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2022/01/10

狗張子卷之一 足柄山

 

[やぶちゃん注:挿絵は所持する一九八〇年現代思潮社刊の「古典文庫」の「狗張子」のものをトリミング補正(二幅連続のものは合成した)し、それぞれ適切と思われる箇所に挿入した。]

 

   ○足柄山

 

 過(すぎ)にしころ、興津(おきつ)といふ所に由井源藏(ゆゐのげんざう)とて、そのかみは鎌倉伺公(しこう)の人の末なり。時世につけて、家も、おとろへて、すみけり。

[やぶちゃん注:亡んだ鎌倉幕府の御家人であった者の末裔。以下、時代を特定し得るものは出ないが、「伽婢子」続編となら(同作諸篇は室町初期以前の設定はない)、後出の「奉行・頭人」がそれなりに機能している安定期となら、室町中期或いは後期の前半辺りの設定であろう。]

 おなじ友だちに、藤山兵次(ふぢやまひやうじ)・浦安又五郞・神原(かんばら)四郞とて、いづれも、年わかくて、友なひけり[やぶちゃん注:いつも行動をともにしていた。]。

 古き人の物がたりに、

「富士・足柄の山には、むかしより、仙人ありて、心ざしふかき人には、出逢(であふ)て、物がたりして、をかしき奇特(きとく)もあり。」[やぶちゃん注:「奇特」はここは非常に珍しく、不思議なことの意。]

といふ[やぶちゃん注:第一話「三保の仙境」の漁師が足柄の仙人となったとするマイナーな伏線が見事に生きる。]。

 四人、是を聞《きき》て、

「いざや。我ら、山に入《いり》て、おこなひ[やぶちゃん注:その仕儀をやらかして。]、その仙人にあふて、長生(ちやうせい)の道を得ばや。」

とて、うちつれて、足柄山にわけ入つゝ、深き岩屋をすみかとし、峯にのぼり、谷にくだり、蔦をまとひ、苔をしき、はだえを雪(ゆき)・霜(しも)にさらし、骨を嵐にまかせ、霞を吸ひ、咒(じゆ)をとなへ、夜晝、三とせをかさぬれども、露ばかりも、しるし、なし。

 神原四郞は、わづらひ出して、里に歸る。

 藤山・安浦、いひけるやう、

「家を忘れ、慾をすて、身をかへりみず、おこなうて、三年になれども、すこしのしるしも、なし。あたら、とし月を空しく暮して、老はてんより、故鄕(ふるさと)に歸りて、いかならん君にも、つかへ、身をたて、家をおこし、落花の春に逢ふべし。目にもみず、あて所なきおこなひに、骨をるほどに、君につかへなば、あがるまじき身にも、あらず。無用の長生不死、いまさら望むも、詮なし。」

とて、故鄕へぞ、歸りける。

 由井源藏は、

「此みとせ、おこなふ仙の道も、神君の意(こゝろ)に叶はねばこそ、しるしも、なけれ。かく、うたがひのあらんには、たとひ、いくとせ行なふとも、更にしるしは、あるべからず。われは、命をかぎりにうたがひなく、おこなはん。」

とて、たゞ、われ一人、山にとゞまり、いよいよ修練精行(しゆれんせいぎやう)せしかば、神仙、あらはれて、丹藥・祕術をつたへ、つひに、大道を、さとりけり。

[やぶちゃん注:以前の了意なら、かくあっけなく圧縮せずに、足柄仙人との邂逅、九丹を授かって仙人となるまでを描いたであろう。長くなるのを避ける意図もあろうが、明らかに不自然な簡略で、少し彼の老いによる筆力の減衰を感じさせる。

「神君」多神教である道教に於ける複数の最高神の総称。当初は老子を神格化した「老君」「太上老君」がおり、教義の論理化によって六世紀頃になると、宇宙自然の「道」(タオ)を神格化した「元始天尊」「太上道君」などが現われ、甚だ多い。]

 故鄕に歸りし三人は、知行につきて、つとめしに、家をおこし、身をたて、奉行・頭人(とうにん)に經(へ)あがり、世のもてなし、人のほむる、落花、ひらけて、めでたかりけり。

[やぶちゃん注:「落花、ひらけて」今までは、あたら無駄に花弁を落しているような為体(ていたらく)だったものが、いっぺんに大花を開いた塩梅と変じて。]

 

Asigarayama
 

[やぶちゃん注:一行が三保の松原から足柄山の仙境に着いたシーン。足柄山は内陸だが、仙境なれば、海に直結していて、何ら問題ない。]

 

 ある時、三人、いとまの隙(ひま)に三保が崎に出《いで》て、磯ちかく、あそびてゐたるに、ひとつの小舟を、こぎて、その前を、過(すぐ)る。

「海郞(あま)の世わたる、釣舟か。」

と、みれば、それにはあらで、舟の中には、蓑笠(みのかさ)着たる老人、あり。

 棹を、ならしてゆく、そのはやき事、風のごとし。[やぶちゃん注:第一話「三保の仙境」の挿絵の左幅が伏線となって生きる。「孤舟蓑笠翁」は柳宗元「江雪」に見る如く、遁世者のポーズである。]

 三人、これを見る。

 まさしく、由井源藏なり。

 聲をあげて、よび返し、

「扨も、久しく逢(あは)ざりしあひだに、和君(わぎみ)は、獨り、山にとどまりて、おほくの年をかさねながら、淺ましくおとろへ、何の甲斐あることも、なし。それ、風は、つなぐべからず、影は、とらふべからず、ゆくへなき事に、二たび、歸らぬ年をつみて、老《おい》はて給ふ、殘り、おほさよ。我ら三人は、故鄕(ふるさと)に歸り、君につかへて、奉行・頭人となり、世におそれられ、人にうやまはれ、妻(つま)をむかへ、家もさかえて、たのしみ、おほし。源藏は、今、その有さまにて、さこそ、物ごと、心にも叶ふまじ。何にても、不足の事は、我ら、調のへて、まゐらすべし。」

といふ。

[やぶちゃん注:中文サイト「教育百科」の「詞條名稱:繫風捕影」に意義として、『如風不可繫、影不可捕。形容事物虛妄、沒有事實根據。』とあり、北魏の酈(れき)道元の知られた地誌「水経注」の「贛(かん)水注」に、「有二崖、號曰大蕭小蕭、言蕭史所遊萃處也。雷次宗云、『此乃繫風捕影之論』也【作「係風捕景」。】」という旨の記載がある。]

 源藏、うちわらひて、

「君は、うかび、我は、うかび、沈めり。魚鳥(いをとり)といへども、それぞれ、心にかなふ道、あり。世に用ゆる所の物は、ほどほどにつけて、事、かけず。此山のあなた、苔のしたみちに、桃の園(その)、櫻の林あり。その門(かど)の内ぞ、わがすむ庵(いほり)なる。見ぐるしけれど、いざ、來て、見給へ。」

と、三保が崎より、足柄山にわたりて、四人、うちつれて、峯をこえ、谷をわたるに、一むら、立《たつ》たる桃・櫻の林のすゑに、あやしげなる門(かど)あり。内に入《いり》ければ、荊(いばら)・茅(かや)はら、道も、なし。

 一町[やぶちゃん注:約百九メートル。]ばかりを行(ゆく)に、大門あり。

 樓閣重々(ぢゆうぢゆう)、玉の甍(いらか)、虹の梁(うつばり)、道のかたはらには翠(みどり)の竹、さすがに高からず、靑葉の間に、白雲、あり、風ふき來(きた)れば、枝、かたぶきて、絲竹(いとたけ)のしらべ、ひヾきて聞え、樓門の内には、見もなれぬ花の木、名もしらぬ草の花、ふかみどり、淺むらさき、赤き、白き、咲きつゞきたるよそほひ、更に人間(にんげん)のさかひに、あらず。

 匂ひ、四方(よも)に、かほりみちて、たましひ、さはやかに、心、たヾ、へうへうとして、雲にのぼる思ひあり。

 内に入て、庭のおもてを見わたせば、うゑ木のこずゑには、五色(《ご》しき)の鳥、とびかけり、さへづる聲のおもしろさは、此世の物とも思はれず、迦陵(かりよう)・孔雀(くじやく)の鳴くに似たり。

[やぶちゃん注:「迦陵」迦陵頻伽(かりょうびんが)。仏典に見える鳥の名。サンスクリット語「カラビンカ」の漢音写。「迦陵頻」「鸞」などの訳もある。雪山(せっせん:ヒマラヤ山脈)に住む美声の鳥であるとも、極楽の鳥であるともいう。浄土曼荼羅の絵図では人頭鳥身の姿に描かれる。]

 池の内には、淸き水、たゝへて、金(こがね)・しろ銀(がね)の鱗(うろくづ)、およぎめぐり、浮きしづみ、あそぶも、めづらし。

 ならびたる木のえだに、赤き栗、綠の棗(なつめ)、大きなるは、三、二寸に及べり。

 しきわたしたる眞砂、立《たち》ならびたる岩(いはほ)のあひだより、靜かに木の流れたるも、さはがしからずぞ、みえたる。

 かくて、見めぐるあひだに、髮、からわにあげたる童(わらは)二人、出《いで》て、

「こなたへ。」

とて、よびいれたり。

[やぶちゃん注:「からわ」「唐子髷」(からこまげ)。中世から近世へかけて、元服前の子供の髪の結い方の一つ。唐子のように髻 (もとどり) から上を二つに分け、頭の上で二つの輪に作ったもの。近世になると女性の髪形となった。]

 書院の内には、かざれる棚には琴(きん)・瑟(しつ)・笛、筝(さう)のをりごと、香爐・香合(かうはこ)、西湖(せいこ)の壺、蜀江(しょくかう)の錦をつゝみとし、眞紅(しんく)の緖にて、結びたり。曲彔(きよくろく)の上には、豹の皮をかけ、床に三幅一封の唐繪(からゑ)をかけたり。

[やぶちゃん注:「琴」「瑟」「筝」琴(キン)は中国の古形のもの(但し、それが現在の琴(=筝)に進化した)。初期は十弦ほどあったようだが、中国の戦国末期には七弦となった。和琴(わごん)の初期は六弦であるが、現行の本邦の通常の琴(こと)は七弦である。「瑟」(シツ)は中国古代の弦楽器の一つ。箏に似ているが、遙かに弦が多く、「大琴」等とも表記される。通常の瑟は二十五弦である。

「をりごと」「折り箏」。折り畳み式の携帯可能なそれ。

「西湖の壺」不詳。江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(一)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)では、『未詳。西湖(浙江省湖山の麗にある湖)のように美しい水色の壺の意か。』とある。

「蜀江(しょくかう)の錦」蜀の首都を流れる蜀江流域は、古くから、良質の絹織物を産出し、その折柄の文様が八角形と四角形を組み合わせた物が多数あったことから、その文様を、「蜀江文様」と呼ぶ。ここもそれであろう。

「曲彔」主として僧侶が法会式などで使う椅子の一種。背凭れの笠木(かさぎ)が曲線を描いているか、または、背凭れと肘掛けとが、曲線を描いた一本の棒で繋がっているのが特徴である。「曲彔」は「曲彔木」の略で、「彔」は「木を削(はつ)る(削ぎ落とす)」の意であるから、「木を削って曲線を造形した椅子」の意となる。鎌倉時代に中国から渡来したもので、最初は、専ら、禅宗で用いられたが、後には他の宗派や、仏教に拘わらず一般でも使うようになった。特に桃山時代には大流行した(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

 暫くありて、由井源藏、そのさま、けだかく出たち、三人にむかひて、禮儀たゞしく座につきてのち、

「かく、さはがしき世につかへて、心のやすきいとまなく、なまぐさく、けがらはしき食物(しよくぶつ)に、腹をやしなひ、重欲の熖(ほのほ)に身をこがし、うれへの煙(けふり)に、こゝろをなやまし、此とし月を、おくり給ふは、さこそ、くるしく侍べるらん。

しばし、こゝにて、思ひをなぐさみ、心をはらし給へ。」

といふに、三人ながら、おどろき、あやしみて、とかくのこと葉はなく、只、手をつき、首(かしら)をふせて、うなづくより、外は、なし。

 童子(わらは)四人、うつくしく出たち、膳部、きよらかに、すゑわたす。

 種々(しゆじゆ)の珍味、いろいろのさかな、數をつくして、出(いだ)しけり。

 猩々(しやうじやう)のくちびる、熊(くま)のたなごころ、鹿(しか)のはらごもり、麞(くじか)の羹(あつ)ものは、その名を聞つたへたるばかりにて、

『これや、その類(たぐひ)なるべからん。』

と、思ひあやしむも、いふばかりなし。

[やぶちゃん注:「猩々」現在は真猿亜目狭鼻下目ヒト上科オランウータン(ショウジョウ)科Pongidae(ヒト科とも)オランウータン属 Pongoを指す中国語として用いられており、中国語科名としても用いられている。但し、オランウータンの棲息域はスマトラ島(インドネシア)と、南部を除くボルネオ島(インドネシア・ブルネイ・マレーシア三国による領有島)の熱帯雨林の中に限定されており、中国の本草書に出る「猩猩」は、幾分かは、実際のオランウータンをモデルとしていると思われる節はありつつも、架空の類人猿ととるべきものである。詳しい考証は「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類  寺島良安」の「猩猩」の項の私の注を見られたいが、そこで私は、『荒俣宏「世界代博物図鑑 5 哺乳類」の「ショウジョウ」の項によれば、『中国では古代から猩猩の肉』と称するもの『を珍味として食卓に供』したという記載があり、『これを食べれば滋養強壮』によく、『走るのも速くなると』言い伝えられている。また、「呂氏春秋」に「肉の美なるもの」として『猩猩の唇をあげている』とある』と記した。

「鹿のはらごもり」は「鹿の胎(はら)籠り」で鹿の胎児の料理。

「麞」鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科ノロジカ族キバノロ属キバノロ Hydropotes inermis 。朝鮮半島及び中国の長江流域の、ヨシの茂みや、低木地帯に棲息する、体高四十五~五十五センチメートル、体重九~十一キログラムの小形のシカ。角を持たない。]

 

Asigarayama2

 [やぶちゃん注:饗宴のシーン。源蔵は手前やや左。立派な装束に変わっている。右手に藤山・浦安・神原。遊女は三人描かれてある。]

 

 日、すでに、暮(くれ)になりて、九花(きうくわ)のともし火をかゝぐるに、花やかに出たち、小袖・うちぎ、きよらにして、薰《かをり》みちたる遊女、十人、すゝみ出て、夜もすがら、いまやう・朗詠、うたひ、舞けるありさま、つらつら見れば、此比(《この》ころ)、海道に名をえたる遊君どもなり。

『是は。いかに。』

と、おもふに、その中に「春(しゆん)」とかや、いふ女は、東琴(あづまごと)の上手にて、柱(ことぢ)たてならべ、引ならす「つま音《おと》」、歌にあはせて、

 花のえんのゆふ暮 おぼろ月夜にひく袖 さだかならぬ契りこそ 心あさくもみえけれ

と、うたふは、雲にひゞきて、ひくは、空にみちたり。

むかし、源氏、花のえんの夜、内侍(ないし)のかみとわかれの時、「あふぎ」をとりかへて出給ふ。その「あふぎ」の歌に、

 世にしらぬ心ちこそすれ有明(ありあけ)の

     月のゆくへをそらにまがへて

『こよひかゝる御たいめんは、思ひの外なれば、さだかならず、しどけなき御事。』と、「心あさくや」といふ歌の心ばえ、時にとりて、もてなしあるところなり。

 三人ながら、此歌に、心は、すこし、うかれたり。

 みほの松かぜふきたえて おきつ浪もあらじな 水にうつろふ月とともに ながめにつゞくふじさん

「所がらなる、琴の唱歌(しやうが)かな。」

と、いとゞうきたつ、爪音(つまおと)、風もしづかに、海原(うなばら)の浪もおさまり、雲、きえて、詠(なが)めにあかぬ月影の、うつるも、ことさらおもしろく、みほより、ふじのみえわたるけはひ、何にたとへんかたも、なし。

 源藏、かくぞよみける、

 夜もすがらふじのたかねに雲きえて

        淸見が關にすめる月影

三人ながら、興に入て、やうやう、夜もはや、明がたになり、野寺(のでら)のかねの音(ね)は聞えねど、鳥の聲は、まのあたりに、つげわたる。

[やぶちゃん注:「九花」九華とも書き、宮室や器物或いは風物などが、色とりどりに飾られて美しいこと。また、その美しい飾り。

「海道に名をえたる遊君ども」先の江本裕氏の論文注に、『足柄山の麓、関本宿(現神奈川県南足柄市関水)』(ここ。グーグル・マップ・データ)『に遊女がいた』とされ、「海道記」(貞応二(一二二三)年成立と考えられる紀行文。内容は同年四月四日、白河の侘士なる者が京都から鎌倉に下り、十七日、鎌倉に着き、善光寺参りの予定を止め、さらに帰京するまでを描く。「東関紀行」・「十六夜日記」とともに中世三大紀行文の一つ。作者は未詳ながら、政治家・文学者(「源氏物語」研究者)・歌人の源光行(みなもと の みつゆき)説がある)の「十六」から一部を引かれておられる。所持する朝日新聞社刊「日本古典全書」「海道記・東關紀行・十六夜日記」から当該部を総て引く。

   *

 關下の宿を過ぐれば、宅をならぶる住民は人を宿して主とし、窓に歌ふ君女(きみ)は客を留めて夫とす。憐れむべし千年の契を旅宿一夜の夢に結び、生涯のたのしみを往還諸人の望にかく。翠帳紅閨、萬事禮法ことなりといへども、草庵柴戶、一生の歡遊これ同じ。

   櫻とて花めく山の谷ほこり

        おのが匂ひも春はひととき

   *

了意は、ここのシークエンスは、この一文を種本としていると判る。

「花のえんのゆふ暮……」出典未詳。

「源氏、花のえんの夜、内侍(ないし)のかみとわかれの時……」先の江本裕氏の論文注に、『源氏(二十歳)は、紫宸殿の観桜の宴の夜に出会った女性(朦月夜)と互いの名を明かさないまま扇を取替えて別れる。後にその女性を恋しく思って、件の扇に歌を書き付けた』とある。サイト「源氏物語の世界 再編集版」の当該歌の部分をリンクさせておく。この歌について江本氏は『本話では由井源蔵と三人が偶然に出会う事がこの歌と関連する』と注されてもおり、これは直後の、表現に異同はあるが、『「心あさくや」といふ歌の心ばえ、時にとりて』と言っていることがそれを示す。「時にとりて」は、「如何にも、この時、この邂逅に相応しくて」の意。

「みほの松かぜふきたえて」出典未詳。

「所がらなる」前々注の「時にとりて」と同義。]

「名ごりはつきぬことながら、又こそ、尋ねまゐらめ。」

とて、いとまごひして、たち出つゝ、半町[やぶちゃん注:五十四・五メートル。]ばかりにして、跡をかへりみれば、霧、ふさがり、雲、とぢて、松のこずゑ、吹(ふき)おくる風に、岸より、船にのり、家に歸り、

「こよひ、十人の遊女は、いかゝして、由井源藏がもとへは、まゐりけるぞ。」

と問(とは)せけるに、十人ながら、

「今夜(こよひ)の夢に、やごとなき人の御もと、御名あるかたがたに逢ひ奉り、酒もりせし、と、おぼえて、さめ侍り。その所は、いづくとも、しらず。」

と、おなじさまに、こたへけり。

「きはめたるふしぎかな。」

とて、かさねて使(つかひ)をつかはして尋ねさするに、家も、なく、門(かど)も、なし。

 三人ながら、わづかなる知行(ちぎゃう)を給はり、是をいかめしき事に思ひけるも、今さらに、くやみけれど、そのかひ、なし。

[やぶちゃん注:江本氏は本篇論文注の最後で、『仙境の場面は『伽婢子』六―一「伊勢兵庫仙境に到る」』(これ)『、八―一「長鬚国」』(これ)『の描写に酷似する。』とされる。それぞれリンクを張っておいた。]

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