萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 冬の海の光を感ず
冬の海の光を感ず
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
さびしい大浪(おほなみ)の音(おと)をきいて心はなみだぐむ。
けふ沖の鳴戶を過ぎてゆく舟の乘手はたれなるか
その乘手等の黑き腕(かひな)に浪の乘りてかたむく
ひとり凍れる浪のしぶきを眺め
海岸の砂地に生える松の木の梢を眺め
ここの日向に這ひ出づる蟲けらどもの感情さへ
あはれを求めて砂山の影に這ひ登るやうな寂しい日だ
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
ああわたしの憂愁のたえざる日だ
かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ
あの大きな浪のながれにむかつて
孤獨のなつかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ
わたしの傷める肉と心。
[やぶちゃん注:初出は大正六(一九一七)年二月号『感情』。筑摩版全集で初出形を示す。表記は総てママ。
*
冬の海の光を感ず
遠くに冬の海の光を感ずる日だ
さびしいきおほなみの音をきいて心は淚ぐむ。
今日し沖の鳴戶を過ぎてゆく舟の乘手はたれなるか
その乘手らのくろき腕(かひな)に浪ののりてかたむく
ひとりこぼれる浪のしぶきを眺め
海岸の砂地に生える松の木の梢を眺め
ここの日向に這ひ出づる虫けらどもの感情さへ
あはれを求めて砂山のかげに這ひ登るやうな寂し日だ
遠くに冬の海の光をかんずる日だ
ああ わたしの憂愁のたえざる日だ
かうかうと鳴るあの大きな浪の音をきけ
あの大きな浪のながれにむかひて
孤獨のなつかしい純銀の鈴をふり鳴らせよ
わがいためる肉と心
*
「今日し」の「し」は強意の副助詞であろう(「しも」の「も」の脱落ではない。以下の草稿を参照されたい)。「寂し日」は「は」の脱字か、誤植である(同前参照)。筑摩版全集の「草稿詩篇 蝶を夢む」に本篇の草稿「海岸に來る」が掲げられてある。以下に示す。不審な箇所は総てママである。
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海岸に來る
心に→遠くに海の面遠くに冬の光を感ずる日だ、
さびしき大浪の音をきいて心は淚ぐむ、
沖を今日し今日し沖をのを渡りゆく舟にの嗚戶をすぎ行く舟の乘手はたれなるか、
その乘手らの笑顏に黑き腕に浪ののりてかたむく、
あはれを呼びて散らんする鷗とぶ砂原鷗の唄をきけねかし、
いま日を背にうけて我はひとりであるいているのだ、こゝに座るこゝの海岸に書物をよむ→たゝづむ→日をくらす來る、
海岸にきたる、遠く冬の海の光をかんずる日の
この海岸の砂地に 生えて 伸びて生長する松の木の 梢 幹の太さよ、
かなしき神經の
それを眺めつつ私は
あはれ松の木の幹の太 さよ くたくましさよ、
沖より一人かへるもの
むなしき 魚 ビクをさげて
こゝの海岸の砂地に生ひて生長する松の木の幹の
さびしき海岸の砂地に生える松の木をもとめながめ
こほれる浪のしぶきをながめ
日向に這ひ出づる蟲けらどもの感情さヘ
あはれ、あはれ松の木の幹に砂山のかげに這ひのぼるやうなさびしい日だ、
遠くに冬の海の光を感ずる日だ
ああ、わたしの憂愁の絕えざる日だ、
かうかうといふあのおほきな浪の音をきけ
あのおほきな浪の流れに向ひて
孤獨の銀色の鈴をふりならせ
孤獨のおそろしいなつかしい銀色純銀の鈴をふり鳴らせよ、
わがいためる心肉と心、
*]
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