萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 内部への月影
内部への月影
憂鬱のかげのしげる
この暗い家屋の内部に
ひそかにしのび入り
ひそかに壁をさぐり行き
手もて風琴の鍵盤に觸れるはたれですか。
そこに宗敎のきこえて
しづかな感情は室内にあふれるやうだ。
洋燈(らんぷ)を消せよ
洋燈(らんぷ)を消せよ
暗く憂鬱な部屋の内部を
しづかな冥想のながれにみたさう。
書物をとりて棚におけ
あふれる情調の出水にうかばう。
洋燈を消せよ
洋燈を消せよ。
いま憂鬱の重たくたれた
黑いびらうどの帷幕(とばり)のかげを
さみしく音なく彷徨する
ひとつの幽(ゆか)しい幻像はなにですか。
きぬずれの音もやさしく
こよひのここにしのべる影はたれですか。
ああ内部へのさし入る月影
階段の上にもながれ ながれ。
[やぶちゃん注:初出は大正一一(一九二二)年四月発行の『帆船』。筑摩版全集から以下に示す。太字は底本では傍点「ヽ」。「欝」と「鬱」の混用はママ。「きぬづれ」もママ。
*
内部への月影
憂欝の影のしげる
この暗い家屋の内部に
ひそかに忍び入り
ひそかに壁をさぐり行き
手もて風琴の鍵盤にふれるはたれですか
そこに宗敎のきこえて
しづかな感情は室内にあふれるやうだ。
洋燈(らんぷ)を消せよ
洋燈(らんぷ)を消せよ
くらく憂鬱な部屋の内部を
しづかな冥想のながれにみたさう。
書物をとりて棚におけ
あふれる情調の出水にうかばう。
洋燈を消せよ
洋燈を消せよ。
いま憂鬱の重たくたれた
黑いびらうどの帷幕のかげを
さみしく音なく彷徨する
ひとつの幽しい幻像はなにですか。
きぬづれの音もやさしく
こよひのここにしのべる影はたれですか。
ああ内部へのさし入る月影
階段の上にもながれ、ながれ。
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