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2021/12/06

「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「一」の(4) /「一」~了

 

[やぶちゃん注:以下の一段落は追加注記っぽい内容であるためか、底本では段落全体が一字下げとなっている。]

 

 畠山箕山の色道大鏡六に、「起請文を書く料紙は、先づ熊野牛王をもつて本とす、中村屋の鳳子小藤は、白紙なしに二月堂の牛王七枚張りにして細字にこれを書く、上林家の二世薰(かほる)[やぶちゃん注:読みはママ。]儉子も白紙なしに三山の牛王九枚綴にして書けり云々。明曆の頃中京の何某傾城に起請書かする爲に怖ろしき鬼形の牛王を新たに彫せて之を用ゆ、尤も作意働きて面白し故ありと覺ゆ」と有り。是等牛王は、もと起請を背かば牛形の鬼に罰せらるべしと云ふ意から起こつた證たるべきにや。

[やぶちゃん注:「畠山箕山の色道大鏡」畠山箕山(きざん 寛永三(一六二六)年~宝永元(一七〇四)年)は俳人・鑑定家。本姓は藤本。箕山は号。京の裕福な紅屋に生まれ、松永貞徳に俳諧を学び、古筆目利きを嗜んだ。二十歳の頃。京坂の廓をはじめとして、諸国の遊里の見聞を一書にすることを志し、承応三(一六五四)年頃に本宅を処分したのを機に、「深秘決談抄」の編集に着手し、「色道の大祖」を以って任じた。これが延宝六(一六七八)年に成稿をみた「色道大鏡」で、自己の見聞をもとに、疑わしい事柄は、古老や、その道の達人に質して執筆された、他に類を見ない遊里百科事典として知られる。他に「顕伝明名録」などの著がある(「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。以上の起請文の話は、国立国会図書館デジタルコレクションの同書の写本の同巻の「第二 起詞文 付 血書」ここの四行目から載るが、熊楠は途中を各所で省略している。

「明曆」一六五五年~一六五八年。]

 烏を神鳥とする事本邦に限らず、希臘に神アポロ烏に化(な)る話有り。女神ジユノは烏を使者とし次に孔雀に改めた。印度にはラマヤナムに、神軍鬼軍と戰ふて敗走する時烏來つて閻魔(ヤマ)を助く。其報酬に葬饌を烏の得分とし、烏之を享る時死人の靈樂土[やぶちゃん注:原文は「藥土」。選集で訂した。]に往き得と定む。希臘の古諺に、死ぬ事を烏の許に往くと言つた。今日も波斯[やぶちゃん注:「ペルシヤ」。]や孟買(ボンベー[やぶちゃん注:インドのボンベイのこと。])のパーシー人や西藏[やぶちゃん注:チベット。]人は、死屍を支解し又全體のまま禿鵰(ヴアルチユール)に食はす(衞藏圖識卷下、又 Sven Hedin, “Trans-Himalaya,”1909, pp. 371-372;Encyc. Brit. 11th ed., vol. xx. p. 867)。必ず烏腹に葬るを期せずとも、熱地で死屍や半死の人畜が鳥獸に食はれ終るに任す事多きは、予も親ら賭た[やぶちゃん注:「みづから、みた」。]。殊に惡疫流行して埋葬に人手乏しき時然り。雍州府志に、京都紫野古阿彌谷に林葬行はれ、死人を石上に置去り、狐狸の食ふに任せし由を載せ、元亨釋書に某皇后遺命して五體を野に棄しめ給ひしと見え、發心集には、死せしと思ひて野に棄てたる病女の兩眼を烏が食ふた譚有り。是等よりもずつと古く、埋葬の法簡略に過ぎた地方には、烏等に人屍を食るゝ事珍しからず。烏亦人の將に死なんとするを能く知つて其邊を飛廻り、或は鳴いて群を集むるより、之を死を予告する鳥又死を司る神使など言ふに及んだのであらう。十五年前予熊野の勝浦に在りし時、平見(ひらみ)と云ふ所の一松に烏來り鳴くと、必ず近き内に死人有りて少しも錯(あやま)り無しと。斯る事に一向無頓着な老人の經驗譚を聞いた。されば、本邦で烏を使ひ物とするは必しも熊野の神達に限らず、信州諏訪の宮(諏訪大明神繪詞上)、江州日吉山王(山王利生記一)、隱岐の燒火山(隱州視聽合記二)、越後の伊夜彥明神(東洋口碑大全一〇一〇頁)、肥前の安滿嶽(甲子夜話二三及八七)、其他例多かるべきが、熊野は伊奘册尊御陵の有る地で古くより死に緣有り、中世本宮を現世の淨土としたる樣子は源平盛衰記等に見え、今も妙法山を近郡の死人の靈が枕飯(まくらめし)出來る間に必ず一たび詣るべき所とするなど、佛法渡來前より死靈に大關係有る地としたなるべく、固より其地烏鵜[やぶちゃん注:選集は『烏鴉』とするが、採らない。鵜は黒く、古えは同類と考えた可能性を否定出来ないからである。]多かつたので、前述閻魔と烏との關係、また佛說に冥界後生の事を記するに必ず烏の事有る(例せば正法念處經七に、邊地夷人其國法の儘に姉妹と婬する者、死して合地獄に生じ、烏丘山(うきうせん)の鐵烏に苦められ、沙門にして梵行しながら涅槃行を笑ふ者、命終つて大紅蓮獄に墮ち、烏に眼と舌根を拔き耳を割き身を分散さる。大勇菩薩分別業報略經に强顏少羞恥、無節多言說、隨業獲果報、後受烏鳥身)等より、佛典渡來後熊野の烏は一層死と死後の裁判に關係厚く信ぜらるゝに及んだゞらう。支那にも、洞庭有神鴉、客帆過、必飛噪求食、人以肉擲空中哺之、不敢捕也(五雜俎九)と有る。

[やぶちゃん注:「女神ジユノ」ローマ神話最大の女神で、女性の結婚生活を守護し、主に結婚・出産を司るとされたユーノー(ラテン語:Juno)の英語読み。主神ユーピテルの妻。女性の守護神であることから、月とも関係する。神権を象徴する美しい冠を被った荘厳な姿で描かれる。ギリシア神話のヘーラーと同一視される。

「ラマヤナム」古代インドの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」。ヒンドゥー教の聖典の一つであり、「マハーバーラタ」と並ぶインド二大叙事詩の一つである。サンスクリットで書かれ、全七巻、総行数は聖書にも並ぶ四万八千行にも及ぶ。成立は紀元後三世紀頃で、詩人ヴァールミーキがヒンドゥー教の神話と古代の英雄であるコーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされる。ここで言及される鴉については、既に「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(10:烏)」で注しておいたので、そちらを参照されたい。

「支解」「肢解」とも書く。人体の両手・両足を切り離すこと。実際の刑罰としてもこの語があるが、ここは、速やかに鳥獣に食されてあの世に行けるようにするための処理である。

「衞藏圖識」清の馬掲(少雲)と盛縄祖(梅渓)が著わしたもので、乾隆五七(一七九二)年の序がある。上巻には成都からチベットに至る道程が、下巻にはチベット地誌が、地図や住民を描いた図とともに記されてある。熊楠は「下卷」とするが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここの、同書の「識略上卷」のここPDF)の「26」コマ目の「喪葬」の中に、「塲縛於柱剖其肉喂犬為地葬其骨以石臼搗成粉和麪搓團亦喂犬或飼諸鷹謂之天葬居以為大幸」の文字列が見出せる。「喂」は「家畜に餌を与える」の意である。ここが熊楠の指す内容と思われる。

「禿鵰(ヴアルチユール)」vulture。ここは旧大陸のタカ目タカ科ハゲワシ亜科 Aegypiinae のハゲワシ類を指す。

「Sven Hedin, “Trans-Himalaya,”1909, pp. 371-372」中央アジア探検で知られたスウェーデンの地理学者スヴェン・アンデシュ・ヘディン(Sven Anders Hedin 一八六五年~一九五二年)の一九〇九年刊の「トランス・ヒマラヤ――チベットでの発見と冒険」(Trans-Himalaya :Discoveries and Adventures in Tibet)。書名は、彼が、発見したヒマラヤ山脈の北にあってこれと平行し、カラコルム山脈に連なる山脈の名。「Internet archive」で二〇一〇年版他を見たところ、当該ページが‘DISPOSAL OF THE DEAD’(「遺体の廃棄」)の章で文字通りの内容が記されてある

「Encyc. Brit. 11th ed., vol. xx. p. 867」Internet archive」で当該部を見ると、前の866から始まる「Parsee(パルシー教徒:イスラム教徒の迫害を避けてインドに逃げたゾロアスター教の人々を指す)の項の記載の中に、鳥葬の場として知られる“ tower of silence ”(「沈黙の塔」)で粉砕された遺体を「vultures」(ヴァルチュール:ハゲワシ。この場合は鳥綱タカ目タカ科シロエリハゲワシ属インドハゲワシ Gyps indicus )が喰らうシーンが記されてある。私は小学校四年生の時に図書室にあった「世界の謎」(という書名だったように記憶する)の中で、この「沈黙の塔」のモノクローム写真を見た時の驚愕を今も鮮明に思い出す。誰もいない冬の昼休みの陽射しの中だった……。

「雍州府志」(ようしゅうふし:現代仮名遣)は医師で歴史家でもあった黒川道祐(どうゆう 元和九(一六二三)年~元禄四(一六九一)年)によって天和二(一六八二)年から貞享三(一六八六)年にかけて書かれた、山城国(現在の京都府南部)に関する本邦初の総合的体系的地誌。全十巻。以下の「京都紫野古阿彌谷」のそれは、「卷九」の「補遺」の「古蹟門 愛宕郡」の冒頭も「古阿彌ガ谷」として出る。「国文学研究資料館」の「電子史料館」のこちらで原本画像が見られる。訓点附きで読み易い。ここは、京の三大風葬地として化野(あだしの)・鳥部野・蓮台野が知られ、上記ンリンク先でも現在の北区紫野東蓮台野町や、その南東直近に大徳寺が記されてあるから、大内裏北方外に当たるこの附近である(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「元亨釋書」(げんこうしゃくしょ)は漢文体で記された日本初の本格仏教通史で、臨済僧虎関師錬(弘安元(一二七八)年~興国七/貞和二(一三四六)年)が鎌倉末期の元亨二(一三二二)年に完成させ、朝廷に上呈された。全三十巻。「某皇后遺命して五體を野に棄しめ給ひし」は、「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(10:烏)」でもそうだったが、今回、また、かなり頑張って探したが、どこにあるのか不詳。

「發心集には、死せしと思ひて野に棄てたる病女の兩眼を烏が食ふた譚有り」「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(10:烏)」の私の注で電子化してある。

「平見(ひらみ)」和歌山県東牟婁郡太地町太地のこの附近であろう。この半島の根っこから陸側が現在の東牟婁郡那智勝浦町である。

「隱岐の燒火山」「たくひやま」。西ノ島のここにある。

「隱州視聽合記」(いん(或いは「おん」)しゅうしちょうがっき:現代仮名遣)は寛文七(一六六七)年に記された隠岐国地誌。全四巻・地図一葉。かなり読み難い写本であるが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあるそれPDF)の「67」コマ目最終行から次にかけての「知夫郡燒火山緣起」の中に、山中に二羽のみ栖んでいる鴉が神使であることが載っている。個人ブログ「ハッシー27のブログ」の「焼火神社」の記事中に、『この焼火神社のお使は二羽の烏だとされていて、二十四日と二十八日(この方は山神のお祭)には、山神の木にいるという二羽の烏のためにお供えを鍋の蓋の上に載せて供えておくと、いつの間にか烏が食べてしまうといわれている。この烏がいつも二羽で、こどもが生まれると』、『もとの親はどこかへ行ってしまうと伝えていることも、紀州や薩摩の伝承と全く一致しているところである。この烏のことは漢文で書かれた縁起書にも出ている』とある。

「越後の伊夜彥明神」「いやひこみやうじん」。現在の正式名称は彌彦(いやひこ)神社。新潟県西蒲原郡弥彦(やひこ)村弥彦(地名は差別化して読み方が違う)にある。主祭神は天香山命 (あめのかごやまのみこと)であるが、地名から「伊夜日古大神」とも呼ぶ。

「東洋口碑大全一〇一〇頁」「大全」は「たいぜん」と読む。巌谷小波編で大正二(一九一三)年博文館刊。国立国会図書館デジタルコレクションで全篇が読める。当該箇所はここ(標題は前ページで「八一二 烏の使者」)。但し、大上段に振りかぶって興味をそそらせる題名の割には、各篇の内容がちょっと軽量に過ぎ、恐らく私だったら、買って損したと感ずるタイプの全書である。

「肥前の安滿嶽(甲子夜話二三及八七)」本注のために、急遽、二篇カップリングでブログで電子化しておいたので、参照されたい。

「妙法山」那智勝浦町にある妙法山。那智山の一角を占める。山腹に妙法山阿弥陀寺があ「枕飯(まくらめし)」死者の枕元に供える盛り切りの飯。人の死後直ちに、お椀の蓋すり切りの米を、研がずに、古式では日常の竃とは別に臨時の竃を設け、鍋・釜に蓋をせずに炊き、炊いただけを茶碗に盛るなどの作法がある。茶碗は死者が生前に常用したものを使い、箸を一本か二本、飯の上に突き立てたり、一本を立て、一本を横に挿す例もある。飯の一部を小さな握り飯にして上にのせ、「散飯(さば)」と呼ぶ地方もある。日常の食事で、一膳飯や箸を立てることを忌むのは、この枕飯を連想するためである。枕飯は祭壇に移し、葬列ではお膳に乗せて相続人の妻が持つ。墓前に供えるのが一般で、埋葬した上に霊屋(たまや)を設ける場合は、その中に入れる。枕団子を伴うことが多い。

「正法念處經七に、邊地夷人其國法の儘に姉妹と婬する者、死して合地獄に生じ、烏丘山(うきうせん)の鐵烏に苦められ、沙門にして梵行しながら涅槃行を笑ふ者、命終つて大紅蓮獄に墮ち、烏に眼と舌根を拔き耳を割き身を分散さる」これは原文から抜粋して、コンパクトに纏めたもの。「大蔵経テキストデータベース」の「正法念處經」のガイド・ナンバー「T0721_.17.0035b27」以下のかなり長いパートに相当する。

「强顏少羞恥、無節多言說、隨業獲果報、後受烏鳥身」訓読する。「强顏(きやうがん)にして、羞恥、少なく、無節にして、言說、多ければ、業(がふ)に隨ひて果報を得て、後に烏鳥(うてう)の身を受く。」。

「洞庭有神鴉、客帆過、必飛噪求食、人以肉擲空中哺之、不敢捕也」同前。「洞庭に神鴉(しんあ)あり。客帆、過(す)ぐれば、必ず、飛び噪(さは)ぎて、食を求む。人、肉を以つて擲(なげう)てば、空中に之れを哺(くら)ふ。敢へて捕えざるなり。」

「五雜俎」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。]

 且つ夫れ梵土に在ては烏と牛との間に深緣有り。バルフヲールの印度事彙(上出、卷一、頁八四四)に、印度の大黑烏(學名コルヴス、クルミナツス)は水牛有る處に必ず有つて其背に駐(と)まり、小ミナ烏と協力して牛蝨を除くと見ゆ。アリストテレスの動物志九卷六章に、埃及ニル河に小蛭多くて鱷[やぶちゃん注:「わに」。「鰐」に同じ。]の喉に入り之を苦しむ。トロキルスてふ小鳥、鱷口に入つて其蛭を食ふ。鱷之を德とし每に[やぶちゃん注:「つねに」。]口を滿開して烏の入るに便にすと有るは、今日も目擊し得る事實で、印度の烏と牛との關係に似て居る。古波斯のミツラ敎は日神ミツラを祀り牛と鴉を聖禽とした。烏と牛は本邦では雙[やぶちゃん注:「ふたつ」。]ながら主として著しく黑く人里離れぬ動物たる所へ、印度にも斯く二者親密の關係有るを傳承して、烏形を點じて牛王寶印を作成したのであらう。而して、烏を援(ひ)いて誓言する事は古雅典[やぶちゃん注:「古アテネ」。]にも有つた由、グベルナチスがアリストフアネスの詩を引いて言はれた(Gubernatis, ‘Zoological Mythology,’ vol. ii. p. 252)。

[やぶちゃん注:「バルフヲールの印度事彙(上出、卷一、頁八四四)」スコットランドの外科医で東洋学者エドワード・グリーン・バルフォア(Edward Green Balfour 一八一三年~一八八九年:インドに於ける先駆的な環境保護論者で、マドラスとバンガロールに博物館を設立し、マドラスには動物園も創設し、インドの森林保護及び公衆衛生に寄与した)が書いたインドに関するCyclopaedia(百科全書)の幾つかの版は一八五七年以降に出版されている。Internet archive」のThe Cyclopaedia of India (一八八五年刊第一巻)の原本のこちらの左ページ左欄に当該内容が出る。

「印度の大黑烏(學名コルヴス、クルミナツス)」上記原本では、「Corvues culminates」(当時は学名を斜体にする習慣はなかった)とある。これは、スズメ目カラス科カラス属インディアンジャングルクロウ(和名はないようなので、英名「Indian Jungle Crow」をカタカナ音写で示した。南方熊楠の命名が最初なら「インド(ノ)オオクロガラス」となろうか)Corvus culminatus である。英文の同種のウィキを参照した。

「小ミナ烏」原本では「the small minah (Acridotheres tristis)」とある。これは、アジア産鳥類の一種のスズメ目ムクドリ科ハッカチョウ属インドハッカ(印度八哥)Acridotheres tristis である。当該ウィキによれば、『開けた疎林にいる雑食性の鳥で、強い縄張りの習性を持つインドハッカは、都市の環境にも非常によく適応している』。『インドハッカの分布域は急速に拡大しており』、「IUCN(国際自然保護連合)種の保存委員会(Species Survival Commission: SSC)」は、二〇〇〇年に、本種について、「非常に侵略的な外来種の一つであり、地球上において、その上位百種の中でも、わずか上位三種の鳥類の内の一種」として『発表したように、インドハッカは生物多様性ならびに農業や人的利益に対して影響を与えて』おり、『特に、本種はオーストラリアの生態系に深刻な脅威をもたらして』いて、『それは「最重大有害種/問題」(The Most Significant Pest/Problem) などと名付けられている』とある。一方で『インドハッカ(英: Common Myna)は、インド文化の重要なモチーフとして』、『サンスクリットおよびプラークリットの文学の双方に見られる』とあるほどに古代からの共生者である。

「牛蝨」「うしじらみ」。ウシジラミ類は、例えば本邦では発生時には農林水産省に届け出が必要な種として、昆虫綱咀顎目シラミ亜目 ケモノジラミ科 ヘマトピナス属ヘマトピナス・ユーリステルナス Haematopinus eurysternus ・ヘマトピナス・クォードリペルターサス Haematopinus quadripertusus などが挙げられている。

「アリストテレスの動物志九卷六章に、埃及ニル河に小蛭多くて鱷の喉に入り之を苦しむ。トロキルスてふ小鳥、鱷口に入つて其蛭を食ふ。鱷之を德とし每に口を滿開して烏の入るに便にす」「ニル河」はナイル川であろう。しかし、所持する一九六九年岩波書店刊島崎三郎訳「アリストテレス全集」第八巻の当該部を見るに、「蛭」などとは言っていない(吸着性寄生生物がいるであろうことは間違いないが、海産魚類のような節足動物である可能性や小型の魚類がいてもおかしくない)し、微妙に対象様態の表現も違う。引用しておく。〔 〕は訳者の補足。

   《引用開始》

 ワニが口を大きく開けると、チドリ〔ワニドリ〕は口の中へとび込んで歯をきれいにする。チドリは〔口の中で〕餌を取り、ワニはそのお蔭をこうむっていることを知っているので、チドリを害せず、チドリを外で出したいと思うと、頸を動かして警告し、かまないようにするのである。

   《引用終了》

「ミツラ敎」ミトラ教(英語:Mithraism)は古代ローマで隆盛した太陽神ミトラス(ミスラス)を主神とする密儀宗教。古代のインド・イランに共通するミスラ(ミトラ)神の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって、地中海世界に入った後、形を変えたものと考えられることが多い。 紀元前一世紀には、牡牛を屠るミトラス神が地中海世界に現われ、紀元後二世紀までには、ミトラ教として、よく知られる密儀宗教となっていた。ローマ帝国治下で一世紀から四世紀にかけて興隆したと考えられている。しかし、その起源や実体については不明な部分が多い(以上は当該ウィキに拠った)。

「牛と鴉を聖禽とした」同前のウィキに、ミトラス神による聖牛供儀の場面を描く場合、種々のアイテムが付随するが、その一つに『カラス』『のシンボルを伴う』ものがあるとあり、また、ミトラ教では信者組織は七つの位階を持つとしてその筆頭を「大烏」と呼んだとある。

「グベルナチスがアリストフアネスの詩を引いて言はれた(Gubernatis, ‘Zoological Mythology,’ vol. ii. p. 252)」本書電子化で複数回既出既注だが、再掲しておくと、イタリアの文献学者コォウト・アンジェロ・デ・グベルナティス(Count Angelo De Gubernatis 一八四〇年~一九一三年)の「動物に関する神話学」。Internet archive」の第二巻原本の当該部はここ。]

 追記 長門本平家物語五に藤原成經硫黃が島に流されしを其情婦で淸盛に仕えた伯耆局慕うて止まず。豫ねて心懸け居た鳩脇八幡宮中の馬場執印淸道奇貨置くべしと考へ、成經方へ伴ひやるべしとして彼婦人同道で大隅に下り說けども三年間隨はぬ内成經と再會した譚有り。此女童名牛王殿と有る。是は佛典に牛王蟻王烏王馬王など有る、牛群中の王を指す名で、起請の牛王とは關せぬだらう。俊寬の侍童有王の外に蟻王てふ名の少年も有つたと記憶する。類聚名物考卅九に、徒然草上太秦殿に侍りける女房の名ひさゝち・ことつち・はふはら・おとうし、同考にひさゝちは膝幸、ことつちは如槌の意、はふはらは腹の大く垂て地を匍ふ如くに見ゆる故云ふならん、乙牛は字の如く小さきを云歟と記す。是等は單に下女共を牛の健牛の健[やぶちゃん注:「すこやか」。]にして能く働くに比べて號けた者だらう。(大正五年鄕土硏究三卷十一號)

[やぶちゃん注:「牛王殿」国立国会図書館デジタルコレクションの明治三六(一九〇六)年国書刊行会編の長門本「平家物語」のこちらの左ページ上段十一行目に出る。

「俊寬の侍童有王の外に蟻王てふ名の少年も有つたと記憶する」いる。複数の作品で確認出来る。

「類聚名物考」江戸中期の類書(百科事典)で全三百四十二巻(標題十八巻・目録一巻)。幕臣で儒者であった山岡浚明(まつあけ 享保一一(一七二六)年~安永九(一七八〇)年:号は明阿。賀茂真淵門下の国学者で、「泥朗子」の名で洒落本「跖(せき)婦人伝」を書き、「逸著聞集」を著わしている)著。成立年は未詳で、明治三六(一九〇三)年から翌々年にかけて全七冊の活版本として刊行された。国立国会図書館デジタルコレクションの画像で同刊本を視認したところ、ここに発見した。左ページ下段後方から次のページにかけてである。]

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