄生蟹のうた
・野 鼠
・閑雅な食慾
・馬車の中で
野 景
絕望の逃走
僕等の親分
涅 槃
かつて信仰は地上にあつた
商 業
まづしき展望
農 夫
波止場の烟
松葉に光る(後篇)
狼
松葉に光る
輝やける手
・酢えたる菊
・悲しい月夜
・かなしい薄暮
天路巡歷
・龜
白 夜
巢
懺悔
夜の酒場
月 夜
見えない兇賊
有害なる動物
・さびしい人格
・戀を戀する人
・贈物にそへて
遊 泳
瞳孔のある海邊
空に光る
綠蔭俱樂部
榛名富士
・くさつた蛤
散 文 詩
吠える犬
柳
Omegaの瞳
極 光
以上・六十篇
目次中・印を附したものは既刊詩集からの再錄。
[やぶちゃん注:以下、パート標題。その後は、標題ページの裏側に記された当該パート内の詩群についての著者による解説。原本では二行書きであるが、行間が異様に広い。]
蝶 を 夢 む 詩集前篇
この章に集めた詩は、「月に吠える」以後最近に至るまでの作で「靑猫」の選にもれた分である。但し内八篇は「靑猫」から再錄した。
蝶 を 夢 む
座敷のなかで 大きなあつぼつたい翼(はね)をひろげる
蝶のちひさな 醜い顏とその長い觸手と
紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。
わたしは白い寢床のなかで眼をさましてゐる。
しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする
夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語
水のほとりにしづみゆく落日と
しぜんに腐りゆく古き空家にかんずるかなしい物語。
夢をみながら わたしは幼な兒のやうに泣いてゐた
たよりのない幼な兒の魂が
空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。
もつともせつない幼な兒の感情が
とほい水邊のうすらあかりを戀するやうに思はれた
ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。
あたらしい座敷のなかで 蝶が翼(はね)をひろげてゐる
白い あつぼつたい 紙のやうな翼(はね)をふるはしてゐる。
[やぶちゃん注:第一連の「しぜんに腐りゆく古き空家にかんずるかなしい物語。」はママ。これは「感ずる」ではなく、「關する」で、巻頭詩としては痛い誤植である。以下に示す初出形でも、「關する」となっており、筑摩版全集の「校異 蝶を夢む」によれば、清書原稿が、
*
しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語。
*
となっており、後の「定本 靑猫」(昭和一一(一九三六)年三月二十日発行・版𤲿莊刊)でも、「かんする」となっているから、誤植確定なのである。
初出は大正六(一九一七)年一月号『感情』であるが、標題は「蝶」だけである。以下に初出形を示す。誤植と思われるもの(例えば、初行の「ひろける」)や、歴史的仮名遣の誤り等は総てママである。
*
蝶
座敷の中で、おほきなあつぼつたい羽をひろける
蝶のちいさな、みにくい顏とそのながい觸手と
紙のやうにひろがる、あつぼつたいつばさの重みと
わたしは白い寢床の中で眼をさましてゐる
しづかに私は夢の記憶をたどらふとする
夢はあはれにさびしい秋のゆうべの物語
水のほとりに沈みゆく落日と
しぜんにくさりゆく古き空家に關する悲しい物語。
夢をみながら私はおさな兒のやうに泣いて居た
たよりのないおさな兒のたましひが
空家の庭に生える草むらの中で、しめつぽいひきがへるのやうに泣いて居た
もつともせつない幼な兒の感情が、遠い水邊のうすらあかりを戀するやうに思はれた
ながい、ながい時間のあひだ、わたしはゆめをみて泣いてゐたやうだ。
あたらしい座敷の中で、蝶が羽をひろげて居る
白い、あつぼつたい、紙のやうな羽をふるはして居る。
*]
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