曲亭馬琴「兎園小説外集」第二 御坊主伊東久勝忰宗勝橫死之話
○武藏州尾久村利右衞門養子文次郞、
親の仇、次郞右衞門を討留候御吟味
濟口聞書
蘐園
この一通は、寫し、別に有ㇾ之。
[やぶちゃん注:発会記録なので、こうした「何だかな?」って感じの記載があるのである。]
○丙戌八月二日夜、本所石原駒留橋邊
住居、御坊主伊東久勝忰、宗勝、
橫死の話
[やぶちゃん注:「丙戌」文政九(一八二六)年。
「御坊主」江戸幕府で茶礼や茶器を取り扱う役の数寄屋(すきや)坊主のこと。同朋頭(どうぼうがしら:若年寄支配)の配下で、茶室を管理し、将軍・大名・諸役人に茶を進めることを職務とする奥坊主組頭(五十俵持扶持高・役扶持二人扶持・役金二十七両・御目見以下)の下位。二十俵二人扶持高で・役扶持二人扶持、役金二十三両、御目見以下で、百人前後いた。因みに、芥川龍之介の実母の実兄で養父となった道章は、この出身であった。
「本所石原駒留橋」ここ(グーグル・マップ・データ)。]
伊東久勝忰
伊 東 宗 勝
同人僕
新 助【戌二十九歲。】
宗勝妹
そ で【戌二十二歲。】
同妹
み ち【戌十八歲。】
右新助事、かねて、主人娘「そで」と密通いたし罷在候處、宗勝、知り候て、暇遣し度存候得共、自分の所存にも任せがたき儀、有ㇾ之、依りて新助より暇願候て、退身いたし候樣に致度存、度々、叱り、或は、打擲致し候事有ㇾ之【宗勝、雪踏[やぶちゃん注:「せつた」。「雪駄」に同じ。]を以て、新助を打し事ありしといふ。】、新助、是を遺恨に存込、八月二日夜中、宗勝、寢間へしのび入、刄を以、宗勝を殺し【最初に、口中を劈て、ものいはざるやうにいたし、なぶり殺しにせしとぞ。この夜、久勝は泊り番にて在宿せざりし也。】、其身の臥所へ退候迄、家内のもの、是を不ㇾ知。程過て、宗勝、橫死の樣子を知り、驚くこと、大かたならず。久勝は親子勤に付、新助が外に僕一人あり【その名を知らず。】。宗勝妹「みち」、窃に[やぶちゃん注:「ひそかに」。]新助を疑ひ候に付、其曉、使に出たがり候を、方便を以、引留置、外一人の僕をはしらして、地請人、幷、隣家等へ、告しらせ候に付、人々、走り集り、吟味致し候處、新助、紙帳に、血つき、有ㇾ之、且、所持の葛籠[やぶちゃん注:「つづら」。]の内に、血刀、有ㇾ之に付、卽座に新助を綁り[やぶちゃん注:「しばり」。]置、及二公訴一。同月四日、檢使、相濟、新助は入牢の上、御吟味、有ㇾ之、主人の娘「そで」と密通の事迄、悉、及二白狀一。然る所、「そで」は逐電いたし【所親[やぶちゃん注:父母か。]、窃に逃させしとぞ。】、鎌倉の尼寺[やぶちゃん注:東慶寺であろう。]にかけ込罷在候處【いまだ、剃髮に及ばず。】、寺奉行へ被二召捕一、是亦、入牢の上、御吟味、有ㇾ之。同年十月、新助は日本橋に於て、さらしの上、磔罪に行れ、「そで」は遠島へ流されしと云【丁亥[やぶちゃん注:文政十年。]三月、出船とぞ。】。一老翁の話なり。
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