伽婢子卷之十三 蝨瘤
○蝨瘤(しつりう)
[やぶちゃん注:挿絵は今回は「新日本古典文学大系」版をトリミング補正して用いた。]
日向の國諸縣(もろかた)といふ所に商(あき)人あり。
[やぶちゃん注:「日向の國諸縣」現在の宮崎県及び一部は鹿児島県にあった旧郡。当該ウィキ及び郡域地図を参照。]
背(せなか)に、手の掌(ひら)ばかり、熱ありて、燃ゆるが如し。
廿日ばかりの後に、熱、冷めて、又、痒き事、いふ許りなし。漸(やうや)く、腫上(はれあが)り、盆をうつぶせたるが如し。
大に腫るゝに隨ひて、猶、痛みは少《すこし》もなく、只、痒き事、堪へ難し。
此故に、食事、日に隨ひて、進まず、瘦せ衰(おとろ)ふるまゝに、骨と皮とに、なれり。
遍(あまね)く、諸方の醫師(くすし)に見せ、本道《ほんだう》・外科(げくわ)、手を盡くして、内藥を與へ、膏藥を塗れ共、少しも、驗(しる)し、なし。
[やぶちゃん注:「本道」平凡社「世界大百科事典」によれば、『医学用語では漢方の内科系医学を指す。内科系治療法が薬物をおもに内用(内服)させる内治の術であるのに対し』て、『外科系では薬物を外用させたり手術を施して治療する外治の術が行われた。中国でいう外科の呼称は内科との対比で用いられた。日本で室町期の戦乱の世が要求した医術技術の分科として生まれた外科系専門医に中国で用いられている外科の呼称を採用するに当たって』、『その名が初出する』「太平記」『では本道・外科と対比させて用いている』とある。]
其の比(ころ)、南蠻の商人舟《あきんどぶね》に、名醫の外科章全子(ちやくてるす)といふ者、渡りて、此の病《やまひ》を見て、いふやう、
「是れ、更に、世に希(まれ)なる病也。此故《このゆゑ》に、世に、人、多く、知らず。是れ、『蝨瘤(しつりう)』と名付く。皮肉(ひにく)の間(あひだ)に、蝨(しらみ)、湧き出《いで》て、此《この》患《うれ》へを致す。我、よく、是れを愈すべし。」
とて、腫物(はれもの)のめぐりに、縛(しばり)をかけ、其上に藥を塗りたり。
[やぶちゃん注:「商人舟《あきんどぶね》」この読みは「新日本古典文学大系」版脚注に拠った。但し、それは本書の読みとしてあるのではなく、「吉利切丹御対治物語」の上を引いたそれに拠ったのである。実は本書では、本篇に至るまで、私が視認してきた限りでは、底本にも元禄版にも「商人」にはフルの読みが附されていたことがない。あっても(この場合もそうだが)、「商(あき)人」と「商」にしか振られていないのである。されば、私はここまで、「商人」を了意がどう読んでいるかについては、留保してきた。「あきんど」か「あきびと」か判断がつかなかったからである。しかし、浅井了意は生まれが、摂津国三島江(大阪府高槻市)にあった浄土真宗本照寺住職の子であり(但し、叔父が出奔事件を起こし、父も連座で宗門追放され、浪々の身となった)、江戸にいた時もあるようだが、京都・大坂に住み、延宝(一六七三年~一六八一年)の初年に、京都二条菊本町正願寺の二世住職となっているから、彼のネイティヴな言語は本来的には関西であると考えてよく、されば、今までの「商人」も「あきんど」と読んでよかろうかと思われる。
「章全子(ちやくてるす)」不詳。「新日本古典文学大系」版脚注に、『わざわざ、唐音の発音を振仮名に付けたのは、南蛮外科の効能を装って、ことさら南蛮人めかしたものか』とあり、腑に落ちた。]
扨、語りけるやう、
「世の人、或は、其の身に蝨(しらみ)の湧き出《いづ》る事、一夜の内に、或は、三升・五升に至り、衣裝に滿ち滿ち、血肉(けつにく)を、吸ひ、食ふ。痛み、痒き事、いふばかりなし。されども、病人の身にのみ有りて、他人には、取りつき移らず。是れは又、間々(まゝ)ある事にて、療治の手だて、世の醫師(くすし)、是れを知《しり》たり。今、此しらみは、肉の間に生じて、皮より下に、あり。人、更に、知り難し。今夕、必ず、驗し、有るべし。」
と、いひける。
其夜、瘤(こぶ)のいたゞき、破れて、蝨の湧き出る事、一斗ばかり、皆、よく、足、あり。
大さ、胡麻(ごま)の如く、色、赤くして、よく匍ひ步(あり)く。
是れより、體(たい)、輕(かろ)く、心地よく覺えしが、蝨の出たる痕(あと)に、細き穴、一つありて、時時(よりより)、其中より、蝨、出たり。
是も、其數、しり難し。
章全子(ちやくてるす)が曰はく、
「此病は、世に、藥、なし。百年の梳(すきぐし)を燒いて、灰になし、黃龍水(わいりやうすい)を以つて、塗るべし。是れより外の療治、なし。我、少し、是れ、有り。惜しむに足らず。」
とて、一匕(ひ)[やぶちゃん注:薬用匙一杯。]ばかりを取出《とりいだ》し、痕(きず)の上に塗り侍べりしかば、一七日《ひとなぬか》の内に愈《いえ》たり。
[やぶちゃん注:「一七日」は『いつしちにち』と振る。私は私の自然な読みとして選んだ。
さても。この「蝨(しらみ)」は、種としては何か?
その大きさと、その体制・色(吸血した際)からは、一見、
昆虫綱咀顎目シラミ亜目ヒトジラミ科ヒトジラミ亜種コロモジラミ Pediculus humanus corporis
としたくなるのだが、人体の皮下に穴を掘って寄生する性質はコロモジラミにはない。他に、同亜種アタマジラミ Pediculus humanus humanus
がいるが、寄生域が頭部(頭髪)であり、背中というのは合わないし、コロモジラミ同様、皮下に穿孔することもないから外れる。また、
シラミ亜目ケジラミ科ケジラミ Phthirus pubis
も、これは寄生域がほぼ陰部の陰毛中に限定され、発達した爪によって毛に強くしがみついているのであって、やはり皮下穿孔はしないから外れる。
皮下穿孔して、難治性疾患となると、これはもう、
鋏角亜門クモ綱ダニ目無気門亜目ヒゼンダニ科ヒゼンダニ属ヒゼンダニ Sarcoptes scabie
の寄生による「疥癬」しかあり得ない。特に、本篇に激しい痒みと、腫脹は所謂、疥癬の重症感染症状の典型である「過角化型疥癬」(別名「ノルウェー疥癬」(報告者がノルウェーの学者であったことによる)が、実は真っ先に浮かんではいた。これは、ウィキの「疥癬」によれば、『何らかの原因で免疫力が低下している人にヒゼンダニが感染したときに発症し、通常の疥癬はせいぜい』一『患者当たりのダニ数が千個体程度であるが、過角化型疥癬は』百万から二百万個体に達する。このため、『感染力はきわめて強く、通常の疥癬患者から他人に対して感染が成立するためには同じ寝具で同衾したりする必要があるが、そこまで濃厚な接触をしなくても容易に感染が成立する。患者の皮膚の摩擦を受けやすい部位には、汚く盛り上がり、カキの殻のようになった角質が付着する』という見るも無残な悲惨な様態を呈するそれを想起したである。しかし、では、これに断定していいかというと、ヒゼンダニの体長は〇・二~〇・四ミリメートルで、横に平べったい卵型であるが、体色は半透明の褐色であり、彼らは皮膚やリンパを摂食しながら、皮下にトンネルを掘るのであって、赤くて、視認出来る大きさ(挿絵を見よ)というのは、これ、外れてしまうのである。
されば、これは怪奇談であるからして、かく疾患や寄生虫を限定するまでもないことは判る。「新日本古典文学大系」版脚注によれば、本篇は種本に六朝小説の「異疾志」の「蝨瘤」にほぼ従っているとあるから、問題にすること自体が、無意味とは言われよう。しかし、種本の筆者や了意がイメージしたのは「蝨」(しらみ)のような虫が皮下に穿孔して「瘤」を作って蜂の巣のような腫瘍を作るという猟奇的悪趣味を確信犯で書いているのであり、その際には、大きさを実際のヒトシラミ大とし、患部の状態をヒゼンダニによる重篤な過角化型疥癬を重ねたものと考えると、私は腑に落ちるのである。]