曲亭馬琴「兎園小説外集」第二 異形小兒圖 輪池堂 / 異形小兒圖 文宝堂
[やぶちゃん注:以上の通り、別々に異なった人物の発表であるが、親和性が頗る強いので、特異的に二本を纏めた。図も底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を二条のそれを一緒にトリミング補正した。一番左のそれが文宝堂の挿絵。]
[やぶちゃん注:本文に品川沖で拾い得たというのが一番右であろう。頭部が一つで首から下が完全な二体である。松前というのが、その左の二図(上にそれぞれ「表」(右)、「背」とある)であろう。こちらは頭部が二つ重合しており、頭髪らしきものも描かれてあり、或いは首から下の体部も毛深いものとして描かれているか。]
○異形小兒圖
一、品川沖にて拾得たる異兒文化九年[やぶちゃん注:一八二六年。]夏、出。實は作りもののよしなり。
一、松前にて魴魚の網より出、越後の船頭得ㇾ之。惣丈け、八寸五分[やぶちゃん注:二十六センチメートル弱。]、文化九年の夏、出。疑しきものなり。
【これ、傳聞のたがへるにて、前の物と
同じものなるべし。是等の事、松前に
ては、知るもの、なし。虛談ならんか。】
[やぶちゃん注:「魴魚」これは鰤で、条鰭綱スズキ目スズキ亜目アジ科ブリモドキ亜科ブリ属ブリ Seriola quinqueradiata と思われる。
「松前にては、知るもの、なし」これは馬琴の割注であろう。何故、はっきりこう言えるかと言えば、息子の滝沢興継が松前藩の医員だったからである。]
○異形小兒圖【又、一本。】
一、文政八乙酉二月十七日、本所柳島十軒川え、漂流したる、異形の嬰兒の圖。
丈一尺位、產毛、色、濃く、頰の邊まで生、臍は、四ツ股の眞中にあり。尤、女にて、陰門、兩方にあり。
予が伯父なるもの、本所淸水橋にあり、此伯父、召仕ひ林右衞門といふ者、近所の事なれば、十軒川へゆきて、見たるまゝを、うつし來りしなり。此小兒は、柳島のほとりなる一寺に葬りし、と、いヘり。
曲亭主人のしるされし、「雙生合體」と、いさゝかも、違はず。それは文化の酉の年、これは、文政酉の年[やぶちゃん注:文化十年癸酉。一八一三年。]、年はかはれど、一廻の同支にあたりて、同物の異形あらはれしは、尤、奇と云べし。依て、こゝに抄錄す。
[やぶちゃん注:江東区を流れる横十間川の柳島橋附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「本所淸水橋」同じ橫十間川の柳島橋の南方。ここ。
『曲亭主人のしるされし、「雙生合體」』本編のこれだが、図は、これ、はっきり言って、クリソツに過ぎて、怪しい感じがする。]
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