萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 野鼠
野 鼠
どこに私らの幸福があるのだらう
泥土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。
なみだによごれためるとんのづぼんをはいて
私は日傭人(ひやうとり)のやうに步いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。ルビ「ひやうとり」はママ(歴史的仮名遣は「ひようとり」でよい)。「靑猫」からの再録。「坭土」を「泥土」とし、三行目及び十一行目末の句点を除去している以外に異同はない。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 野鼠」と並べて見られたい。そちらで簡単な注を附してある。なお、私は五年前に朔太郎の個人的な半生のかなり赤裸々な告白回想である昭和一一(一九三六)年六月号『新潮』初出の「靑猫を書いた頃」を電子化注しているが、そこで本篇の一部を引用しているので、読まれんことを強くお勧めする。]
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