萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 かなしい薄暮
かなしい薄暮
かなしい薄暮になれば
勞働者にて東京市中が滿員なり
それらの憔悴した帽子のかげが
市街(まち)中いちめんにひろがり
あつちの市區でもこつちの市區でも
堅い地面を掘つくりかへす
掘り出して見るならば
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ
重さ五匁ほどもある
にほひ堇のひからびきつた根つ株だ
それも本所深川あたりの遠方からはじめ
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで
しなびきつた心臟がしやべるを光らす。
[やぶちゃん注:「月に吠える」の「かなしい遠景」の改題再録。『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 かなしい遠景』と比較対象されたい。標題変更以外には、最終行が「しなびきつた心臟がしやべるを光らしてゐる。」とある以外は有意な表現変更はない。はそちらで詳細語注もしてある。但し、「嗅煙草」(かぎたばこ)であるが、私自身、使用したことはないが、所謂、口腔内に固形煙草片を入れてニコチンを体内に吸収するもので、「噛み煙草」と同じく、燃やしたり、煙が出るタイプではない。本邦でも(見たことはないが)売っている。なお、詩集原本の当該部を見られたいが、上記の通り、十行目のスミレは「菫」ではなく、異体字の「堇」である。]
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