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2022/01/13

第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「鄕土望景詩」パート内の唯一の初収詩篇「監獄裏の林」及び巻末「校正について」 / 第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版~了

 

監獄裏の林

 

監獄裏の林に入れば

囀鳥高きにしば鳴けり。

いかんぞ我れの思ふこと

ひとり叛きて步める道を

さびしき友にも告げざらんや。

河原に冬の枯草もえ

重たき石を運ぶ囚人等

みな憎さげに我れをみて過ぎ行けり。

陰鬱なる思想かな

われの破れたる服を裂きすて

獸のごとくに悲しまむ。

ああ季節に遲く

上州の空の烈風に寒きは何ぞや。

まばらに殘る林の中に

看守のゐて

劍柄(けんづか)の低く鳴るをきけり。

 

[やぶちゃん注:「鄕土望景詩」のパート標題は、ここでの電子化は一篇だけなので、ここでは流石に略す。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のPDF一括版では、232コマ目左ページが標題ページで(四三八ぺージ相当。標題ページではノンブルはカットされている)、以下、続くので見られたい。いちいち指摘する気はさらさらない(既に述べた通り、萩原朔太郎の老醜の改悪癖(今一人、同じくあきれるほど見事な改悪を晩年にやらかした作家にかの志賀直哉がいる)を「追っかけ」する気は、これ、さらさらない)が、全篇が一同に示された詩集「純情小曲集」版と比較すると、当該詩集の既出の「鄕土望景詩」とは表記上の異同は、ある(例えば、「中學の校庭」の二行目末の句点の有無、三行目の「いかりて」が「怒りて」、四行目「ゐしが」が「居しが」。或いは「才川町」の添え題「十二月下旬」のの下方ダッシュの有無などなど)。時間を持て余している奇特な方は私の「純情小曲集」の正規表現版(ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎Ⅱ」)或いはその底本である同じ早稲田大学図書館「古典総合データベース」の「純情小曲集」原本PDF版と、上記PDFを別ウィンドウで開いて比較されたい。

「監獄裏の林」「かんごくうらのはやし」。ロケーション及び本篇の初出については、私の「萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 監獄裏の林」の注を参照されたい。なお、そちらには萩原朔太郎の「詩篇小解」の「監獄裏の林」という散文詩的解説も電子化してある。

「囀鳥」は「てんてう(てんちょう)」と読ませているようである。「囀(さえず)っている鳥」の意。

「しば鳴く」「屢鳴く」。「頻(しき)りに鳴く」の意。

「いかんぞ」「如何ぞ」。朔太郎が、晩年、頻りに詩句に好んで用いた連語で、「如何にぞ」の音変化。主に漢文訓読に用いられ、最早、賞味期限の切れた、事大主義的な用語とも言われよう(私は好きだが)。「理由・手段などが判然としない」意や「疑問」を表わすのが普通だが、朔太郎の場合は強い反語的疑問(現実の持つ不条理性への強い否定的反駁)として用いられることが殆んどである。

「叛きて」「そむきて」。

「劍柄」看守が持つサーベルの柄(つか)。

 なお、以下、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のPDF一括版では、243コマ目左ページから後出しの「目次」が「四六一」ページから始まり、467コマ目「四六七」ページで終わる。

 その次のページ(上記PDF247コマ目右ページ。単一画像ではここの右ページ。本書奥附前の巻末)に忽然と「校正について」というポイント落ちの構成担当者による但し書き文章が現われる。これは萩原朔太郎の表記法に関わって朔太郎が指示したか、そう聴き取った内容を許可して載せたものであろうもので、朔太郎の正規の表現を無視・変容させる偏頗な拘り方への非常に興味深いものであるから、本書の一部として、以下に示す。太字は底本では傍点「◦」である。それぞれの箇条書きは二行目に亙るところは、一字下げとなっているが、無視した。]

 

 

      校正について

一、「ふる」は全部「ふる」となつてゐますが、これは著者獨得の用法で、特に感じを出す爲です。

二、「べる」が「べる」となつてゐる處がありますがこれも著者の特に「むさぶり食ふ」と云ふ感じを現はす爲に用ひられたものです。

三、「かいい」が「かいい」となつてゐるやうに、著者獨得の用法は皆右の理由によるものです。

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥附があるが、リンクで済ませる(上記PDF248コマ目左ページ。単一画像ではここの左ページ。)。因みに、で述べた、その奥附左下の「印刷者 萩原芳雄」及び「製本者 橋本久吉」という個人名表記を再度、確認されたい。

 以上を以って、『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版』の電子化注を終わる。]

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