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2022/01/21

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 大脚蝦(テンボウヱビ)・白タヱビ・田ヱビ / テッポウエビ(概ね図のみ)・テナガエビの第二歩脚の欠損個体(解説内)・シラタエビ・ヤマトヌマエビ(最後は再出か)

 

[やぶちゃん注:三種、描かれているが、「白タヱビ」(恐らくは「しらたえび」と読む)に対応する解説は見当たらない(恐らくは長い解説の後半に出る芝エビ云々がそれらしい)。しかも面倒なことに、その「白タヱビ」の触角が「田ヱビ」の解説文にかかってしまっているため、三種を纏めて電子化することにした。]

 

Tenbouebihoka

 

「邵武通志(しやうぶつうし)」に出づ。

   大脚蝦(タイキヤクカ[やぶちゃん注:左ルビ。])【「てんぼうゑび」・「てんごう」(備前)・「堅田(かたた)ゑび」(江州)・「泻(かた)ゑび」(賀州)。】

 

「湖中産物圖證」、蝦の條下に曰はく、『一種、小なる有り、頭尾共(とも)に二寸許り、又、五、六分の者あり。其の頭身半(なか)ばをなす鬚に、條あり、長く、足(あし)は、長短なり。皆、同じ。惣身(そうみ)、灰色にして、眼、大なり。夏秋の間、鮞(はららご)あり。腹外、脚手の間に、此れを抱(いだ)く。「松原ゑび」と云ふ。名品とす。松原は地名。湖邊の一湊(いち、みなと)なり。又、「堅田ゑび」と呼ぶ。其の形、「松原ゑび」と同じくして、一手(いつて)、大にして、一手、小なり。其の外、異なること、なし。此れ、「邵武府志」に出だす「大脚蝦」なりと、蘭山先生の説なり。此のゑび、勢多の獅子飛(ししとび)へ落ち、宇治川・伏見・淀・橋本邊へ落ち下りて、大いさ、頭尾共に、三、四寸。足の長さ、四寸許り。鬚は、足より短く、肉、太くして、甚だ美味となる。此れ、五、六月の候なり。右の邊、名産とす。鹽に製して、夏日、遠くに寄す』。 予、曰はく、「大脚蝦」、則ち、「堅田ゑび」なり。江戸芝浦の名産「芝ゑび」の中に、ま〻、あり。前説、『鬚、足より短く』と云ふ者、未だ見ず。此者、茲(ここ)に圖するは、何れの國の産や知らず。好子某氏所藏、之れを乞ひ、天保十亥年二月七日、之れを寫す。

 

此者、出水(でみづ)の後、田の中に生ず。干-乾(ほ)し、多く市中(いちなか)に賣る。「てゑび」とも、「はかりゑび」とも

 

丁酉三月十二日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは非常に困った。図されたものと、下方に書かれた解説に、生物学上、合致得ない乖離があるからである。まず、大振りの赤いザリガニのように描かれた図のそれは、テッポウエビ科 Alpheidae の最大級の種である(体長は五~七センチメートルほどであるが、さらに第一歩脚は大きな鉗脚として発達し、これを含めると、大型個体は十センチメートルを超える。第一歩脚は左右で太さと形態が異なり、大きい方は掌部(中ほどの関節から鋏の付け根まで)は指部(鋏部)の三倍ほど長く、重厚で、指部は、短いものの、太くて、鋭い。小さい方は逆に指部が掌部の凡そ三倍あり、咬み合わせ部分に隙間がある細長い鋏となる。大きい方の鋏を、一旦、開いて急速にぶつけ合わせ、「パチン!」という大きな破裂音を出すことが出来る。これは敵に遭遇した時の威嚇や、獲物を気絶させる際に、この行動を行う。以上は当該ウィキに拠った)、

十脚目抱卵(エビ)亜目コエビ下目テッポウエビ上科テッポウエビ科テッポウエビ属テッポウエビ Alpheus brevicristatus

にしか見えない(なお、同種の生時の体色は淡緑褐色で、背面には淡い白斑が散らばる。しばしばお世話になる鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」の同種のページに生体写真があるので参照されたい。本図がザリガニのように赤いのは、乾燥標本にするために茹でてあるからであろう。但し、近縁種のフタミゾテッポウエビAlpheus bisincisus は生時でもピンク色或いは褐色を呈してはいる個人ブログ「田中川の生き物調査隊」の「フタミゾテッポウエビ」及び「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の当該種のページをご覧あれ)。ところが、テッポウエビは日本を含む東アジア沿岸海域の内湾・浅海の砂泥底、則ち、干潟にのみに棲息する海産エビで、内陸の「堅田(かたた)ゑび」「江州」=近江国や、「泻(かた)ゑび」という呼称は「潟エビ」で如何にもテッポウエビでいいのだが、その地方名が、完全な内陸の「賀州」=伊賀国、ひいては、後に延々と解説されている琵琶湖と、そこから流れ出る河川域にはテッポウエビは棲息しようがないので、違う。但し、「てんぼうゑび」「てんごう」(備前)というのは、テッポウエビを指している可能性が頗る高いから、ここで同定の一候補として挙げてよいと私は判断した。「てんぼう」とは「手ん棒」で、「てぼう(手棒)」の音変化で「怪我などのために指や手がなく、棒のようになっていること」を言う古語である(但し、差別的ニュアンスがあるので、廃語とすべきものである)。

 さて、では、

この琵琶湖産(本文で引く「湖中産物圖證」(こちゅうさんぶつずしょう:現代仮名遣)は藤居重啓なる人物によって文化一二(一八一五)年に書かれた、琵琶湖の水棲動物についての図説。国立国会図書館デジタルコレクションで写本(複数巻)が視認でき、その「下」の「卷三上」のここで、梅園の引用した箇所が読める)の――純淡水産エビで――左右の歩脚の内の一対の片方の長さが短い種――とは一体、何か?

ということを考えねばならなくなった。しかし、だ。本邦に棲息する淡水エビで、左右の鉗脚が有意に長短になっている種というのは、調べた限りでは――いない――のである。

 困った。いろいろ調べる内、少年の頃、よく採ったアメリカザリガニのことを連想した。彼らは脱皮をする。脱皮直後は我々は「こんにゃく」と呼んだが、非常に柔らかく、外敵に直ぐ襲われる。すると、片手を食われることがあり、片手のない個体をよく見かけた。脱皮前の成体でも同種間の共食いや外敵によって、片手を捥ぎ取られて、再生中の個体もいた。そんなことを考えてみて、

「川エビ類も、脱皮直後にそうした事態となり、片手がなかったり、半分食われて短くなったりする個体が、生物群の圧が大きければ大きいほど、有意に出現することになるのではなかろうか?」

と思ったのであった。さらに、先に示した「湖中産物圖證」の解説の前の部分にエビの絵があった。それは、しかも、どう見ても、下方のそれは、既出のテナガエビにしか見えないのだった(参考図としてトリミングして以下に示す。左下のふにゃふにゃは、原本写本の虫食い穴である。上部の図の種は不明だが、触角が目立って長いのは、関西で「シラサエビ」「湖産エビ」と呼ばれて釣り餌になるテナガエビ亜科スジエビ属スジエビ Palaemon paucidens と考えてよいか)。

 

Kotyusanbutuzusyouebi

 

江戸時代当時の琵琶湖の水棲生物は非常に種に富み、固有種も沢山いた。しかも、テナガエビは同種個体間でも縄張り意識が強く、他の個体と遭遇すると、積極的に戦って排除をする。だとすれば、それだけ、テナガエビが鉗脚の一方を欠損する確率は高くなることになる。とすれば、普通のエビよりも片手という印象が甚だ強くなるわけだ! さればこそ、私はこれは、

節足動物門軟甲綱ホンエビ上目十脚目テナガエビ科テナガエビ亜科テナガエビ属テナガエビ Macrobrachium nipponense 片方の鉗脚の欠損個体

を指していると断じたいのである。

 なお、そんなことを考えつつ、ネットの川エビ類の記事をも縦覧していたところ、ab3mai氏のサイト「淡水エビの飼育と観察『蝦三昧』」の『淡水エビの見分け方 基本の「き」』を読んだところ、通常の淡水産のエビ類も、脱皮直後の個体が、共食いや外的などによって鉗脚を食われてしまい、片方を持たない個体が結構出現することが、はっきりと書かれてあった。特に肉食性の強いテナガエビでは、テナガエビでありながら、『両腕とも取れてしまっている個体もたまに見掛け』るあったのである。

 次に、中央下の「白タヱビ」であるが、これは文字通りの、

抱卵亜目テナガエビ科スジエビ属シラタエビ Exopalaemon orientis

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見られたいが、そこには体長は七センチメートル『前後になる。生きているときには透明で』、『死ぬと白くなる。額角が長く鋭い』とあり、漢字表記は『白太蝦』で、『「白太」とは白いということで、赤の反対語。これから』、『熱しても赤くならないということか。もしくは白いエビという意味合い』とする。分布は『浅い汽水域』で、『函館以南〜九州。韓国、台湾、中国』とし、『汽水域でとれる小エビのひとつ』で、『有明海周辺では干しエビにもな』り、『かき揚げに、だしなどに産地では人気が高い』と記されてある。梅園の『江戸芝浦の名産「芝ゑび」』(十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科ヨシエビ属シバエビ Metapenaeus joyneri既出)『の中に、ま〻、あり』とあるのが、シラタエビのことであろう。

 最後の左手の「田ヱビ」であるが、これは『毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 車ヱビ(クルマヱビ)・泥蝦(ノロマヱビ)の二種/ 前者「クルマエビ」・後者「ヌマエビ」の一種或いは「ヤマトヌマエビ」』で、バイ・プレーヤー「ノロマヱビ」の名で、小っちゃく、ちょこっと出た、

十脚目コエビ下目ヌマエビ科ヒメヌマエビ属ヤマトヌマエビ Caridina multidentata

と図がよく似ているのが判る。これに同定したい。

「邵武通志(しやうぶつうし)」既出既注。邵武府(しょうぶふ)は元末から民国初年にかけて、現在の福建省南平市西部と三明市北部に跨る地域に設置された行政単位。この附近(グーグル・マップ・データ)。ばっちり、内陸で、閩江が貫流する。同書は明代に陳譲によって編纂された同地方の地誌で、一五四三年の序がある。従って、「大脚蝦(タイキヤクカ)」は少なくとも、海産のテッポウエビではなく、淡水産のテナガエビ或いは近縁種かと思われる。ここ以下は、やはり、『毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 車ヱビ(クルマヱビ)・泥蝦(ノロマヱビ)の二種/ 前者「クルマエビ」・後者「ヌマエビ」の一種或いは「ヤマトヌマエビ」』の注で、「重修本草綱目啓蒙」の「四十 無鱗魚」の「鰕」から(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの同原本の当該部)引いておいたので、そちらを見られたい。

「足は、長短なり。皆、同じ」「前説、『鬚、足より短く』と云ふ者、未だ見ず」先に述べた通り、これは食われた結果の欠損個体と私は断ずるものである。

「鮞」卵。

『「松原ゑび」と云ふ。名品とす。松原は地名。湖邊の一湊(いち、みなと)なり』現在の滋賀県彦根市松原町(まうばらちょう:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「堅田ゑび」現在の滋賀県大津市堅田(かたた)。現在も過去も「かただ」ではない。

「勢多の獅子飛(ししとび)」現在の滋賀県大津市石山南郷町にある鹿跳(ししとび)渓谷。私の「譚海 卷之三 鹿飛口干揚り(雨乞の事)」を参照されたい。

「橋本」京都府八幡市橋本

『予、曰はく、「大脚蝦」、則ち、「堅田ゑび」なり』既に検証した通り、完全な誤りである。

「好子」好事家。

「天保十亥年二月七日」グレゴリオ暦一八三九年三月二十一日。

「てゑび」「はかりゑび」孰れも不詳。後者は乾した微小なそれを秤(はかり)売りしたからかとも思われる。

「丁酉三月十二日」天保八年。グレゴリオ暦四月十六日。]

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