曲亭馬琴「兎園小説外集」第二 池笠問答 馬琴
○池笠問答
一、「七十一番職人盡」の内、繪詞、
「たかうれ」 此詞、いかゞ。
「さしちがへのさい」 いかゞ。
「ぼろ」 何業いたし候や。
「ちくの」 いかゞ。
「てうさいハ」 「調菜」歟。
「地しや」 何業いたし候や。
「あすしきかき哉」 「アヽスシ」歟。いかゞ。
「もうしやく」 いかゞ。
右付紙の處、御覽、承度奉ㇾ存候。頓首。
三月廿八日【文政九。】 輪 池
笠 翁 樣
[やぶちゃん注:附箋を附した疑問の語句が上段で、下段が疑問文。]
答
一、貴問、「職人合」の内、
「浦人、この繩、はや、きるゝは、たかうれ、」
「たかうれ」の詞は、「たく」といふにおなじく、「この繩は、きるゝ故、はやく、手ぐれ。」といふ事なるべし。「カ」・「ク」、音通にて、「カ」を音便にて「かう」といへるなり。
「さいずり、さしちがへのさいも云々、」
「さしちがへ」の節、未二得考一候。
「暮露、」
「ぼろぼろ」の討果せし事、「つれづれ草」に見えたり。「暮露」、正[やぶちゃん注:「せい」。正漢字(漢字表記)の意。]には「梵字」「漢字」といふよし、『後世の菰僧やうのもの』と、古人、註し候。愚、按に、「募露」は、をさをさ、梵聲を唱るものなるべし。梵聲は尺八をふかねば、よくしがたし、とぞ。智證大師は尺八をふかせられしよし、物に見えたれば、梵聲、すたれて、尺八ばかり吹くにや。よりて、「菰僧[やぶちゃん注:「こもそう」。虚無僧(こうむそう)。]やうのもの」といふなるべし。
「矢細工、これは、ちくのとて、あつらへられて候、」
「ちく」は「竹」なるべし。この右の箙[やぶちゃん注:「えびら」。]細工の詞に、「さかつらが[やぶちゃん注:底本は清音「か」。吉川弘文館随筆大成版で訂した。]なくて、柳ゑびらにする」といふに、むかへて、「ちくのとて」云々といふなるべし。矢は、元來、やなぎもて作れば、楊柳をヤノキといふ。「矢木」なり。さるを、竹もて作るは、後の事なり。○「箙」は、「かつら」もて作るものなるに、「柳ゑびら」は後の事なり。されば、彼此、その物を、とりちがへたるが、左右の滑稽なるべし。
「てうさい、さたうまんぢう、さいまんぢう、いづれも、よく、むして候、」
「てうさい」は御考の如く、「調菜」なるべく候。「さいまんぢう」は「菜饅頭」にて、菓子には「砂糖まんぢう」、又、あつものなどに用るを、「さいまんぢう」と、いひしなるべし。これ、今の「はんぺん」・「つみ入れ」やうのものにて、料理饅頭なり。料理饅頭の事、宋の石林が「避暑錄話」にも見えたれば、和漢同物たるべし【本書に別に「まんぢううり」を出したれば、その義、あきらかなり。】
「地しや、」
「をんな山伏」を「地しや」といふにや。今も、なにはわたりには、女の輪袈裟をかけて、錫杖を、ふり鳴らし、「さんげ、さんげ、」とて、市人の門に、たつ、あり。「地しや」のなごりなるべし。「地しや」の「地」は「山」に對する意にて、峯入せぬものなればにや。この六十一番左、『先だちの さんげさむけは 我やせん』とあるにて、「女山伏」と聞え候歟。「先だち」は「先達」也。「さんけさむけ」は「懺悔々々」なればなり。
「酢造、あ、すし、きかき哉、」
「あすし」は御考の如く、アは嘆美の詞にて、「書紀」に「大」を、アと、よませしに、おなじかるべし。「きかき」は「空搔」なり。
「心ふとうり、いふとめせ、ちうしやくも、入て候、」
「ちうしやく」は「酎酢」なり。醬油は、もちろん、酢をさして、くらふ事も相同じ【「酢」、又、「醋」。「さく」、又、「しやく」とも。】。
右、愚衷、卒爾ながら備二御笑一候。尙、又、御考御えらみ被ㇾ成候樣奉ㇾ存候。頓首。
三月廿九日 笠 翁
輪池先醒
[やぶちゃん注:これは、立項されている当代に頒布されている「職人尽(づく)し」「職人合わせ」に出てくる、当時の市中や職能集団内で新たに生じた聴き馴れない新語や符牒或いは口語表現・滑稽の言い回しについて、「笠」翁(りつをう(りつおう))瀧澤解(とく)著作堂馬琴に、輪「池」屋代弘賢が質問し、それに答えたもので、それで標題が「池翁問答」となっている。終りの方の一部の語句で、意味のよく判らない箇所があるが、興味もないので、特に挙げなかった。悪しからず。
『「ぼろぼろ」の討果せし事、「つれづれ草」に見えたり』百十五段。「ぼろぼろ」或いは「ぼろ」は後の虚無僧の古称。「梵論」「暮露」「梵字」とも書き、「ぼんじ」「ぼろんじ」とも呼んだ。半僧半俗の物乞いの一種で、鎌倉末期に発生した。当初の実態は無宿渡世の賤民であった。
*
宿河原(しゆくがはら)[やぶちゃん注:摂津国三島郡。現在の大阪府茨木市宿川原町(ちょう)附近(グーグル・マップ・データ)。]といふ所にて、「ぼろぼろ」、多く集まりて、九品(くほん)の念佛を申しけるに、外より入り來たるぼろぼろの、
「もし。この御中(おんなか)に、『いろをし房(ばう)』と申すぼろや、おはします。」
と、尋ねければ、その中(なか)より、
「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰(た)ぞ。」
と、答ふれば、
「『しら梵字(ぼんじ)』と申す者なり。己(おの)れが師、なにがしと申しし人、東國にて、『いろをし』と申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり。」
と、言ふ。
いろをし、
「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて對面し奉らば、道場を汚し侍るべし、前の河原へ參りあはん。あなかしこ、わきざしたち、[やぶちゃん注:「傍輩衆よ!」。]いづ方をも、みつぎ[やぶちゃん注:助勢。]給ふな。あまたのわづらひにならば、佛事の妨げに侍るべし。」
と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫(つらぬ)き合ひて、ともに死ににけり。
「ぼろぼろ」といふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、「ぼろんじ」「梵字」「漢字」など言ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執(がしふ)、深く、佛道を願ふに似て、鬪諍(とうじやう)を、事とす。放逸無慙(はういつむざん)[やぶちゃん注:勝手気儘にやり放題し、罪を作って、何ら恥じない人非人。]の有樣なれども、死を輕くして、少しもなづまざるかたの[やぶちゃん注:少しも生に執着しない様子に。]、いさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書き附け侍るなり。
*
「さかつら」「さかつらえびら」「逆頰箙」の略。箙の一種。腰に対する当たりを和らげる目的に加え、装飾を兼ねて、矢の根を差す箱(方立(ほうだて))を猪の毛皮で包んだもの。一枚の皮で包むため、毛並みが背面は下に、他の三面は逆に上に向くところからかく呼んだ。主将以下が軍陣に用い、公卿の随身も用いた。
「石林」北宋末から南宋初の政治家で文学者の葉夢得(しょうぼうとく 一〇七七年~一一四八年)。石林は号。一一〇八年、翰林学士となったが、権力者蔡京と対立し、左遷された。「靖康の変」の後、戸部尚書となり,金に対抗する策を上疏し、その後も、しばしば建策を重ねたが、人と合わず、崇信軍節度使で辞職した。詩文ともに高雅で、宋の南渡後、陳与義に次いで文名が高かった文人であった。主著は本書の他に「石林詩話」・「石林燕語」・「石林居士建康集」などがある。
「酎」はここでは濃い酒。酢の準備段階でのアルコール発酵を含んだ意味か。
「愚衷」(ぐちゆう(ぐちゅう))自分の本心を遜って言う語。
「先醒」(せんせい)自分より先に人としての道を知っている人。先覚。]
« 萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 斷片 (無題)(ひとりぼんやり) / 筑摩版全集の「未發表詩篇」にある(無題)(頭痛の原因をしらべるために)の別稿断片と推定 | トップページ | 曲亭馬琴「兎園小説外集」第二 筑後柳川風流祭再考圖說 海棠庵 »