萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 騷擾
騷 擾
重たい大きな翼(つばさ)をばたばたして
ああなんといふ弱々しい心臟の所有者だ
花瓦斯のやうな明るい月夜に
白くながれてゆく生物の群をみよ
そのしづかな方角をみよ
この生物のもつひとつの切なる感情をみよ
明るい花瓦斯のやうな月夜に
ああなんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。
[やぶちゃん注:「花瓦斯」(はなガス)は花型のシェード等で綺麗に飾り立てられたガス灯のこと。装飾兼用の広告灯として用いられた。ガス灯は石炭ガス(石炭を高温で乾留して得られる燃料ガス。主成分はメタンと水素で、他に一酸化炭素・二酸化炭素・エチレンその他の炭化水素を含む)の燃焼時に発する光を利用した街灯。「裸火」と呼ばれる赤っぽい灯火に特徴がある。イギリスの発明家ウィリアム・マードック(William Murdoch(Murdock) 一七五四年~一八三九年)によって実用化され、広く使われるようになり(一七四二年頃)、本邦では横浜の伊勢山下石炭蔵跡(現在の横浜市中区花咲町本町小学校)に高島嘉右衛門の「日本社中横浜瓦斯会社」が造られ、フランス人技師ペレゲレンの設計・監督で事業化が行われ、明治五(一八七二)年九月一日に第一号の試験ガス灯が点灯、同月九月二十九日に、横浜外人居留地(現在の馬車道本町通り)に設置点灯された。にかけて日本最初のガス灯が点された。明治七年には、東京の「銀座煉瓦街」の建設に伴い、京橋と金杉橋間に八十五基のガス街灯が灯り、人々を驚かせた。点火夫が、毎夕、点火し、毎朝、消灯した。文明開化の象徴とされ、見物人が多く出た。明治二四(一八九一)年ころから白熱マントル(ガスマントル(Gas mantle)は布製品に金属硝酸塩が染み込ませたもので、最初の使用で熱せられると、目が細かくて脆い金属酸化物のメッシュになる。炎の熱はこの金属酸化物によって光になり、光度が増すのである)が用いられるようになって光度も増したが、関東大震災(大正十二年九月一日)の影響と、電灯の普及で姿を消した(複数の辞書や信頼出来るネット記載を複数閲して、合成した)。思うに、既にして、この「花瓦斯」の形容イメージは、一種の近代化の中のノスタルジアの属性を附帯しつつある時間にあったように私には感ぜられるのである。
本篇は「靑猫」所収の「月夜」の解題転載であるが、一行目の「翼(つばさ)」は「羽」(ルビ無し)から書き換えてある。「羽」を「つばさ」と読む読者はまずいないはずである。この部分の、この後の表記変遷は既に「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 月夜」で示してある。本篇の初出は大正六(一九一七)年四月刊の『詩歌』であるが、そちらでは電子化しなかったので、ここで以下に示す。題名が違い、「羽」には「つばさ」のルビがある。
*
深酷なる悲哀
重たい大きな羽(つばさ)をばたばたして、
ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ、
花瓦斯のやうな明るい月夜に、
白くながれてゆく生物の群をみよ、
そのしづかな方角をみよ、
この生物のもつひとつの切なる感情をみよ、
あかるい花瓦斯のやうな月夜に、
ああ なんといふ悲しげな、いぢらしい蝶類の騷擾だ。
*
さらに、筑摩版全集の「草稿詩篇 靑猫」には本篇の草稿とする無題詩がある。但し、表現上の飢渇的希求がキリスト教を意識し、しかも、より剝き出しで、直截的である。以下に示す。
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○
重たい大きな羽をばたばたして
ああなんといふ弱々しい心臟のためいきだ。所有者だ。
神さま
あかるい花のやうな美しい月夜に
遠い村々→家々ランプの燈灯(あかし)に向いて流れ始める
いぢらしい蟲けらの感情→群幸福をどうしたものだ、
いぢらしい
あかるい花のやうな美しい月夜のしづかさに。
ああ神さま、
あかるい花のやうな月夜のしづかさをどうしたものだ、
あなたの貴い福音をどうしたものだ。
*
完成形では、中途半端な宗教性が払拭されて、成功していると私は思う。]
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