萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 濱邊
濱 邊
若ければその瞳(ひとみ)も悲しげに
ひとりはなれて砂丘を降りてゆく
傾斜をすべるわが足の指に
くづれし砂はしんしんと落ちきたる。
なにゆゑの若さぞや
この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ
若き日の嘆きは貝殼もてすくふよしもなし。
ひるすぎて空はさあをにすみわたり
海はなみだにしめりたり
しめりたる浪のうちかへす
かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。
若ければひとり濱邊にうち出でて
音(ね)もたてず洋紙を切りてもてあそぶ
このやるせなき日のたはむれに
かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。
[やぶちゃん注:「時無草」『萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 秋』の私の「時無草」の注を参照されたい。
初出は大正二(一九一三)年十一月号『創作』。以下に示す。「くつれし」「かけ」「よしてもなし」はママ。植字工・校正係のミスが疑われる。
*
濱邊
若ければその瞳も悲しげに
一人はなれて砂丘を降り行く
傾斜をすべる我が足の指に
くつれし砂はしんしんと落ちきたる。
何故の若さぞや
この身のかけに咲きいづる
時無草もうちふるへ
若き日の嘆きは貝がらをもてすくふよしてなし
ひるすぎて空はさ靑にすみわたり
海は淚にしめりたり
しめりたる浪の打ち返す
かの遠き渚に光るは何の魚ならむ。
若ければ一人濱邊にうち出でゝ
音も立てず洋紙を切りてもてあそぶ
このやるせなき日のたはむれに
かもめどり
ぴよろぴよろと涯なき地平をすぎも行けり。
*
また、筑摩版全集の草稿ノート「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」に草稿がある。以下に示す。
*
濱邊
若ければその瞳(ひとみ)も悲しげに
一人はなれて砂丘を下りゆく
傾斜をすべる我が足の指に
くづれし砂はしんしんと降ち來る。
何故の若さぞや
この身の影に咲き出づる
時無草もうちふるへ
若き日の嘆きは貝がらをもてすくふよしもなし
ひるすぎて空はさ靑に澄み渡り
海は淚にしめりたり
しめりたる浪の打ち返す
かの遠き渚に光るは何の魚ならむ。
若ければ一人濱邊にうち出でゝ
音(ね)も立てず洋紙を切りてもてあそぶ
このやるせなき日のたはむれに
かもめどり
ぴよろぴよろと涯(はて)なき地平を飛びも行けり
(大正二年八月二十七日)
四萬ニテ
*
以上の草稿には編者注があり、『題名の下にS.S.と記されている』とある。この「S.S.」は同ノートに頻繁に見られるが、底本の解題によれば、雑誌『創作』の略号であるとあり、『發表を予定して附けられたものと思われる』とある。
「四萬」群馬県吾妻郡中之条町にある四万(しま)温泉周辺のこと。年譜によれば、この年の八月上旬に朔太郎は定宿であった四万温泉の積善館(グーグル・マップ・データ)に滞在していた。但し、滞在中に発病し、父の見舞いを受けている。なお、御覧の通りの山中の宿であり、本篇のロケーションは思うに、或いは、「ソライロノハナ」に出る平塚の海辺かとも思われなくはないが、「砂丘」という謂いからは、この大正二年五月に、妹ユキと千葉県一宮方面に十日間ほどの旅行をしており、こちらの方が遙かにそれらしい。私の「萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 一宮川旅情の歌」を読まれたい。明らかに詩想に強い親和性が認められるのである。されば、四万温泉での湯治中に、数ヶ月前の思い出を想起して作ったものと考えられる。]
« 萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 利根川のほとり | トップページ | 萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 綠蔭 »

