萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 再會
再 會
皿にはをどる肉さかな
春夏すぎて
きみが手に銀のふほをくはおもからむ。
ああ秋ふかみ
なめいしにこほろぎ鳴き
ええてるは玻璃をやぶれど
再會のくちづけかたく凍りて
ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。
みよあめつちにみづがねながれ
しめやかに皿はすべりて
み手にやさしく腕輪はづされしが
眞珠ちりこぼれ
ともしび風にぬれて
このにほふ鋪石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ。
[やぶちゃん注:下線は底本では右傍線。初出は大正三(一九一四)年十月号『アララギ』。同誌は短歌雑誌であるが、本号には他に先の「畑」と、「旅上」(【2022年2月26日改稿・追記】これは本詩集に先行する同名詩篇とは異なるもので、「拾遺詩篇」のこちら)の合わせて三篇を発表している。萩原朔太郎は初期には歌人としてスタートしており(明治三六(一九〇三)年七月、かの『明星』に短歌三首が掲載され、その前に石川啄木らともに「新詩社」社友となっている)、『スバル』や『上毛新聞』へ短歌を発表していた。また、この大正三年は『アララギ』も転機の時期で、発行が滞っていた同誌の状況打開のために、島木赤彦が動き、この大正三年六月から、赤彦と親しかった岩波茂雄の経営する岩波書店で同誌の販売取扱いを始めており(翌大正四年二月に赤彦が正式に編集発行人となり、翌月から岩波書店が正式な発売所となった)、また、特に本誌の新進気鋭の若手歌人斎藤茂吉が、この前年の大正二年十月に東雲堂書店から刊行した処女歌集「赤光」が爆発的な人気を博していた。されば、当時、一時的に同誌の編集人となっていた茂吉にしてみても、短詩形文学という点で親和性の強い、朔太郎の詩篇提供は売れ筋いや増しとなって嬉しいことであり、既にして詩人デビューを目論んでいた朔太郎にとってもまた、メジャーな売れ行きのいい短歌雑誌が異端的詩人である自分に発表の場を提供してくれることは、頗る美味しい話であったに違いないと思うのである。
「ええてる」『萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(しづかに我は椅子をはなれ、)』の最後の私の注を参照されたい。
「みづがね」水銀のこと。
以下、初出を示す。「𥒰石」はママ。
*
再會
皿には跳る肉さかな、
春夏すぎて、
きみが手に銀の FOLK は重からむ。
ああ、秋ふかみ、
なめいしにこほろぎ鳴き、
ええてるは玻璃をやぶれど、
再會のくちづけ固くこほりて、
ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。
みよあめつちにみづがねながれ、
しめやかに皿はすべりて、
手にもやさしく腕輪はづされしが、
眞珠ちりこぼれ、
ともしび風にぬれて、
このにほふ𥒰石(しきいし)はしろがねの愁にめざむ。
*
また、筑摩版全集には「草稿詩篇 純情小曲集」の重要な草稿詩篇として、一篇のみ、則ち、本篇の草稿(標題は「初秋」)だけを掲げてある。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りや誤字はママ。数字は朔太郎だけに判る彼の振った注記番号。「□」は底本編者の判読不能字。
*
初秋
皿にはおどる肉さかな魚
春夏すぎて
きみが手に銀のほをく Folk も重からむ
いまきけば
ああ*いまみ空には//いまし★きけ//空には★*こほろぎなき
[やぶちゃん注:「*」「//」「★」は私が附した。ここは「いまみ空には」が、「いまし「きけ」と「いまし空には」の並列候補と、全体がまた並列して残存していることを意味している。後も同じ単体の並列残存。]
再會の窓の戶外ながれ床に水ながれ
ええてるは玻璃をやぶれど
あほざめし*この再會のくちびるはかたくあはされ//再會のくちづけはかたくこほりて*
あめつちにしろみづがねながる
晶 みみづかねなるるゝきみが手に 1
うれひの 瀧 瀑しんしんたる
君が手にやさしく腕輪はづされしが 1
2みよ眞珠床もいつさいにちりこぼれ
□ あひ 再會のとばりの
はや晶玉の秋のこゝろに
室内はともしび ぬるゝ ぬれてみづいろのともしびにほふ
みづいろの風ぞながるゝ床石にしろかねの水はながる
*]
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