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2021/12/09

曲亭馬琴「兎園小説外集」第二 カピタン獻上目次 輪池堂

 

   ○カピタン獻上目次【文政九年丙戌[やぶちゃん注:一八二六年。]三月廿五日。】

かひたん。よはん、うゐるへるむて、すてゆるれる、五十二。

役人。へんでれき、びゆるげる、二十二。

外科。びいとるひりつと、ふるんすはん、しいぼると、二十二。

         大通詞  末永甚左衞門

         小通詞  岩瀨 彌十郞

猩々緋     二端   十六間程宛

黑大らしや   二    十六間程宛

靑茶いろ    二    同

花色同     二    同

茶色同     二    同

桔梗色     二    同

白同      一    十三間程

黃同      一    十六間程

濃鼠色同    一    同

緋小らしや   一    同

黑同      一    同

花色      一    同

桔梗色     一    同

緋フラタ    二    十三間程づゝ

黑同      二    同

靑茶色     二    同

緋ゴロフクレン 二    十五間程づゝ

黑同      二    同

千種色     二    同

新織奧縞    十    三丈五六尺づゝ

上奧縞     十    同

色大海黃    三十五  三丈二、三尺づゝ

蠟引尺長上更紗 廿五   八丈二、三尺づゝ

同皿紗     八十三  一丈五、六尺づゝ

   以 上

添獻上、

一ヲルゴル附火燈 一對【油注機硝子筒燈心。】

一本國織     二卷  一銀もふる 三卷

目錄【中奉書紙。】

添獻上、

一ヲルゴル附火燈 一對【油注機硝子筒燈心壹箱添。】

一本國織     二卷  一銀もふる 三卷

   以 上

 文政九年三月廿五日

カピタンの獻上ものは例の事にて、めづらしげなけれど、カピタンの印章あるが、おかしきなり。その印は別にうつしたり。

[やぶちゃん注:「かひたん。よはん、うゐるへるむて、すてゆるれる、五十二」一八二三年十一月二十日から一八二六年八月五日まで出島商館長を務めたヨハン・ウィレム・デ・スチュルレル(Johan Willem de Sturler 一七七六年〜一八五五年)。但し、年齢は数えでも五十一である。

「役人。へんでれき、びゆるげる、二十二」以下に記される知られたドイツ人医師で博物学者のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年~一八六六年):「シーボルト」は正確な音転写では「ズィーボルト」)である)に随伴した助手にビュルケル(Bürckel か)という人物がいたことが各種論文で確認出来る。

「外科。びいとるひりつと、ふるんすはん、しいぼると、二十二」当該ウィキによれば、彼は一八二三年八月(旧暦文政六年六月末から七月相当)に来日し、『鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となる。本来はドイツ人であるシーボルトの話すオランダ語は、日本人通辞よりも発音が不正確であり、怪しまれたが、「自分はオランダ山地出身の高地オランダ人なので訛りがある」「山オランダ人」と偽って』、『その場を切り抜けた。本来は干拓によってできた国であるオランダに山地は無いが、そのような事情を知らない日本人にはこの言い訳で通用した。エンゲルベルト・ケンペルとカール・ツンベルグとの』三『人を「出島三学者」などと呼ぶことがあるが、全員オランダ人ではなかった』。『出島内において開業の後』。『出島外に鳴滝塾を開設し、西洋医学(蘭学)教育を行う。日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義した。代表として高野長英・二宮敬作・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介らがいる。塾生は、後に医者や学者として活躍している。そしてシーボルトは、日本の文化を探索・研究した。また、特別に長崎の町で診察することを』、『唯一』、『許され、感謝された』。後には『出島に植物園を作り、日本を退去するまでに』千四百『種以上の植物を栽培した』。『また、日本茶の種子をジャワに送ったことにより同島で茶栽培が始まった』。『日本へ来たのは、プロイセン政府から日本の内情探索を命じられたからだとする説もある。シーボルトが江戸で多くの蘭学者らと面会したときに「あなたの仕事は何ですか」と問われて、「コンデンスポンデーヴォルデ」(内情探索官)と答えたと渡辺崋山が書いている』(但し、ここには要出典要請がかけられてある)。さらに、『オランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行、道中を利用して日本の自然を研究することに没頭』し、『地理や植生、気候や天文などを調査』し、後には『将軍徳川家斉に』も謁見し、『江戸においても学者らと交友し、将軍御典医桂川甫賢、蘭学者宇田川榕庵、元薩摩藩主島津重豪、中津藩主奥平昌高、蝦夷探検家最上徳内、天文方高橋景保らと交友した』。『来日まもなく一緒になった日本女性の楠本滝との間に娘・楠本イネを』もうけ、『アジサイを新種記載した際にHydrangea otaksa と命名(のちにシノニムと判明して有効ではなくなった)しているが、これは滝の名前をつけ』たものともされる。文政一一(一八二八)年に『帰国する際、先発した船が難破し、積荷の多くが海中に流出して一部は日本の浜に流れ着いたが、その積荷の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、地図返却を要請されたが』、『それを拒否したため、出国停止処分を受けた』後、『国外追放処分と』なった『(シーボルト事件)。当初の予定では帰国』から三『年後に再来日する予定だった』とある。但し、年齢は文政九年当時は、三十一歳である。

「フラタ」不詳。

「ゴロフクレン」オランダ語「grof grein」。江戸時代に舶来し、明治まで使われた荒い粗末な毛織物。

「千種色」「ちぐさいろ」。わずかに緑みを帯びた明るい青色。

「奧縞」「おくじま」。紺色に赤三筋の立て縞の入った唐桟(とうざん)織。将軍家がこれを袴にして大奥で着用したのでこの名があるという。別な辞書では、「奥」は「遠い国」の意で、インドを指すとし、サントメ縞(インドのマドラス(現在のチェンナイ)の港から渡来した縞織りの綿布。紺地に赤又は浅葱の細い縦縞の入ったものが多い。後に日本でも織られたが、舶来のものを「唐(とう)サントメ」、略して「唐サン」といった)の一つで、紺地に赤色入りの縦縞の綿織物とある。

「色大海黃」これは「色」「大淺黃」の誤記ではあるまいか?

「その印は別にうつしたり」印影は底本にも吉川弘文館随筆大成版にも、ない。]

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