第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 まどろすの歌
まどろすの歌
愚かな海鳥のやうな姿(すがた)をして
瓦や敷石のごろごろとする港の市街區を通つて行かう。
こはれた幌馬車が列をつくつて
むやみやたらに圓錐形の混雜がやつてくるではないか。
家臺は家臺の上に積み重なつて
なんといふ人畜のきたなく混雜する往來だらう
見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで
冬のさびしい海景が泣いて居るではないか。
淚を路ばたの石にながしながら
私の辮髮を背中にたれて 支那人みたやうに步いてゐよう。
かうした暗い光線はどこからくるのか
あるひは理髮師(とこや)や裁縫師(したてや)の軒(のき)に Artist の招牌(かんばん)をかけ
野菜料理や木造旅館の貧しい出窓が傾いて居る。
どうしてこんな貧しい「時」の寫眞を映すのだらう
どこへもう 外の行くところさへありはしない
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へかへつて行かう
さうして忘却の錨を解き記錄のだんだんと消えさる港を訪ねて行かう
[やぶちゃん注:「あるひは」はママ。最終行に句点はない。
「まどろす」はオランダ語「matroos」。現代オランダ語のネイティヴのそれを聴く限りでは、音写すると「マトローゥス」。 水夫。船乗り。
「家臺」は「やたい」であろう。家々が永い年月を経て、平坦な地面を見せずに、山のようにでこぼこになっている景観を言っているのであろう。典型的な貧民街である。
「指盤」「しばん」と読んでおく。時計の文字盤。
「辮髮」「べんぱつ」。
初出は大正一二(一九二三)年一月号『文章世界』。以下に示す。「居やう」「あるひは」「映すだらう」(脱字或いは誤植らしい)「錠」(誤植であろう)はママ。
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まどろすの歌
愚かな海鳥のやうなすがたをして
瓦や敷石のごろごろとする港の市街區を通つて行かう
こはれた幌馬車が列をつくつて
むやみやたらに圓錐形の混雜がやつてくるのではないか
家臺は家臺の上に積み重なつて
なんといふ人畜のきたなく混雜する往來だらう
見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで
冬のさびしい海景が泣いて居るではないか
淚を路ばたの石にながしながら
私の辮髮を背中にたれて支那人みたやうに步いて居やう
かうした暗い光線はどこからくるのか
あるひは理髮師や裁縫師の軒(のき)に Artist の招牌をかけ
野菜料理や木造旅館の貧しい出窓が傾いてる。
どうしてこんな佗しい「時」の寫眞を映すだらう
どこへもう 外の行くところさへありはしない
はやく石垣のある波止場を曲り
遠く沖にある帆船へかへつて行かう
さうして忘却の錠を解き記錄のだんだんと消えさる港をたづねて行かう。
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なお、筑摩版全集の校異によれば、後の詩集「宿命」に再録されたものでは、十行目「私の辮髮を」は「私は辮髮を」となっている、とある。また、後の詩集「定本 靑猫」に版画「海港之圖」に添えられた詩句で、本篇の最後の一部を改変して用いているが、そこでは「記錄」は「記憶」となっている。私の古いブログの電子化「海港之圖 萩原朔太郎 (版画2タイプ掲示)」を見られたい。]
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