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« 伽婢子卷之十一 魂蛻吟 | トップページ | 本「萩原朔太郎詩集 遺珠」の注の改稿について »

2021/12/03

伽婢子卷之十一 魚膾(ぎよかい)の恠 / 伽婢子卷之十一~了

 

[やぶちゃん注:挿絵は岩波文庫高田衛編・校注「江戸怪談集(中)」(一九八九年刊)の鮮明なものをトリミング補正して適切と思われる箇所に挿入した。「魚膾」は「うをなます」とも訓じ、魚を生のままに細かく刻んだ料理(酢漬けではない。塩を振りはする)。]

 

  ○魚膾(ぎよかい)の恠(かい)

 

 大嶋藤五郞盛貞といふ者、應仁のころ、牢浪して、能登の國珠洲(すず)の御(み)崎に住居して、時を待《まち》けり。

 其性(しよう)、常に生魚(なまうを)の膾(なます)を好み、是なき日は、食、進まず。

 人に語りけるやう、

「浮世にありて、山海の珍味多しといへ共、膾の味に過たる物、なし。終《つひ》に又、腹に、飽かず。」

と云ひしが、或日、若き友達、五、六人、入來り、濱邊にいざなひ出《いで》て遊びしに、風もなく、浪、靜かなりければ、浦人、出て、網を引くに、種々(しゆじゆ)の魚、多く漁(すなどり)得て、岸に漕ぎ歸る。

 大嶋、是れを見て、

「いざ。買ひ取りて、膾、つくり、料理、調へ、今日の思出《おもひで》せん。」

とて、五籠(かご)、六籠、買取り、浦人の家に立寄り、料理の具、かりよせ、濱おもてに、むしろ、敷(しき)、膾、作り、大なる桶と鉢とに、堆(うづ)たかく入《いれ》て、其の外、魚共、種種に、とゝのへ、五、六人、なみ居て、飯、食けひるに、大嶋、箸を取り、膾を食ふ事、一鉢ばかり、忽ちに、喉(のんど)に物の障るやうに覺えしかば、喝(かつ)して、吐き出して見れば、大《おほい》さ、豆ばかりなる、骨(ほね)也。

 其色、薄(うす)色に赤くして、珠《たま》の如し。

 茶碗の中に入《いれ》て、皿を以て、蓋とし、傍(そば)に打おき、又、箸をとりて、膾を食せるに、未だ、座中、食し終らざるに、かの茶碗、打ち倒(たふ)れ、蓋も共(とも)に、轉(まろ)びけるを見れば、中に入おきたる骨の珠(たま)、一尺ばかりになり、人の形と化(け)して、動き立《たち》たり。

 

Namasukai

 

[やぶちゃん注:大嶋が魚の妖怪の右腕を斬り落としたシーン。切断された腕は鰭型に変じている。しかし、この魚の妖怪は大不服!(後述する)]

 

 五、六人の友達、驚き、怪しみ、目をすまして見ゐたれば、目の前に、俄かに、五尺ばかりの男となり、赤裸(あかはだか)にして、大嶋藤五郞に、取りかゝる。

 大嶋、側(そば)なる太刀を拔き持ちて、切《きり》つくれば、いなづまの如く、閃(ひらめ)き、蜻蛉(とんぼう)の如く、飛びめぐり、隙間を狙ひ、拳(こぶし)を握り、大嶋が首(かしら)を、

「礑(はた)」

と、撲つ。

 又、しばし、戰ふては、背(せなか)を、

「丁《ちやう》」

と、撲(う)つに、血、流れて、砂(いさご)を染めたり。

 大嶋、終に、太刀を打入《うちいれ》て、

「はた」

と、切付《きりつけ》しかば、腕・首(くび)、切落《きりお》とされ、かきけすやうに、失せたり。

 人々、

「助太刀せん。」

と、犇(ひし)めきけれ共、雲霧(《くも》きり)、ふさがりて、見え分かず、戰ふ音のみ聞えて、霧、已に霽(は)れて後、大嶋は、朱(あけ)になりつゝ、

「人々、是れ、見給へ、敵(かたき)の腕首(うでくび)、切落したり。ばけものは、行方(《ゆく》がた)なく、失(うせ)侍べり。」

と云を見れば、大《おほい》なる魚の鰭(ひれ)を切落したる也。

 大嶋、其儘、絕入(ぜつじゆ)したりけるを、さまざま、藥を與へしかば、生(いき)出たりしか共(ども)、人心地もなく、夢中の如くなりしが、疵、癒(いえ)てのち、漸(やうや)く、元の如く、正念(しやうねん)[やぶちゃん注:底本は「性念」。元禄版を採った。]、つきたり。

 さて、其の時の事を問ふに、

「露(つゆ)ばかりも、覺えず。」

といふ。

 當座に語りけるにぞ、子細は聞えし。

 これ、魚の精、現はれ集まりて、此恠異、ありけるにこそ。

 

伽婢子卷之十一終

[やぶちゃん注:これは了意にも絵師にも文句がある。了意はその妖怪の様態を子細に記していないのが不服、さればこそであろうが、絵師が困って、長い黒い(本文に即すなら、珠の色の薄い赤色のつもりかも知れぬ)尾鰭みたようなものを描き込んだこと、及び、頭をモロに鯰にしてしまったことへの激しい不満である。こんな頭部を持った海水魚はいない。敢えて同定するなら、本邦の純海産ナマズ類である硬骨魚綱ナマズ目ゴンズイ科ゴンズイ属ゴンズイ Plotosus japonicus となるが、ゴンズイは大きくなっても二十センチメートル止まりで、著しく迫力に欠く(但し、同種は背鰭と胸鰭の第一棘条が毒棘で、これに刺されると、激痛に襲われるから、そこは面付きと禍々しさを補いはするし、私は経験がないが、調べて見ると、ゴンズイは刺身にしても美味いらしい)。ただ、ナマズ類(ナマズ目 Siluriformes)は河口・汽水域でも塩分耐性を持つ種もいることはいる。しかし、沖に出た漁師が採ったもので、しかも生食出来る魚類の総代表としては、如何にも番外である。オニカサゴやミノカサゴ、巨大なマハタ、或いはヘラヤガラなど、幾らも異形の刺身で食える海水魚はワンサカいる。了意も絵師も、惜しむらくは、海産魚には詳しくなかったようである。

「大嶋藤五郞盛貞」不詳。

「應仁のころ」一四六七年から一四六九年まで。「応仁の乱」は応仁元年に始まり、文明91477)年まで、実に約十一年間に亙って継続した。

「能登の國珠洲(すず)の御(み)崎」能登半島先端の南側の石川県珠洲市三崎町付近(グーグル・マップ・データ)。高校二年の時、友人ら四人でテントを担いで能登半島を一周したのを思い出す。テントを買うのに、友人と二人で大学生と偽って、土方仕事を一週間ほどやった。忘れらない遠い懐かしい思い出である。

「時を待《まち》けり」孰れかに仕官が叶うのを待った。

「喝(かつ)して」「ゲエッツ!」という吐瀉のオノマトペイア。禅宗で悟らせる一喝のそれを表記としたのは、異常な魚の生喰らいの殺生の罰(ばち)に当たるのを伏線とするものであろう。

「目をすまして」凝(じっ)と見つめて。

「五尺ばかりの男」一・五一五メートル。本邦の中世の身長の標準よりも低い。縄文以来、最も平均身長が低かった江戸時代でも平均は百五十五センチメートルである。

「礑(はた)」副詞。唐突に物を打ったり、ぶつけたりするさまであるが、私は、やはり、その際のオノマトペイアと考える。

「當座に語りけるにぞ、子細は聞えし。」作者了意の台詞か。「さしあたってある人の語ったのを聴いたのであるが、凡その事件の子細は判った。」ということか。]

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