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2022/01/22

萩原朔太郎詩集「宿命」「散文詩」パート(「自註」附) 詩人の死ぬや悲し

 

   詩人の死ぬや悲し

 

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絕望に沈みながら、死の暗黑と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。

「でも君は、後世に殘るべき著作を書いてる。その上にも高い名聲がある。」

 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟し、眞劍になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞かみやで、いつもストイツクに感情を隱す男が、その時顏色を變へて烈しく言つた。

「著作? 名聲? そんなものが何になる!」

 獨逸のある瘋癲病院で、妹に看護されながら暮して居た、晚年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂氣の頭腦に追憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。

 あの傲岸不遜のニイチエ。自ら稱して「人類史以來の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛々しさの眼に沁みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める爲に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞(うつろ)な悲しいものであつたらう。

「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」

 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラファルガルの海戰で重傷を負つたネルソンが、軍醫や部下の幕僚たちに圍まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖國に對する義務を果たした」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東鄕大將やの人々が、おそらくはまた死の床で、靜かに過去を懷想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。

「余は、余の爲すべきすべてを盡した」と。そして安らかに微笑しながら、心に滿足して死んで行つた。

 それ故に諺は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善しと。だが我々の側の地球に於ては、それが逆に韻律され、アクセントの强い言葉で、もつと惱み深く言ひ換へられる。

 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!

 

 

 詩人の死ぬや悲し  現實的な世俗の仕事は、すべて皆「能率」であり、實質の功利的價値によつて計算される。だが文學と藝術とは、本質的に能率の仕事ではない。それは功利上の目的性をもたないところの、眞や美の價値によつて批判される。故に藝術の仕事には、永久に「終局」といふものがないのである。そして詩人は、彼の魂の秘密を書き盡した日に、いよいよ益々寂しくなり、いよいよ深く生の空虛を感ずるのである。著作! 名聲! そんなものの勳章が、彼等にとつて何にならう。[やぶちゃん注:巻末の「散文詩自註」の当該部をここに配した。]

 

[やぶちゃん注:萩原朔太郎は何度も芥川龍之介の追悼・思い出を書いているが、とどめを刺すそれは、『改造』昭和二(一九二七)年九月号初出で、後に昭和一一(一九三六)年五月第一書房刊の「廊下と室房」に所収された「芥川龍之介の死」という十八章から成る長文のそれである(リンク先は私の古層のサイト版。正字不全はお許しあれ)。未読の方は全篇の通読を強くお薦めするが、特に「7」の「鄕土望景詩」に感動して早朝に寝巻のままで朔太郎に駆け込んだエピソード、「9」の「だが自殺しない厭世論者の言ふことなんか、皆ウソにきまつてゐるよ。」という朔太郎への龍之介の述懐シーン、「13」の龍之介との最後の邂逅シークエンス、最終章「18」の追悼散文詩などは絶品である。ともかくも、龍之介の鬼気迫る死への傾斜を余すところなく描いた稀有の追悼文と言える(朔太郎はある意味、追悼の達人と言ってもいい)。そうしてまた、私は、この本篇の標題「詩人の死ぬや悲し」には、朔太郎が龍之介の生前に、龍之介のことを、『芥川龍之介――彼は詩を熱情してゐる小説家である』とか、『けだし芥川君は――自分の見る所によれば――實に詩を熱情する所の、典型的な小說家にすぎなかつた』などと、断じてしまったことへの、強い慚愧の念が表わされていると考えている(「10」から「12」を見よ)。

 初出は昭和九(一九三四)年十一月号『行動』。句読点の有無や表記違いの他では、『「余は、余の爲すべきすべてを盡した」と。そして莞爾として微笑しながら、心に滿足して死んで行つた。』と、最終段落が、

   *

 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し。

   *

となっている二箇所が大きな異同である。「絕望の逃走」版は単なる表記違いを除くと、同じである。]

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