毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 海鰕(イセエビ) / イセエビ
[やぶちゃん注:底本のこちら。優れて大振りに描かれた大作で、個人的には画像サイズを百%にしたかったが、かなり大きな私のものを含め、多くの方のディスプレイからは、はみ出してしまうので、五十%で我慢した(【夜に追記】実はそうではなく、このブログでは自動的にサイズが小さくなるのであった。原サイズを見たい方は、これ。やっぱ、ええな!)。電子化は右上・下方(二箇所)・左上の順に起こした。但し、今回の文章は、随所に不審があり、正常に訓ずることが難しい。かなり私自身が勝手に語を挿入した箇所も多いので、必ず図譜の記載と対照して読まれたい。]
「多識」
海鰕【「いせゑび」。「うみゑび」。「かまくらゑび」。】紅鰕【藏噐。】
鰝(かう)【「尓雅」。】
此者、國俗、春盤(しゆんばん)の飾(かざり)に之れを用ふ。淺草及び神田、又、所々の「年の市」に多く賣る。伊勢より、多く鹽(しほ)に和して送る。故に「伊勢ゑび」と云ふ。鎌倉よりも多く出だす。故に又、「かまくらゑび」と云ふ。
「大和本草」曰はく、『凡そ、蝦には毒あり、多食すべからず。瘡腫(さうしゆ)及び痘疹(とうしん)を患へる者、食ふ勿れ。久しくして、味、變じたる、尤も毒あり。雷公曰く、「鬚の無き者、及び、煮熟(にじゆく)して、反(かへ)つて白く色の変ずる者、大毒(たいどく)有り。」と。靑蝦(あをえび)は、海草の中に生ず。毒、有り。食ふべからず。雞(にはとり)、之れを食へば、必ず、死す。』と。又、海江に生ずる「ゑび」と「荏ごま」と[やぶちゃん注:「合はせて」の脱か。]食ふべからず。荏胡麻の油に[やぶちゃん注:「鰕を」の脱か。]煎(いり)製する豆腐、食ふべからず。人を、大いに毒し、立つに、腹痛し、甚だしければ、死に至る。救ふ術(すべ)なし。又、傘の紙、桐油紙に包み、遠くに寄す時は、必ず、大毒有り。
甲午(きのえむま)正月十五日、眞寫す。
王世懋(わうせいぼう)「閩部疏(びんぶそ)」曰はく、「龍蝦」【「いせゑび」。「かまくらゑび」。】
蝦【「和名抄」に、『ヱビ』。「本朝式」に「海老」の字を用ゆ。「神祇式」に「魵」の字を用ゆ。「本草綱目」に出づ。鰕、和漢典に「ゑび」は惣名(さうめい)なり。諸州、有りといへども、伊勢及び相州鎌倉、名産なり。故に「いせゑび」・「かまくら」の名あり。其の殻、紅にして、冬、殻を代はる者を「ヤワラ」と云ふ。南海、大なる者、最もあり。「延喜式」に伊勢・摂津・和泉の國より貢す。古へより、賀壽の蓬來盤中に置き、又、門松の飾りとす。皆老(かいらう)をしとふ壽祝の義なり。】
[やぶちゃん注:抱卵(エビ)亜目イセエビ下目イセエビ上科イセエビ科イセエビ Panulirus japonicusと同定してよかろう。梅園も参照していることが判る、私の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海蝦」を参照されたい。なお、ウィキの「イセエビ」によれば、『日本列島の房総半島以南から台湾までの西太平洋沿岸と九州、朝鮮半島南部の沿岸域に分布する。かつてはインド洋や西太平洋に広く分布するとされたが、研究が進んだ結果、他地域のものは別種であることが判明した』とある。一般人はデカい海老は、直ぐに「イセエビ」と呼ぶ傾向がある。素人目で見たって明らかに違う種であることが判る別種を、何でも「イセエビ」と言いたがるのは、一種の生物学的阿呆ファシズムの悪しき症例である。なお、私の「日本山海名産図会 第三巻 海鰕」もお薦め!
「多識」前回既出の林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあったので、調べたところ、「卷四」のこちらに「海鰕」の項があり、そこに「海鰕【「宇美恵比」。今、俗に云く、「伊世恵比」。】」とあった。
『海鰕【「いせゑび」。「うみゑび」。「かまくらゑび」。】』そうさな、私の「鎌倉攬勝考卷之一」の「物産」がいいか。ちょうど、そこは、幸いにして、ブログ版でも公開しているので、すぐに見るには、「鎌倉攬勝考卷之一 物産 / 全テクスト化・注釈完了」がよかろう。そこでは、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「紅蝦」(イセエビ相当)を、原文・図・訓読及び私の注もひっくるめて引用しておいたから、こりゃ、もう、完璧だわい。
「藏噐」「本草綱目」で時珍が盛んにその記録を引用する唐の本草家陳蔵器のこと。「本草拾遺」(全十巻・七三九年成立)は本草学の古い名著とされる。
「鰝(かう)」イセエビなどの大きな海老を指す漢語である。本邦では、これで「いせえび」とも読ませているが、正しい訓とは言えない。大修館書店の「廣漢和辭典」でも意味では、あくまで『おおえび』である。こんな漢字を「いせえび」と読むんだと、ほくそ笑んでいる漢検馬鹿がいた。哀れなもんだ。
「尓雅」中国の古字書「爾雅」(じが)の略字。漢の学者らが、諸経書、特に「詩経」の伝注を集録したものとされる。全体が十九の篇から成り、「釈詁」篇は古人が用いた同義語を分類し、「釈言」は日常語を、「釈訓」はオノマトペを主とする連綿語(二音節語)などの同義語を分類しており、以後の「釈親」・「釈宮」・「釈器」・「釈楽」・「釈天」・「釈地」・「釈丘」・「釈山」・「釈水」・「釈草」・「釈木」・「釈蟲」・「釈魚」・「釈鳥」・「釈獣」・「釈畜」は、事物の名前や語義を解説している。古語を、用法と種目別に分類・解説した最古の字書で、現在も経書の訓詁解釈の貴重な史料であり、注釈書としては、晉の郭璞注と宋刑昺(けいへい)の疏を合わせた「爾雅注疏」が最も知られる。古くより、周公旦、又は、孔子とその弟子の手が加えられたという説があったが、現在は否定されている。
「春盤」「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海蝦」の私の「春盤」の注を参照されたい。
『「大和本草」曰はく、『凡そ、蝦には毒あり、多食すべからず。瘡腫(さうしゆ)及び痘疹(とうしん)を患へる者、食ふ勿れ。久しくして、味、變じたる、尤も毒あり。雷公曰く、「鬚の無き者、及び、煮熟(にじゆく)して、反(かへ)つて白く色の変ずる者、大毒(たいどく)有り。」と。靑蝦(あをえび)は、海草の中に生ず。毒、有り。食ふべからず。雞(にはとり)、之れを食へば、必ず、死す。』と』は「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蝦」を参照されたいが、正確な引用ではない。以下の出所不明の部分など、どうも梅園はこうした書誌学的な引用の正確さに欠けるところが随所で見受けられる。そうしたバイアスをかけて読まれたい。
『海江に生ずる「ゑび」と「荏ごま」と[やぶちゃん注:「合はせて」の脱か。]食ふべからず。荏胡麻の油に[やぶちゃん注:「鰕を」の脱か。]煎(いり)製する豆腐、食ふべからず。人を、大いに毒し、立つに、腹痛し、甚だしければ、死に至る。救ふ術(すべ)なし。又、傘の紙、桐油紙に包み、遠くに寄す時は、必ず、大毒有り。』以上の引用元をご存知の方はお教え願いたい。まず、縦覧してみたが、「大和本草」ではないようである。他に「本草綱目啓蒙」なども調べたが、どうもないようだ。「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の巻四十四の「鱗之三」の[104-51a]の「鰕」には毒性(但し「小毒」とする。しかし、その解説では『氣味。甘溫、有小毒。【詵曰、生水田及溝渠者有毒。鮓内者尤有毒。藏器曰、以熱飯盛宻器中作鮓食、毒、人至死。弘景曰、無鬚及腹下通黒、并、煮之色白者、並不可食。小兒及雞狗食之脚屈弱。鼎曰、動風發瘡疥冷。積源曰、動風熱有病人勿食。】』とある。しかし、そもそもイセエビで、死に至る強毒個体というのは、私は聴いたことがない)が語られてあるが、ここの内容とは御覧の通り、一致を見ない。第一、ここはエゴマ(シソ目シソ科シソ亜科シソ属エゴマ Perilla frutescens var. frutescens )の種から採った油との「食い合わせ」で、どうも胡散臭い。
「甲午(きのえむま)正月十五日」天保五年一月十五日はグレゴリオ暦一八三四年二月二十三日。
『王世懋(わうせいぼう)「閩部疏(びんぶそ)」』明の政治家王世懋(一五三六年~一五八八年)の著になる「閩」=福建省の地誌。原文は「中國哲學書電子化計劃」のここにある中の、ここの影印本の八行目下方から。
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而最奇者龍蝦、置盤中猶蠕動、長可一尺許。其鬚四繚、長半其身、目睛凸出、上隱起二角、負介昂藏、體似小龍、尾後吐紅子、色奪榴花、眞奇種也。
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中国産なので同定には慎重になるが、この内容は分布と場所からみて、イセエビと採って無理がないようには見える。イセエビは中文ウィキで「日本龍蝦」と表記している。但し、中文ではイセエビ属 Panulirus を「龍蝦屬」としており、同属は世界で二十二種を数えるから、やはり同定比定するのは躊躇される(中国産イセエビ属を調べるのは面倒なので、悪しからず)。
『「和名抄」に、『ヱビ』』「倭名類聚抄」には、巻第十九の「鱗介部第三十」の「龍魚類第二百三十六」のここに(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年刊本)、
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鰕(エヒ) 七卷「食經」に云はく、『鰕【音「遐(カ)」。和名「衣比」。俗に「海老」の二字を用ゆ。】の味、甘、平にして、毒、無き者なり。』と。
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とある。
「本朝式」「延喜式」のこと。
「神祇式」「延喜式」の巻一から巻十までの神祇官関係の格式(律令の施行細則相当)。
「魵」(音「フン」元は斑(まだら)・斑点を持つ魚類を指すが、それが目立つことからエビ類の総称となった。
『「本草綱目」に出づ』これは先に示したエビ相当の「鰕」が載ることを言っているだけのこと。
『冬、殻を代はる者を「ヤワラ」と云ふ』不審。イセエビの脱皮時期は日長の影響を強く受けて決まり、日長が短い晩秋から冬は脱皮頻度が低下するからである(「三重県」公式サイト内の「今日のイセエビ」を参照した)。「ヤハラ」は恐らく「やはら」で、「やはらかし」由来と考えてよい。脱皮しばかりのイセエビの外骨格は、身と一緒に生で食べられるほど、柔らかいからである。
「しとふ」「慕(した)ふ」に同じ。]
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