萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 淚
淚
ああはや心をもつぱらにし
われならぬ人をしたひし時は過ぎゆけり
さはさりながらこの日また心悲しく
わが淚せきあへぬはいかなる戀にかあるらむ
つゆばかり人を憂しと思ふにあらねども
かくありてしきものの上に淚こぼれしをいかにすべき
ああげに今こそわが身を思ふなれ
淚は人のためならで
我のみをいとほしと思ふばかりに嘆くなり。
[やぶちゃん注:初出は大正二(一九一三)年八月号『創作』。以下に示す。
*
淚
あゝはや心をもつぱらにし、
われならぬ人をしたひし時は過ぎゆけり、
さはさりながらこの日また、こゝろ悲しく、
わが淚せきあへぬは如何なる戀にかあるらむ、
つゆばかり人を憂しと思ふにあらねども、
かくありて、しきものゝ上に淚こぼれしをいかにすべき、
あゝげに今こそ我身を思ふなれ、
淚は人のためならで、
我のみをいとほしと思ふばかりになげくなり、
たれかはあだに思ふべき、
やんごとなくも流れしは我の我なる淚ならめや。
*
また、筑摩版全集の草稿ノート「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」に草稿がある。以下に示す。
*
淚
あゝはや こゝろをもつぱらにし
我ならぬ人をしたひしときはすぎ行けり
さはさりながらこの日またこゝろ哀しく
わが淚せきあへぬは如何なる戀にかあるらむ
つゆばかり人を憂しと思ふにあらねども
かくありてしきものゝうへに淚こぼれしを如何にすべき
あゝげに今こそ我身を思ふなれ
淚は人のためならで
我ばかりのみをいとほしと思ふばかりに嘆くなり
たれかはあだに思ふべき
淚ぞ我の淚にてやんごとなくも流れしものを
やんごとなくも流れしは我の我なる淚なれめや
*
最終行の終り「なれめや」はママ。]
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