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2022/01/12

「和漢三才圖會」巻第三十一「庖厨具」(十四折)より「樏子(わりご)」

 

Warigo

 

わりご  樏子
     【和名加礼比計
      一云和利古】
樏子  行廚
ルイツウ 【俗云辨當】

 

字彙云樏子【音壘】酒噐似盤中有槅者也

△按樏子今云破子其形或圓或方而中有槅盛飯及諸

 肴者也凡以食送人曰餉【訓加礼比於久留】𩜋同和名加礼

 比計卽餉噐也

行廚【今云辨當】卽樏子之屬飯羹酒肴椀盤等兼備以爲郊外

 饗應配當人數能辨其事故名辨當乎

     藻塩 我をいとふ妹か心やさまさまと隔かちなるわりこ成覽

   *

わりご  樏子
     【和名「加礼比計(〔かれひけ〕)」。
      一つに云はく、「和利古」。】
樏子 行廚(へんとう)[やぶちゃん注:「とう」はママ。]
ルイツウ 【俗に云ふ、「辨當(〔べんたう〕)」。】

「字彙」に云はく、『樏子は【音「壘」。】酒噐なり。盤(〔さら〕)に似、中に槅(〔へだて〕)有る者なり。』と。

△按ずるに、「樏子」、今云ふ、「破子(わりこ)」。其の形(なり)、或いは圓く、或いは方(〔はう〕)にして、中に槅(へたて)有り。飯(〔めし〕)及び諸肴(〔しよかう〕)を盛る者なり。凡そ、「食を以つて人に送る」を「餉」と曰ふ【「加礼比於久留(〔かれひおくる〕)」と訓ず。】「𩜋」も同じ。和名「加礼比計」は、卽ち、「餉噐(かれいけ)」なり。

行廚〔(べんたう)〕【今、「辨當」と云ふ。】 卽ち、樏子の屬。飯・羹(〔あつもの〕)・酒肴(〔しゆかう〕)の椀・盤等、兼ね備へ、以つて、郊外の饗應〔を〕爲(〔な〕)〔すに〕、人數(〔にんず〕)に配當して、能く其の事を辨ず。故に「辨當」と名づくか。

 「藻塩」 我をいとふ妹が心やさまざまと

         隔てがちなるわりごなるらん

[やぶちゃん注:「樏子(わりご)」「破子」「破籠」とも書く。今言う弁当箱の一種で、檜などの薄く削いだ白木(しらき)を、折り箱のように諸形に作り成し、中に仕切りを設け、飯と総菜を盛って、ほぼ同じ形の蓋をして、携行したもの。古くは携帯食には餉(かれいい:乾燥させた飯)を用い、その容器を「餉器 (かれいけ)」と称したが、後には「破子(わりご)」と呼ぶようになった。

「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は、清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。

『「食を以つて人に送る」を「餉」と曰ふ』今さらに、構成素である(つくり)の「向」の字の意が初めてすんなりと腑に落ちた。大修館書店「廣漢和辭典」の解字でも「向」は、相手に対座すること、相手に食事を送ることとあった。

「餉噐(かれいけ)」「噐=器(け)」は「笥(け)」と同語源で「食(け)」で食物を盛る器のこと。転じて食事を指した、「万葉集」にある古い上代語である。

「羹」「あつもの」は「熱物」の当て訓。魚肉や鳥肉或いは野菜を入れた熱い吸い物・スープのこと。

「郊外の饗應〔を〕爲(〔な〕)〔すに〕、人數(〔にんず〕)に配當して、能く其の事を辨ず。故に「辨當」と名づくか」小学館「日本大百科全書」には、『弁当ということばができたのは、織田信長が安土(あづち)城で大ぜいの人にめいめいに食事を与えるとき、食物を簡単な器に盛り込んで配ったが、そのとき』、『配当を弁ずる意と』、『当座を弁ずる意で、初めて弁当と名づけたという。江戸時代の』「和訓栞(わくんのしおり)」に『「べんとう 弁当と書けり、行厨をいうなり、昔はなし、信長公安土に来て初めて視(み)たるとぞ」とある』が、『弁当の語源説は』、『もう一つある。めいめいの食器面桶(めんつう)が「めんとう」となり、さらに「べんとう」と転じたというのである』とあった。しかし、サイト「語源由来辞典」の「弁当」には、『中国南宋時代の俗語で「好都合」「便利なこと」を意味する「便当」が語源で』、それが『日本に入り、「便道」「弁道」などの漢字も当てられ』、『「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから、「弁当」の字が当てられ、弁当箱の意味として使われたと考えられる』。『「飯桶(めしおけ)」を意味する「面桶(めんつう)」を漢音読みした「めんとう」から、「べんとう」になったとする説もあるが、歴史的仮名遣いは「べんたう」なので考え難い』。『容器自体は桃山時代から、弁当という言葉は鎌倉時代から見られ、それ以前は、器の中をいくつかに割ることから、「破子・破籠(わりご)」が使われていた』とある。

「藻塩」月村斎宗碩(げっそんさいそうせき)編「藻塩草」。連歌を詠むために用いるもので、「乞食」「万葉集」「源氏物語」「奥義抄」等の古典から語句を集め、注解を加えた一種の字書。全十冊。二十部門に分類されている。「藻塩草」とは、まさに藻塩(海藻からとれる塩)をとるために使う海藻(概ね不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属 Sargassum の類)を指し、その際、「搔き集めて潮水を注ぐ」ことから「書き集める」の掛詞となったものを書名としたのである。

「我をいとふ妹が心やさまざまと隔てがちなるわりごなるらん」国立国会図書館デジタルコレクションで「藻塩草」の十九巻の「食物」を探したところ、ここにあった(寛永年間の版本)。「○破子 」(数字は同巻内の項目の通し番号)で、見る限り「さまさま」ではなく(下方は実際は孰れも踊り字「〱」)「こまこま」(こまごま)のようだ。

   *

○我をいとふいもか心やこまこまとへたてかちなるわりこなるらん

これは後京極の宰(つかさ)「破子戀」[やぶちゃん注:不明の漢字の右に手書で入れたか「戀か」とあるように読めるので、そちらを採用した。]と云題にてよめるや

   *

とある。「後京極の宰(つかさ)」かの魅力的な和歌集「秋篠月清集」で知られる太政大臣に昇った後京極摂政九条良経(嘉応元(一一六九)年~元久三(一二〇六)年)のことであろう。但し、この一首は良経の歌としては見あたらないようである。]

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