萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 眺望
眺 望
旅の記念として、室生犀星に
さうさうたる高原である
友よ この高きに立つて眺望しやう。
僕らの人生について思惟することは
ひさしく既に轉變の憂苦をまなんだ
ここには爽快な自然があり
風は全景にながれてゐる。
瞳(め)をひらけば
瞳は追憶の情侈になづんで濡れるやうだ。
友よここに來れ
ここには高原の植物が生育し
日向に快適の思想はあたたまる。
ああ君よ
かうした情歡もひさしぶりだ。
[やぶちゃん注:二行目「しやう」はママ。「情侈」は「じやうし」と読むのだろうが、熟語としては「情歡」以上に見慣れない。「己の回顧感情の恣(ほしいまま)にすること」という謂いではあろう。なお、添え辞は、以下の初出から見て、前年大正一〇(一九二一)年夏七月下旬に、室生犀星に室生が避暑に馴染んでいた軽井沢から電報を寄せ、軽井沢に招かれ、ともに妙高山麓の赤倉温泉に遊んでおり、この時の遊興を指していると考えてよい。
初出は大正十一年二月号『日本詩人』。以下に示す。
*
眺望
旅の記念として、室生犀星に
さうさうたる高原である
友よ、この高きに立つて眺望しよう。
僕らの人生について思惟することは
ひさしく既に轉變の憂苦をまなんだ。
ここには爽快な自然があり
風は全景にこがれてゐる。
瞳(め)をひらけば
瞳(め)は追憶の情侈になづんで濡れるやうだ。
友よここに來れ
ここには高原の植物が生育し
日向な快適の思想はあたたまる。
ああ 君よ
かうした情歡もひさしぶりだ。
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