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2022/01/19

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 苗鰕(アミ) / アキアミ・アミ或いはオキアミ

 

[やぶちゃん注:底本のこちらからトリミングした。四個体が描かれてある。左手から伸びている鬚(触角)は、既に電子化した「蝦蛄」のそれで、下部にあるのは「クルマエビ」の長い鬚(触角)であって無関係である。下方の「醬蝦、細くして……」以下は「苗蝦」の補足注と考えられるので、途中に挟んだ。位置はブラウザの不具合を考えて再現していない。字の大きさも不揃いになるだけなので、以後、再現しないことにした。]

 

Ami

 

「楊氏漢語抄」に云はく、

   「細魚」は【「うるりこ」。】。「海糠魚」【「あみ」。】。

「漳州府志」及び「海物異名記」に曰はく、

苗蝦【「あみ」。又、「醬蝦」と云ふ。此者小にして、大、成らず。】

醬蝦、細くして針芒(しんばう/はりさき)のごとく、海人、醓(しほ)し、以つて、醬(ひしほ)と爲(な)す。淡紅色、云云。即ち、此の者なり。

「巻懷食鏡」、

  「海糠魚(あみ)」。

「本草」の「集解」、

  「糠蝦(あみ)」。

  「あびゆ」【総州。】。

 

壬辰八月十有四日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは図から見ても数種を含むと考えられ、

真軟甲亜綱フクロエビ上目アミ目 Mysida(糠蝦・醤蝦)

真軟甲亜綱ホンエビ上目オキアミ目 Euphausiacea(沖醤蝦)

甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱十脚目根鰓亜目サクラエビ科アキアミ属アキアミ Acetes japonicus (秋醤蝦)

のエビ状を成すアミ類や、アミ類とは全くの別種であるオキアミ類、及び、アキアミのような小型のエビである。但し、細部が検証出来ないので、それぞれを同定比定することは出来ない。敢えて言うと、最上部のそれは下方の二種に比して大きく、色からも、生体ではないのであれば、アキアミの可能性が高いようにも思われる。下方は沿岸性の個体であろうから、オキアミ類よりもアミ類である可能性が高い。

 アミ目の類は、体は頭胸部・腹部・尾部に分かれ、頭部には発達した二対の触角と、可動の柄の先についた眼を持つ。また、尾部の先端は扇状に発達し、全体としてエビ類に酷似した外見であるが、アキアミのような小型のエビ類や、オキアミとは、分類学上は異なるグループに属し、分類学上、アミ目のアミ類は狭義のエビではなく、あくまで「アミ類」である。一般には「イサザ」「イサダ」とも呼ばれものの、この呼び名も、例えばツノナシオキアミ(オキアミ目ツノナシオキアミ Euphausia pacifica )のようなオキアミ類などに使われる場合があるので注意を要する。体長は最小種で二ミリメートル程で、一般には五ミリメートルから三センチメートル前後までの小型の種が殆どである。エビ類と異なり、胸肢の先が鋏状にならない。背甲は胸部前体を覆うものの、背側との癒合は第三胸節までである。アミ目は、尾肢内肢に一対の「平衡胞」と呼ばれる球状の器官を持つことで、他のグループと容易に識別出来る。大部分は海産で、一部の種が汽水域や湖沼にも棲息し、最も知られるアミ亜目アミ科イサザアミ属イサザアミ Neomysis intermedia のように、かなり塩分の低い環境にも適応した種や、純淡水産の種も存在する。但し、湖沼への出現は海跡湖に限られている。アミ目全体として見た場合の分布は、赤道から極地までの広い範囲に及ぶが、個々の種については、極めて分布域の狭いものも見られる(こはウィキの「アミ」に拠った)。

 和名が酷似するオキアミ類は、外見的には遊泳性のエビ類によく似ており、頭胸部は背甲に覆われ、腹部は六節からなる腹節と尾節から成る。胸部には八節があり、それぞれに附属肢があるが、エビを含む十脚類では、その前三対が顎脚となっているのに対して、オキアミ類では、そのような変形が見られない。第二・第三節が鉗脚として発達する例や、最後の一、二対が退化する例もある。それらの胸部附属肢の基部の節には、外に向けて樹枝状の発達した鰓を有するが、これが背甲に覆われていない点でもエビ類と大きな相違点であり、オキアミも分類学上は狭義のエビではなく、あくまで「オキアミ類」であるアミ類とはちょっと見では似て見えるものの、以上の固有の大きな器質的相違点があり、系統的にもやや遠いと考えられている。オキアミは全て海産で、その大部分が外洋の表層から中深層を遊泳して生活するプランクトンである。多くの場合、幼生はやや表層で生活し、成熟に連れて次第に深いところへ移動する傾向がある。また、浅海生の種もおり、それらは日周鉛直運動をする(ここはウィキの「オキアミ」に拠った)。

 一方、真正のエビ類であるオキアミは、日本を含む東南アジアの内湾域に生息する小型のエビで、食用や釣り餌などに利用される。標準和名に「アミ」と名がつくが、分類学上でも真正のエビの仲間であり、以上で述べた通り、イサザアミやコマセアミ(アミ目アミ科コマセアミ属コマセアミ Anisomysis ijimai )の属するアミ類ではなく、オキアミ類でもない。♂は一・一~二・四センチメートル、♀は一・五~三センチメートルで、体幹は前後に細長い。生時は体がほぼ透明であるが、尾扇に赤い斑点が二つある。死んだ個体の体色は濁ったピンク色になる。第二触角は体長の約二倍もあり、根元から四分の一ほどの所で折れ曲がる。五対ある歩脚のうち、第四及び第五歩脚が退化し、残りの三対は孰れも鉗脚である。アミ類やオキアミ類の歩脚は鉗脚化しないので、この点で区別出来る。インド南部・ベトナム・中国・黄海・日本の沿岸域に分布する。日本での分布域は秋田県以南で、富山湾・三河湾・瀬戸内海・中海・有明海などの内湾が多産地として知られる。プランクトンとして内湾の河口付近を大群で遊泳し、他のプランクトンやデトリタスを食べる。天敵は魚類、鳥類などである。生息地での個体数は多く、食物連鎖で重要な位置を占める。本邦での産卵期は五月から十月までで、♀は交尾後に六百八十個から六千八百個に及ぶ受精卵を海中に放出する。♂は交尾後に、♀は産卵後に死んでしまう。受精卵は直径〇・二五ミリメートルほどで緑色を呈し、数時間のうちに孵化し、ノープリウス(Nauplius)幼生を三期、プロトゾエア(Protozoea)幼生を三期、ゾエア幼生一期、ミシス(mysis)幼生を経た後、稚エビに変態する。本邦のの棲息地での研究によると、同種には九~十ヶ月ほど生存して越冬をする「越冬世代」と、夏の二~三ヶ月だけで一生を終える「夏世代」があり、一年のうちで二~三回、世代交代を行うことが判明している。越冬世代は五~七月に産卵し、生まれた夏世代が、七~十月に産卵して死ぬ。また、早いうちに誕生した夏世代から、もう一代、夏世代が生まれ、秋に越冬世代を産卵する場合もあり、越冬世代では、水温が下がると、成熟せずに休眠し、春に成長して産卵する。微小で弱性の性質をカバーし、子孫を残すための複雑巧妙なライフ・サイクルを持っていることが判る。現在、一九八〇年代頃から漁獲量は増え始めており、二〇〇〇年代には全世界で年間六十万トンも漁獲されている。一九八〇年代から一九九〇年代には養殖も試みられたが、現在では行われていない。曳き網などで漁獲され、漁の最盛期は八~十月頃で、和名通り、秋に多く漁獲される。塩辛にされることが多く、産地周辺で流通する。他にも佃煮・乾物・掻き揚げなどにも利用され、郷土料理として扱われることもある。朝鮮半島ではキムチの風味付けの一つとして、本種の塩辛が重要な材料となっている。嘗ては岡山県の児島湾が一大産地であり、西行の「山家集」にも(以下は所持する岩波古典文学大系を参考にして引用した)、

   *

   備前國に小嶋と申す島に渡りたりけるに、
   「糠蝦(あみ)」と申物を採る所は、おの
   おの、別々(われわれ)占(し)めて、
   長き「さを」に、袋をつけて、立て渡すなり。
   その「さを」の立て始めをば、「一のさを」
   とぞ名付けたる。なかに、齡(とし)高き
   あま人の立て初むるなり。「立つる」とて
   申(まうす)なる詞(ことば)、きゝ侍りし
   こそ、淚零れて、申すばかりなくおぼえて、
   詠みける

 立て初むる糠蝦採る浦の初(はつ)さをは

   罪(つみ)の中にも優(すぐ)れたるかな

   *

と詠まれ(正直、辛気臭い厭な歌だな)、「備前の漬アミ」として名高く、東京や関西へもさかんに送られたが、児島湾の干拓によって漁場が消滅したことで、衰退してしまった。食用以外に、釣り餌や養殖魚の飼料にも用いられる。本邦では、商品名には「アミエビ」という商品名が付くことがある。一般的には、冷凍物・塩漬物が流通の主体を占めており、冷凍物は「日本水産」等が生産し、塩漬物はキムチ料理に使用する物を流用するため、韓国からの輸入物が多い(以上は西行の歌引用以外はウィキの「アキアミ」に拠った)。

「楊氏漢語抄」「和名類聚鈔」にしばしば引用される、奈良時代の養老年間(七二〇年頃)に成立したと考えられている漢字辞書。漢語を和訳し、和名を附した国書であるが、現在は散逸。これも無論、「和名類聚鈔」に拠るもので、巻第十九「鱗介部第三十」の「龍魚類第二百三十六の以下(国立国会図書館デジタルコレクションのここを視認し、一部は推定で訓読した)。

   *

細魚(ウルリコ)【「海糠(アミ)」。附(つけたり)。】「漢語抄」に云はく、「細魚」【「宇留里古(うるりこ)」。】は海糠魚【「阿美」。今、案ずるに、出づる所、並(ならび)に未だ詳かならず。】

   *

この「うるりこ」については、小学館「日本国語大辞典」に「語源説」として、『捕えられ易いことから、ウルケ(癡)たコザカナ(小魚)の義〔比古婆衣・大言海〕。』とあった。「比古婆衣」は若狭小浜藩士にして国学者で本居宣長の没後の門人であった伴信友(ばんのぶとも 安永二(一七七三)年~弘化三(一八四六)年)の著になる考証随筆。全二十巻。続編九巻。一・二巻は弘化四(一八四七)年に、三・四巻は文久元(一八六一)年刊。以後の部分は明治四十年から四十二年(一九〇七年~一九〇九年)刊の「伴信友全集」に初めて収録された。古典や古代の制度・歴史・言語・故事などについての年来の研究を書きとめたもので、博引旁証が詳密を極める。死後、子の信近によって公表されたものである。以上の説は、「卷の四」の「白うるり」に中に出る。国立国会図書館デジタルコレクションの「伴信友全集」のこちらを見られたい。これを読むと、かなり説得力ある。

「海糠魚」「あみ」は小学館「日本国語大辞典」の「語源説」によれば、『⑴中国語「蝦米」から〔外来語辞典=荒川惣兵衛〕。⑵アミエビの上略〔守貞満稿・大言海〕。⑶ウナムシ(海虫)の義〔和訓栞・言葉の根しらべ=鈴木潔子』(きよこ)『〕。⑷アカムシの反〔名語記〕。⑸イマウミエビ(今産蝦)の義〔日本語原学=林甕臣』(はやしみかおみ)『〕。』とあった。同辞書では見出しを「あみ【醬蝦】」としつつ、本文で異名として、『こませ。あみえび。あみざこ。あみじゃこ。ぬかえび。』を掲げている。しかし、どうも以上の語源説は孰れも説得力を欠くように私には思われる。

「漳州府志」原型は明代の文人で福建省漳州府龍渓県(現在の福建省竜海市)出身の張燮(ちょうしょう 一五七四年~一六四〇年)が著したものであるが、その後、各時代に改稿され、ここのそれは清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌を指すものと思われる。同書の「介之屬」に『蝦姑【如蜈蚣而大。能食蝦、謂之蝦姑。】』とある。

「海物異名記」南唐の陳致雍に「晉江海物異名記」というのがあるが、これか? よく判らぬ。なお、「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 苗蝦」の私の同書の注を是非、参照されたい。

「苗蝦」これは、稲生若水(いのうじゃくすい)著の三百六十二巻に、丹羽正伯らが増補した六百九十二巻が加わった、実に千五十四巻から成る本邦の博物学史上、画期的な本草書である「庶物類纂」(延享四(一七四七)年完成。漢籍類などから、動・植・鉱物の記事を集成・分類し、実物によって検証したもの)の「介屬卷之十」に「苗蝦」として立項されてある。「国立公文書館デジタルアーカイブ」のこちらで同巻を視認出来るが、その16及び17コマ目を見られたい。まず、冒頭で「苗蝦」とし、『一名「塗苗」【「福州府志」】一名「醬蝦」【同上】』『俗名「挨鼻(アミ)」【備前州】』とある。以下の解説では、蝦の中でも極めて小さなものを「苗蝦」と名づけるという記載がある。これを見て私は「苗」の意味がやっと腑に落ちた。さらに、同書には、

   *

苗蝦、「海物異名記」、謂醬蝦、細如針芒、海濱人鹽シテ以爲ㇾ醬【「漳州府志」】。

   *

とあるのを見出したによって、梅園は「海物異名記」なる書に直接当たらずに書いた可能性が見えてきた。後注で、実はこれらは孫引きだらけであることが判明する。なお、私の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 苗蝦」も参照されたい。梅園は、これも孫引き対象としていることが、またまたバレバレとなる。

「醬蝦」は「ひしほ」にする(塩漬けにする)エビの意である。

「巻懷食鏡」は「かんくわいしよくかがみ(かんかいしょくかがみ)」と読む。江戸中期の医師で後世派(ごせいは:李朱医学)の第一人者であった香月牛山(かつきぎゅうざん 明暦二(一六五六)年~元文五(一七四〇)年:筑前国生まれ。名は則実(則真とも)、牛山は号。儒学を福岡藩お抱えの本草家貝原益軒に、医学を藩医鶴原玄益に学び、三十歳で豊前中津藩小笠原氏の侍医となった。元禄一二(一六九九)年に職を辞し、京で医業を開くが、享保元(一七一六)年、招かれて小倉藩小笠原氏に仕えた。牛山は李東垣(りとうえん)・朱丹渓(しゅたんけい=朱震亨(しんこう))の医説を信奉し、また、貝原益軒の実証的研究方法の影響を受け、自らの医療経験に基づいて医説を唱え、治療においては温補の方剤を主とした「薬籠本草」ほか、多くの著書がある)が書いた本草書。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで、没後の版だが、寛政二(一七九〇)年刊の版本が視認出来るのだが、分類が独特で、ぐちゃぐちゃにしか見えず、なんとも探し難かったが、やっと、同前のPDF一括版112コマ目に「海糠(アミ)魚」を見出した。而して、ここで、実は前の「海物異名記」云々までは、実はここからの丸写しでしかないことがバレた。そこに(訓読した)、

   *

海糠(アミ)魚 辟益[やぶちゃん注:牛山の本名の「啓益」の略字であろう。]、按ずるに、「本艸」の「集解」の「糠蝦」、是れなり。「漳州府志」に云はく、『「海物異名記」、之れを醤蝦と謂ひ、細くして針芒のごとし。海人、醓(しほ)して、以つて、醤(ひしほ)と爲(な)す。淡紅色』と云云。卽ち、此物也。其の氣味、性、蝦と相ひ同じ。便血・痔漏・瘡疥を發す。之れを患ふ人、食ふ勿れ。

   *

とあるのだ。而して、以上の記載は、梅園は、実は、それぞれの漢籍に拠ったのではなく、「庶物類纂」と、この「卷懷食鏡」から、お手軽に孫引きをしたに過ぎなかったのである。以前に述べた通り、梅園は絵は美事だが、書誌学的記載では、ボロが、これ、結構、多いのである。ちょっと残念だなぁ……。

「淡紅色」アキアミは生体ではほぼ透明だが、尾扇に赤い斑点が二つあり、しかも死んだ個体の体色は濁ったピンク色になる。挿絵の一番上のそれが、アキアミであると考えたのも、この死後変色からである。

『「本草」の「集解」、「糠蝦(あみ)」』「本草綱目」巻四十四の「鱗之三」の「鰕」の「集解」。「漢籍リポジトリ」のこちらの[104-51a]の影印画像を見られたい。そこに『凡有數種米鰕糠鰕以精粗名也』とある。

『「あびゆ」【総州。】』不詳。千葉にこの「アミ」の地方名が生き残っていたら、是非、お教え願いたい。

「壬辰八月十有四日」天保三年八月十四日。グレゴリオ暦では一八三二年九月十一日。]

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