萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 俳句 / 「萩原朔太郎詩集 遺珠」(小學館刊)~了
俳 句
[やぶちゃん注:パート標題。]
(我が齢すでに知命を過ぎぬ)
枯菊や日々にさめゆく憤り
(若き日の希望(のぞみ)すべて皆空しくなりぬ)
秋さびし皿みな割れて納屋の隅
(鳴呼すでに衰へ、わが心また新しく泣かむとす)
冬日くれぬ思ひ起せや岩に牡蠣
(故鄕に歸れる日、利根の河原をひとり步きて)
磊落と河原を行けば草雲雀
(わが幻想の都市は空にあり)
虹立つや人馬賑ふ空の上
(隱遁の情止みがたく、芭蕉を思ふこと切なり)
籔蔭や蔦もからまぬ唐辛子
(晩秋の日、湘南の或る侘しき海水浴場にて)
コスモスや海少し見ゆる邸道
[やぶちゃん注:「知命」数え五十歳のこと。萩原朔太郎(明治一九(一八八六)十一月一日生まれ)は昭和一七(一九四二)年五月十一日、満五十五(数え五十七)歳で感冒をこじらせて肺炎で亡くなった。以上は、現在、筑摩版全集の「短歌・俳句・美文」の「俳句」パートで見られる。編者による仮標題は「『遺稿』より」で、当該全集の下段の原稿版では、「牡蠣」に「かき」とルビがあり、最終句の前書については、
*
晩秋の日、相南の或る侘しき海水浴塲にて
*
の表記となっている。また、同全集では先行する類句(初期形と言ってよい)への参考指示が「枯菊や」・「秋さびし」・「冬日くれぬ」・「虹立つや」の句に附されてあり、また、最後に編者注があって、この『遺稿の七句は、一括して雜誌發表の意圖があったらしく、自筆で割付指定がしてあった。』とあるから、まさに本書「遺珠」の掉尾に配するに相応しいものであったと言えるのである。なお、私は非常に古く、十七年前の二〇〇七年十月にオリジナルな「やぶちゃん版萩原朔太郎全句集」横書版と、同縦書版を公開してある。但し、作成がユニコード以前であるため、正字表記は不全である(ずっと直したいとは思っているのだが、朔太郎の俳句は御世辞にも上手くないので、今一つ、食指が動かないのが本音である。但し、以上の内、「枯菊や」と「秋さびし」及び「冬日くれぬ」の三句は朔太郎の代表句として評価できる出来栄えであると感じてはいる)のは、お許しあれかし。
さて。以下、「詩作品發表年譜」及び『「遺珠」小解』と本シリーズの「萩原朔太郞詩集(小學館刊)收錄内容」と奥附が続くが、『「遺珠」小解』は重要なので、既に本電子化注の冒頭に特異的に電子化済みであり、その他は敢えて電子化する価値を認めないので、以上のリンクに留めた。
最後に、投稿の都度、いつも、ツイッターで「いいね」をして下さった「みかげ」さんに心から謝意を表する。――ありがとう! みかげさん!――]
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