第一書房版「萩原朔太郞詩集」初収録詩篇二十一篇分その他・正規表現版 始動 /序・凡例・「靑猫(以後)」パートの「桃李の道」
[やぶちゃん注:本詩集「萩原朔太郞詩集」は昭和三(一九二八)年三月二十五日第一書房発行の単行詩集で、本格の正規詩集としては、私のブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」(本「萩原朔太郎Ⅱ」ではない)で既に電子化注を終えた第四詩集「純情小曲集」(大正一四(一九三九)年八月十二日新潮社発行)と、第六詩集「氷島」(昭和九(一九三四)年六月一日第一書房発行)の間の第五詩集となるものである。但し、以下に示す「凡例」にある通り、大部分が既刊詩集からの再録であるので、それらは電子化しない。但し、再録と言っても、朔太郎は表記や表現に一部に手を加えている。しかし、私は個人的に、彼の後発詩集に於ける改変は、表記の誤りの補正を除いて、有意に改悪が甚だ多いと感じているので(朔太郎自身、以下の本書の「序」の中で、『詩人の經歷に成長といふことは有り得ない。詩人は幾年詩を作つても同じことで、今日の詩が咋日の詩にまさるといふやうなことは全くない。もしそんなことを考へる詩人があれば、一の悲しき人間的な錯覺である。なぜといつて生命は不斷に流動し變化して行く。いかなる生命も、決して同じ一の港に長く留つてゐない。生命は錨をもたない船であつて、一瞬時も同じ處に滯つてゐないのである。生命は流れてゐる。昨日の感情は今日の思ひでなく、咋日の價値は今日の價値とちがつてゐる。そして進步とは――成長とは――一つの標準すべき價値の上に、深く根付いた木の枝葉をひろげて行くことに外ならない。錨をもたない船、根をもたない流動の生命が、いかにして成長することがあり得ようか。』と述懐している)、電子化する意志自体が限りなく零に近い(恐らくは、私が未だ電子化を同前の理由からやや躊躇している「定本 靑猫」を除いては、向後もこの気持ちは変わらない)ことも断っておく。
底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版(書誌ページはここにあり、全巻PDF一括はこちら。他に単体画像(全)がこちらにある)を視認した。なお、加工データとして所持する筑摩版「萩原朔太郞全集」第二巻(昭和五一(一九七六)年三月二十五日発行初版)及びネット上にある複数の電子データの一部を使用させて貰った。
但し、詩集としてヴィジュアルに楽しんで戴くため、詩集の底本画像の一部をリンクで示した。
なお、本詩集の「靑猫(以後)」に収載する詩篇の標題は以下である(本詩集の目次は本文の後にあるので、ここで示しておく。表記は本文内表記に従った)。
桃李の道
風船乘りの夢
古風な博覽會
まどろすの歌
荒寥地方
佛陀
ある風景の内殼から
輪廻と樹木
曆の亡魂
沿海地方
大砲を擊つ
海豹
猫の死骸
沼澤地方
鴉
駱駝
大井町
吉原
大工の弟子
空家の晚食
それに、「鄕土望景詩」として、
監獄裏の林
で計二十一篇となる。
今までの電子化注と同じく、本篇及び初出形は可能な限り表記可能な正字で示し、誤りもそのまま電子化し、それらについては注を附す。但し、字配はブラウザでの不具合を考えて必ずしも再現していない(特に下方インデント)。【2022年1月9日始動 藪野直史】]
萩原朔太郞詩集
[やぶちゃん注:詩集の箱と背。底本では箱の裏の画像はないようである(HTML画像の1と前に示した3の画像は汚損と損壊から見て、同一の箱の表である。]
萩原朔太郞詩集
[やぶちゃん注:本体の背。本体表紙(刻字はない)と裏表紙。箱も本体も異様に豪華であるが、刻字は孰れも慎ましやかである。]
S.Hagiwara
1924
[やぶちゃん注:見返しに表題はなく、その裏に著者肖像写真。その写真の右上に手書きで以上のサインとクレジット(斜体・下線附き)がある。そのクレジットから、これは近影ではなく、大正十三年で四年前のものである(大正十三年十一月一日で朔太郎は満三十九歳)。]
萩原朔太郞詩集
[やぶちゃん注:詩集第一標題。ご覧の通り、やはり非常に慎ましやかである。]
著郞太朔原萩
集詩郞太朔原萩
輪高京東
房書一第
年六十二九千
[やぶちゃん注:第二標題。表記通り、右から左書きで電子化した。
めくった次の次のページ(左丁)から以下の「序」が始まり、ノンブルは明朝漢字である。]
序
詩は學問でもなく技藝でもない。詩は時時に燃燒して行く生命の記錄、主觀の思ひ逼つた「訴へ」に外ならない。
處で學問や技藝ならば、修養によつて日日に進步を重ねることが有り得るだらう。然るに詩は學問や技藝でないから、詩人の經歷に成長といふことは有り得ない。詩人は幾年詩を作つても同じことで、今日の詩が咋日の詩にまさるといふやうなことは全くない。もしそんなことを考へる詩人があれば、一の悲しき人間的な錯覺である。なぜといつて生命は不斷に流動し變化して行く。いかなる生命も、決して同じ一の港に長く留つてゐない。生命は錨をもたない船であつて、一瞬時も同じ處に滯つてゐないのである。生命は流れてゐる。昨日の感情は今日の思ひでなく、咋日の價値は今日の價値とちがつてゐる。そして進步とは――成長とは――一つの標準すべき價値の上に、深く根付いた木の枝葉をひろげて行くことに外ならない。錨をもたない船、根をもたない流動の生命が、いかにして成長することがあり得ようか。
生命には成長がない。人の年老いて行くことを、たれが成長と考へるか。老は成長でもなく退步でもない。ただ「變化」である。一の港から他の港へ、船が流れて行く潮の變化である。然り! 生命はただ變化である。人生の樣々なる季節につれて、春から夏へ、夏から秋へと、自然の空や、空氣や、林やの色が變つてくるやうに、人の生命もまたいろいろに移つてくる。だれが四季の價値を論じ得るか? 春と、夏と、秋と、冬の季節の優劣を評價し得る基準がどこにあるか。各の季節の自然は、各の特殊な美と必然を有してゐる。だれが四季の變化を以て曆敷の進步と言ふか? 進步はどこにもない。實にあるものはただ變化のみ。虹の、雲の、夕映の、さまざまなる色の移り行く變化のみ。生命は!
されば詩には進步がない。詩人の生涯には成長がない。詩人はただ時々に変化する。靑蟲が蛹となり、蛹が轉じて蝶類となるやうに、詩人もその生涯を通じて變態する。我々が蝶となつた時、我々はもはや再度靑畠の貪婪(どんらん)を繰返さず、彼等の悲しき歌を唄はうとしないだらう。私は過去にすくなくとも三期の變態をした。「愛憐詩篇時代」「月に吠える時代」そして「靑猫時代」である。今、私はさらに一の新しき變化をするため、古き殼を脫がうとしてもがいてゐる。私はまた變るであらう。けれども「力」が、尙充分に感じられる朝まで、しばらく地下に冬眠する蛹とならう。私は尙弱い。日光は空に暗く、生えない翅が殼の中でかじかんでゐる。
詩人の生涯は變化である。私には成長もなく進步もない。長い過去の生涯は、私の藝術にとつて一の增すものもなく滅るものも殘さなかつた。私は昔あつたやうに、今日も尙幼く未熟の初學詩人にすぎないのだ。私は何等の「藝術」をも持つてゐない。ただ生命の浪の移り行く過去の LIFE の「記錄」を持つてゐるにすぎないのだ。私は一切の過去の詩を集めて、これらの貧しき記錄を編輯した。もとより過ぎ行く利根川の水の中に、一切を破つて棄つべきものであるか知れない。ただ切に感ずるものは非力である。無才にして詩を思ひ、力なくして人生に戰はうとする悲哀である。
我れの叛きて行かざる道に
新しき樹木皆伐られたり。
ともあれ此處に、私の「恥かしき存在」を編輯した。これを以て一切の過去に告別する。もはや再度、私の「靑猫」や「月に吠える」を繰返すことをしないだらう。私は歎きつつ、悲しみつつ、さらに新しき道路に向つて、非力の踏み出しをしようと構へてゐる。
西曆一九二八年二月
大森馬込村の新居にて 萩原朔太郞
[やぶちゃん注:「我れの叛きて行かざる道に/新しき樹木皆伐られたり。」は私の偏愛する一篇、萩原朔太郎の詩集「純情小曲集」の「鄕土望景詩」の中の「小出新道」の末尾二行である。但し、先般、終わった私の同詩、『萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 鄕土望景詩 小出新道』を見て戴くと判る通り、元は、
*
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
*
であって、早くも表記違いの改変を行っている。ここは正しく引用するべきところであって、私はこういうところが、甚だ不快なのである。
以下は、「序」の終わった「四」ページ(右丁)の次の次のページに記されてある。]
凡 例
自分は過去に四册の詩集を出版してゐる。「月に吠える」「靑猫」「蝶を夢む」「純情小曲集」である。そこでこの全集には、此等の全部をまとめて一册に綜合した。
「靑猫」出版後に作つた最近の詩が約三十篇ほどもある。この中、鄕土望景詩篇に屬するもの十篇は、最近「純情小曲集」の一部に入れて刊行したが、他の二十篇ほどの詩は、時時の雜誌に載せたのみで、未だまとまつた書物としては出してゐなかつた。よつてこの全集の刊行を機會として、集中の後篇「靑猫以後」の部に編入した。
編輯の順序は、大體に於て創作年代によることにした。卽ち編を別けて「愛憐詩篇時代」「月に吠える時代」「靑猫時代」「靑猫以後」の四期に分類し、さらにその各編を前期と後期とに對別した。しかしその各編における箇々の詩の排列は、必ずしも創作順序によつてるのではない。箇箇の詩の排列順序はでたらめである。ただ大體に於て、同じ時期の創作に屬するものを、できるだけ同じ編の項中に類屬させた。故に大體に於てみれば、過去における自分の詩作經歷が、目次の順序通りに展開されてゐるわけである。
[やぶちゃん注:最終段落中の二度目の「箇箇」はママ。底本では行末でこの熟語が分断されているために、後を「々」とせず、正字としてあるのである。因みに言っておくと、筑摩版全集校訂本文がこの「々」を総てに於いて認めず、正字化して無菌化消毒しているのは、甚だ不快であることを申し述べておく。
なお、冒頭注で述べた通り、以下の「愛憐詩篇」(朔太郎は『各編を前期と後期とに對別した』と言っているが、「愛憐詩篇」には前期・後期の区分は本文では存在しない)・「月に吠える(前期)」・「月に吠える(後期)」・「靑猫(前期)」・「靑猫(後期)」は電子化しない。
従って、以下、PDF版では209コマ目に飛ぶ。]
靑 猫 (以 後)
[やぶちゃん注:パート標題。]
桃李の道
――老子の幻想から
聖人よ あなたの道を敎へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
鷄(とり)や犢(こうし)の聲さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの眞理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ 私は家を出で なにの學問を學んできたか
むなしく靑春はうしなはれて
戀も 名譽も 空想も みんな揚柳の牆(かき)に涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舍の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌(はたうた)の聲も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか
あなたは默し さうして桃や李やの咲いてる夢幻の鄕(さと)で
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道德の人を知らない
晝頃になつて村に行き
あなたは農家の庖廚に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れ もはや遠くあなたの沓音(くつおと)を聽かないだらう。
悲しみのしのびがたい時でさへも
ああ 師よ! 私はまだ死なないでせう。
[やぶちゃん注:「揚柳」はママ。「揚柳」という熟語は存在はする。しかし、ヤナギの一種ではなく、「揚柳縮緬」の略で、片縮緬の一種で、経(たて)方向に筋のような「しぼ」のある織物を指す。経糸に無撚り糸を使用し、緯糸に強撚りの糸を用いて平織にしたクレープである。見た目が柳の葉を重ねたように「しぼ」が現われることに由来し、主に夏用の衣類に使用される(サイト「きもの用語大全」のこちらに拠った)。されば、これは不審で、以下に示す初出から、「泥楊」の誤記或いは誤植であることが判る(後発の「定本 靑猫」に再録されたものでは「泥柳」となっている)。「どろやなぎ」はキントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens の異名である。当該ウィキによれば、『日本では北海道から中部地方かけてに分布する』が、『木質は軽軟で荷重に弱く、腐りが早いうえ』、『燃えやすいため』、『建材には適さない。凹んで衝撃を吸収するので、かつては弾薬箱にされたという。また』、『安物の下駄やマッチの軸に利用されたが、マッチ軸としても折れやすい下等の材とされ、現在ではまったく利用価値がない』とあり、『軽軟材であるが、加工するノミや鉋の刃の傷みが堅木より早いと言われ、実際に機械で測定するとミズナラの数倍の速度で工作機の切刃が磨耗することがわかった。「泥の木」の名称はこの奇怪な性質が』、『根から泥を吸い込むせいとされたからとも言い、また』、『泥のように柔らかい』『・使い道が無いから、北海道の方言から』『等の諸説あるが』、『わかっていない』。『加工時に刃が傷みやすい理由は、木の芯に炭酸カルシウムを多く含むからと考えられている』とあった。偏屈者を自任した萩原朔太郎にして、如何にも相応しい木ではないか。
「庖廚」は「はうちゆう」で「厨房」に同じ。
初出は大正一二(一九二三)年一月号『詩聖』。以下に筑摩版全集で示す。添え辞は存在しない。
*
桃李の道
聖人よ あなたの道を敎へてくれ
繁華な村落はまだ遠く
鷄(とり)や犢(こうし)の聲さへも霞の中にきこえる。
聖人よ あなたの眞理をきかせてくれ。
杏の花のどんよりとした季節のころに
ああ私は家を出で なにの學問を學んできたか
むなしく靑春はうしなはれて
戀も 名譽も 空想も みんな泥柳の牆(かき)に涸れてしまつた。
聖人よ
日は田舍の野路にまだ高く
村村の娘が唱ふ機歌(はたうた)の聲も遠くきこえる。
聖人よ どうして道を語らないか
あなたは默し さうして桃や李やの咲いてる夢幻の鄕(さと)で
ことばの解き得ぬ認識の玄義を追ふか。
ああ この道德の人を知らない
晝頃になつて村に行き
あなたは農家の庖厨に坐るでせう。
さびしい路上の聖人よ
わたしは別れ もはや遠くあなたの沓音(くつおと)を聽かないだらう。
悲しみのしのびがたい時でさへも
ああ師よ! 私はまだ死なないでせう。
*]
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