第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 鴉
鴉
靑や黃色のペンキに塗られて
まづしい出窓がならんでゐる。
むやみにごてごてと屋根を張り出し
道路いちめん 積み重なつたガタ馬車なり。
どこにも人間の屑がむらがり
そいつが空腹の草履(ざうり)をひきずりあるいて
やたらにゴミダメの葱(ねぎ)を喰ふではないか。
なんたる絕望の光景だらう!
わたしは魚のやうにつめたくなつて
目からさうめんの淚をたらし
情慾のみたされない いつでも陰氣な悶えをかんずる。
ああ この嚙みついてくる蠍(さそり)のやうに
どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。
みれば兩替店の赤い窓から
病氣のふくれあがつた顏がのぞいて
大きなパイプのやうに叫んでゐた。
「きたない鴉め! あつちへ行け!」
[やぶちゃん注:初出は大正一三(一九二四)年九月号『改造』。以下に示す。ルビ「ぞうり」、「ひきづり」・「だろう」・「蠍嬴」はママ。
*
鴉
靑や黃色のペンキに塗られて
まづしい出窓がならんでゐる。
むやみにごてごてと家根を張り出し
道路いちめん 積み重なつたガタ馬車なり。
どこにも人間の屑がむらがり
そいつが空腹の草履(ぞうり)をひきづりあるいて
やたらにゴミダメの葱(ねぎ)を喰ふではないか。
なんたる絕望の光景だろう
わたしは魚のやうにつめたくなつて
目からさうめんの淚をたらし
情慾のみたされない、いつでも陰氣な悶えをかんずる。
ああ この嚙みついてくる蠍嬴(さそり)のやうに
どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。
みれば兩替店の赤い窓から
病氣のふくれあがつた顏がのぞいて
大きなパイプのやうに叫んでゐた。
「きたない鴉め! あつちへ行け!」
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「蠍嬴」では「さそり」とは読めない。「嬴」は音「ルイ」で「瘦せる・疲れる・弱る・弱い」の意である。但し、「さそり」を表わす漢字には「蠆」(音「タイ」)があるので、或いは朔太郎は「蠍蠆」と書き、植字工が誤って「羸」を入れてしまったものかも知れない。「蠆」がサソリを意味することは、日中の本草書をつまびらいたことがある者なら、結構、知っている漢字である。私の「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 全蠍」で異名に「蠆尾蟲」が挙がっているので見られたい。]
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