曲亭馬琴「兎園小説別集」上巻 西羗北狄牧菜穀考(その2)
彫胡は、前に見えたる相如が賦に、「東廧・彫胡」と、ならべいへるもの、是なり。この彫胡の實は菰米なり。一名は茭米(こうべい)、一名は彫蓬、一名は彫苽、茭草(こもくさ)なり。この菰米をも、むかしの人は、飯となして、珍重せしよしなれど、元來、水草なれば、牛馬に飼ふものには、あらず。
[やぶちゃん注:既に述べた通り、「雕胡」(てうこ(ちょうこ))は単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae イネ族マコモ属マコモ Zizania latifolia の草体全体を指し、「茭米」(かうべい(こうべい))「彫蓬」(てうはう(ちょうほう))「彫苽」(てうこ(ちょうこ))「茭草(こもくさ)」は、その実のことである。私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 菰(こも) (マコモ)」を参照されたい。]
蒴藋(さくちやう/くさたづ[やぶちゃん注:右/左ルビ。])【「朔」・「弔」の二音。貝原は「クサタヅ」と和訓し、若水は和名を「ソクズ」と、いへり。】、貝原篤信が「筑前續風土記」、「土產」の條下に云、
『蒴藋、馬にかへば、馬の病を治す云々。』。「大和本草」を檢するに、卷の九に、篤信、亦、云、『蒴藋(くさたづ/さくちやう)、一名は陸英、又、接骨草・菫草。接骨(たづの)木と、葉は同じ。只、草と木と、同じからざるのみ。故にクサタヅといふ。「本草」に云々。』、『風ホロセに、身の痒きに、煎じて、洗ふ。又、煎浴湯に、酒、少し加へて、浴す。「本草」に出づ。又、和方にも、功能、多し【こゝには、馬のくすりなるよしを、いはず。「大和本草」を著せし後に、馬のくすりなるよしを、知りたるか。もし、しからずば、「大和本草」は、人の食藥を旨とするゆゑに、わざと、馬のことは、いはぬなるべし。】。』。是によれば、蒴藋は、能[やぶちゃん注:「よく」。]、接骨木(にはとこ[やぶちゃん注:底本は「にはこと」。吉川弘文館随筆大成版で訂した。])に似たる草なり。ニハトコをタヅといへるは、筑前の方言なるべし。江戶人の爲には、ニハトコ草といはゞ、こゝろ得やすかるべし。又、「本草綱目」卷の十六、「隰草の部」に云、『蒴藋【音、「朔・弔」。○「刷錄」[やぶちゃん注:「別錄」の誤字。]。】、稻若水、和名ソクズ[やぶちゃん注:太字下線部は底本では全体が囲み字。吉川弘文館随筆大成版では傍点「ヽ」。]、一名菫草、一名、茇、一名、接骨草、○「本草別錄」に曰、『蒴藋は田野に生ず。春・夏に葉を採る。秋・冬は莖根を採る。』。陶弘景が曰、『田野・墟村に、甚、多し。』。蘇恭が曰、『これ、陸英なり。』。宗奭が曰、『蒴藋は、花、白し。子[やぶちゃん注:「み」。]は、初は、靑し。綠豆の顆の如し。朶[やぶちゃん注:「えだ」と訓じておく。]每に、盞の面の大さ[やぶちゃん注:「さかづきのおもてのおおいさ」と訓じておく。]の如し。又、平生、一、二百の子あり。十月に至て、方に熟す。』。時珍が曰、『枝每、五葉なり。春、苗を生ず。莖に節あり。節の間に、枝を生ず。葉は水芹に似たり。古人、誤て[やぶちゃん注:「あやまりて」。]、陸英・蒴藋を二物とす。是、おのづから、一草なり。說、詳[やぶちゃん注:「つまびらか」。]に「陸英」の條に見えたり。今、略ㇾ之。
[やぶちゃん注:前に述べた通り、「蒴藋」(そくづ(そくず))は、現在では、マツムシソウ目レンプクソウ科ニワトコ属ソクズ Sambucus javanica を指す。
「貝原」「養生訓」で知られる福岡藩医師で本草家の貝原益軒篤信(あつのぶ 寛永七(一六三〇)年~正徳四(一七一四)年)。
「若水」」本草学者稲若水(とうじゃくすい 明暦元(一六五五)年~正徳五(一七一五)年) 初名は稲生(いのう)若水。名は稲生正治、或いは、宣義で、号を若水としたが、後に唐風に稲若水を名乗りとした。父は淀藩の御典医稲生恒軒で、江戸の淀藩の屋敷で生まれた。医学を父に学び、本草を福山徳順に学んだ。元禄六(一六九三)年に金沢藩に儒者役として召し出され、壮大な本草書「庶物類纂」の編纂を命ぜられた。同書は三百六十二巻で未刊に終ったが、後に丹羽正伯が引き継ぎ、一千巻とした。著書はほかに「食物伝信纂」・「炮灸全書」・「詩経小識」・「本草綱目新校正」などがある。
『貝原が「筑前續風土記」』福岡藩が編纂した地誌。貝原益軒に命じ、甥の貝原好古(よしふる/こうこ)や高弟竹田定直らとともに編纂した筑前国の地誌。元禄元(一六八八)年に下命を受け、元禄十六年に編纂が完了し、福岡藩四代藩主黒田綱政に上呈されたが、その後も改定が加えられ、宝永六(一七〇九)年に改訂版が完成した。筑前国内の村々を廻り、実地調査や実証に基づいて編纂が行われた。後に、江戸幕府が諸藩に地誌の編纂を奨励したが、「筑前国続風土記」の和文の遣い方や、本文の記載方法が手本になったとされる。以下は最終の第三十巻の「土產考 下」にある。「中村学園大学」公式サイト内の中村学園大学図書館蔵本の当該巻(PDF)の26コマ目に、
*
【蒴藋(くさだつ)】 處々にあり。馬にかへば馬の病を治す。接骨(たづ)木の葉に能似たる故に名づく。
*
とある。
「大和本草」宝永五(一七〇八)年、益軒七十九歳の時に完成させ、翌年に刊行された博物学的本草書。「本草綱目」の収載品の内、本邦に産しない対象及び薬効的に疑わしいものを除いて、七百七十二種を採用し、さらに他書からの引用や、日本特産品及び西洋渡来の品なども加え、千三百六十二種の薬物を収載している。因みに、海産生物フリークの私はブログ・カテゴリ『貝原益軒「大和本草」より水族の部』の電子化注を今年の六月に完成している。「中村学園大学」公式サイト内の中村学園大学図書館蔵本の当該巻(PDF)「大和本草卷之九」「草之五」の「雜草類」の27コマ目に(カタカナをひらがなに代え、約物は元に戻し、一部に推定で送り仮名を附し、記号を追加し、漢文読みの箇所は訓読した)、
*
蒴藋(くさたづ/さくてう) 一名「陸英」、又、「接骨草」・「菫草」。接骨木(たづのき)と、葉は同じ。只だ、草と木と、同じからざるのみ。故に「くさたつ」といふ。「本草」、『蒴藋と、陸英と、別物なり。』と云ふ說あり、故に陸英を別にのせたり。時珍は諸說を引きて『一物なり。』とす。「風ホロセ」、身の痒きに、煎じて、洗ふ。又、煎浴湯に、酒、少し、加へて、浴す。「本草」に出づ。又、和方にも、功能、多し。
*
この「風ホロセ」というのは、恐らく「風疿子(ふうほろせ)」で、「皮膚に小さくできる、つぶつぶした発疹・蕁麻疹」のことであり(「日国友の会」のこちらで確認)、広く蕁麻疹や風疹のことを指すようである。
「接骨木(にはとこ)」マツムシソウ目レンプクソウ科ニワトコ属ニワトコ亜種ニワトコ Sambucus racemosa subsp. sieboldiana 。当該ウィキによれば、『地方により、ヤマダズ(山たづ)』・『タズノキ』・『タヅノキ』・『ダイノコンゴウ(関東地方)』『などの方言名があ』り、『「山たづ」は』「万葉集」にも『詠まれた呼び名で、対生の羽状複葉をツルの羽を広げた姿に見立てたもので、ツルの古名「たづ」からきているとする説が』あるとある。葉や枝が、打撲・捻挫・あせも・湿疹・神経痛等の民間薬として古くから使われてきた。
『「本草綱目」卷の十六、「隰草の部」に云……』「漢籍レポジトリ」の同巻の、ガイド・ナンバー[045-74a] ・[045-74b] ・[045-75a]を見られたい(画像選択で影印本画像も見られる)。「蒴藋」があり、その前に「陸英」が立項されているのが判る。
『「刷錄」[やぶちゃん注:「別錄」の誤字。]。】』「本草別錄」書名であるが、不詳。「本草綱目」がよく引用する、梁の道士にして本草家(特に薬物学に精通していた)の陶弘景(四五六年~五三六年)が、数種の旧「神農本草経」四巻を校訂し、「名医別録」三巻の記載を合編して「神農本草経」三巻を作成した、と学術論文にあった。これらか。
「墟村」(きよそん(きょそん))で、「荒れ果てた村・辺境の村」の意か。
「蘇恭」蘇敬(五九九年~六七四年)の別称。初唐の官人で本草家。
「宗奭」宋代の本草学者寇宗奭(こうそうせき)。彼の著になる「本草衍義」は本草書の名著の一つとされ(一一一九年頃成立)、時珍は「本草綱目」でしばしば当該書を引いている。
「綠豆」マメ目マメ科マメ亜科ササゲ属ヤエナリ Vigna radiata 。
「水芹」日本原産の双子葉植物綱セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica 。]
氣味。苦く、寒にして、毒、なし。一に云、酸・溫にして、毒、あり。大明、曰、「苦凉にして、毒、なし。」。
主治は、骨間の諸痺、四肢拘攣・疼酸、膝痛、陰痿、短氣不足、脚腫【これ、「上本經」に見えたり。】。能く風毒を治し、脚氣上衝、心煩悶絕、水氣虛腫、風瘙皮肌、惡痒に煎湯に、少し、酒を入れて、浴すれば、妙なり【甄權が說、已上、陸英の主治なり。陸英・蒴藋、同物なるときは、主治も亦、同じかるべし。】。風瘙癮疹、身、癢く[やぶちゃん注:「かゆく」。「痒」と同義。]、濕痺には、浴湯となすべし【「別錄」】。瘑癩・風痺にも浴すべし【大明。】。
[やぶちゃん注:「瘙」は音「サウ(ソウ)」。「瘡」と同義。
「甄權」(しんけん)は唐代の医師。
「陸英の主治なり」先に示した「本草綱目」の「陸英」の最後に載っている。
「瘑癩」(くわらい(からい))はハンセン病による激しい皮膚炎のことか。
「風痺」中風。]
〇蒴藋の牛馬の病に宜きよしは、只、「筑前續風土記」に出るの外、本草に、絕て、いはず。しかれども、篤信は純篤博雅の人なり。必、經驗なき事をしるすべくも、あらず。本草によるときは、馬の、あし氣・馬瘡などには、必、效あるべし。この外にも、さまざま、病症に用ひて、ためして見たきものにこそ侍れ【陸英圖、略。】。
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミング補正した。キャプションは、
陸英蒴藋
であるが、陸英の図は略したと本文割注で言ってある。同一物だから、描く必要を感じなかったということであろう。因みに、探してみたら、「維基文庫」の「植物名實圖考(道光刻本)の第十一巻に「陸英」の図を見つけた。しかし、これ、――全然、違う! 少なくとも、この絵のそれは、同一物ではないぞ! 以下、
和名、俗にいふ「にはとこ草」、筑前方言「くさだつ」、山城方言「そくず」。此圖は、「本草圖經」乾の卷に見えたり。
とある。「本草圖經」は「その1」で既注。]
« 萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 散文詩 編註・「遊獵手記」 | トップページ | 萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 散文詩 遊泳 / 致命的に不全 »