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2022/01/01

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) 「マクベス」の硏究 /「一」~「三」

 

[やぶちゃん注:『「マクベス」の硏究』全十一回に及ぶ本書の中でも長い論考である。されば、分割して示す。「マクベス」(Macbeth )はウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare 一五六四年四月二十六日(洗礼日)~一六一六年 )によって一六〇六年頃に書かれた傑作戯曲。私は彼の作品の中で「ハムレット」(Hamlet :一六〇一年頃成立)に次いで好きな作品で、舞台・映画化の鑑賞回数は数十回に及ぶ。梗概は当該ウィキを参照されたい。因みに、冒頭で小酒井は「マクベス」の引用を坪内逍遙訳に依拠したとある。こちらに電子化されたものがあるものの、これは本篇発表後の、昭和十年二月五日発行の中央公論社版「新修シェークスピヤ全集第二十九卷」を使用したもので、小酒井が引用したものとは表現・表記が有意に異なる箇所が多数ある(この年に亡くなった逍遙自身が前に手を加えて改変してあるようである)。しかし、一括版であり、大いに参考になるので、リンクさせておく。

 

      「マクベス」の硏究

           一

『マクベス』はシェクスピアの代表的傑作であつて、犯罪的方面、醫學的方面から見て多の興味ある問題が取り扱はれてあるから比較的委しく紹介したいと思ふ。『マクベス』の犯罪學的硏究を述べるためには、當然『マクベス』の梗槪を書くべきであるが、この劇の筋はさほど複雜ではないから、筋を述べながら、醫學的、犯罪學的の觀察を下して行かうと思ふ。然し、若し讀者が坪内博士の譯書を片手にしてこれを讀んで下されば、一層よく了解して頂けるだらうと思ふ。なほ文中に引用した原文の譯語は、すべて、坪内博士のそれに依つたのである。

 悲劇『マクベス』の中には、二人の犯罪者の心理的發達が巧みに寫し出されて居る。卽ちマクベス及びマクベス夫人がそれである。さうして從來この二人の性格について、その解釋が一定しなかつた。ある學者は、マクベス夫人を恐ろしい惡魔となし、又ある學者はマクベス夫人の行動を、夫婦愛の理想化されたものであると觀察した。なほ又、マクベスその人に就ても、心から犯罪者になりきつた男であるか否かの決定が容易につかなかつた。『猛將軍のマクベスどのは、運命なぞには目もくれず、武勇其者の祕藏子ででもあるやうに、血煙の立つ大太刀を揮閃《ひらめ》かして、驀地《まつしぐら》に敵中に割つて入りとうとう[やぶちゃん注:ママ。]敵將に邂逅《めぐりあ》はれました以上、いツかな告別辭《さよなら》をいはれゝばこそ、臍《ほぞ》から顎へ掛けてさツと斬割《きりさ》いて、其首をば胸壁に懸けられました。』といはれるくらいの勇者が、ダンカン王を殺す決心をしてから、血のついた短劍の幻影を見たり、兇行後、色々の錯覺を起したりするので、人々はその性格の判斷に迷はざるを得なかつたのである。然し、マクベス夫人にしろ、マクベスにしろ、生理的、心理的の立場から、その性格の發展する原因と經路とを硏究したならば、何の矛盾を感ずることなしに、劇に書かれた彼等の行動を了解することが出來るのであつて、從來の心理學者は、彼等の性格を彼等の行動からのみ判斷しようとしたために、種々の矛盾に突き當つた譯である。さうしてさういふ矛盾に突き當つた理由は、沙翁が、彼等の主要なる素質や體質をいはゞ插話的に取り扱つたためであつて、彼等を醫學的立場から硏究することが、比較的等閑《なほざり》になつて居た爲である。で、これから私は主として精神病學、性學の方面からして、この二人の犯罪心理を分析して見ようと思ふ。

 

        

 悲劇は雷鳴電光の烈しい陰欝なスコツトランドの高地に於る三人の妖婆の出現から始まつて居る。

其處へ戰《いくさ》に勝つたマクベスとバンコー[やぶちゃん注:底本は長音符がないが、後出の表記に則り、補った。]の二將軍がダンカン王に復命すべく來合せる。この妖婆の場面はマクベスの心理と極めて重大な關係を持つて居るのであつて、當時スコツトランドには妖婆の迷信が甚だ盛んに行はれて居たため、沙翁は妖婆を持ち出したのである。尤もこの妖婆の話は、『マクベス』の種本なるホリンシエツドの『編年史』にその儘出て居るのであるから沙翁の創意ではないが、沙翁はこれによつてマクベスの性格を一層はつきり浮み上らせることが出來た。

[やぶちゃん注:「ホリンシエツドの『編年史』」イギリスの年代記作家ラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed 一五二九年頃~一五八〇年頃:チェシャーのサットンダウンズの生れ。ケンブリッジ大学に学んだとされるが、はっきりしない。ともかくも、ロンドンに出て、印刷出版業者ウルフ(Reginald (Reyner) Wolfe ?~一五七三年)に翻訳家として雇われ、世界史の編集を助け、ウルフの死後、志を継いで、より小規模な形でそれ(ここで言う「編年史」)を完成した)が書いた「イングランド・スコットランド・アイルランドの年代記」(Chronicles of England, Scotland, and Ireland :全二巻・一五七七年初版・増補版一五八七年)。シェークスピアのイギリス史劇と本作「マクベス」、また、部分的には「リア王」・「シンベリン」に素材を提供している。]

 マクベスが妖婆を見て、その言葉をはつきり聞居いのは、心理學的に言えばマクベスの幻視及び幻聽であつた。どんよりと曇つたスコツトランドの風景を知つて居るものは、雨の日や雷鳴の夕に、人々が妖婆の姿を見るのは當然のことだと考へるにちがいない。況んやマクベスは戰に疲れた歸りがけであるので、その心理狀態が最も妖婆を見るにふさはしくなつて居たのである。ことにマクベスは後に述べるように、生れながら癲癇の素質を持つて居た人であるから、尙更幻視幻聽を起し易い。

 妖婆の姿はマクベスばかりでなく、バンコーも之を認めた。バンコーにはマクベスのやうな素質は無い筈であるが、これは所謂『群衆妄覺』と稱して、戰爭などの際、兵士の一人が妄覺を起すと他の凡ての兵士が妄覺を起す現象によつて說明することが出來るのである。而もその幻聽たるや、マクベスに對しては、『萬歲マクベスどの!』『萬歲、グラミスの御領主!』『萬歲、コードアの御領主!』『萬歲、ゆくゆくは王さまとならつしやるマクベスどの!』バンコーに對しては、『マクベスどのよりは小さいけれども一倍大きい』『マクベスどのほどに運が好くはないが、一倍運が好い。』『王さまにはならつしやらんけれども、王さまをば幾人も生まつしやります。』といふのであつて、二人ともダンカン王の最高の將軍で、今や謀叛人を平げ、二人を一も二もなく信賴して居るダンカン王の弱々しさを思へば、かうした幻聽の生ずるのはまことに當然のことである。スコツトランドの王位は世襲であつたけれど、若し王に丁年に達した皇太子がなくて王が崩御した場合には、法律上從弟に當るマクベスが繼承者となるのであつて、ダンカン王には實際年少の皇子しかなかつたのであるから、マクベスが王位を繼承することの可能は十分存在して居たのである。從つて彼が平素心の中に、それを望んで居たことは考へるに難くない。又、バンコーは無論マクベスが自分よりも有利な地位にあることを認めて居たが、マクベスには子が無いから、自分の子が王位を繼ぎ得る可能性はあると考へて居たらしく、さてこそ上記のような幻聽を起すに至つたのである。

 さてゆくゆくは王さまとならつしやるときいたマクベスは、嬉しさのために有頂天になつてしまつて物を言ふことが出來ず、やつとバンコーに對する妖婆の豫言をきくに及んではじめて我に返つて、待て、もう一度言へ。父シネルが亡なつたから、予をグラミスの領主と呼ぶのは分つて居るが、コードアとは何だ? コードアの領主はまだ生きてゝ榮えて居る。それから國王になるなぞといふことは、コードアの領主になるのよりも尙一層信ぜられぬことだ。……と詰問した。然し妖婆はそれに答へないで消えてしまひ、二人は耳に殘る言葉を口に繰返すだけであつた。

 ところが妖婆の豫言の一部分は數分たゝぬうちに實現されたのである。そしてこゝにマクベスの犯罪性が芽生えるのである。卽ちダンカン王の使者が來て、マクベスをコードアの領主にするといふ王の命を告げたのであつて、それを聞くと同時にマクベスの頭には、最後の豫言も實現されるべきであるといふ考がひらめき、『グラミスとコードアと! 一番大いのが殘つて居る』と獨語し、使者に對してはたゞ『いやどうも御苦勞千萬で』といふに過ぎなかつた。然し、マクベスはそれと同時に、妖婆たちのバンコーに向つての豫言も思ひ出さざるを得なかつた。さうしてそれはマクベスにとつてはかなり不愉快な豫言であつた。『君は、子供たちが、行く行く王になるだらうとは思ひませんか? わたしにコードアを與れた奴らが、君に然ういふ風に約束しましたぜ』と彼はバンコーに向つて言ふのであつた。

 バンコーはマクベスよりも遙かに用心深い性質であつたので、その時、すでに錯覺の後作用から脫して居た、そこで彼は極めて冷靜に『それを本氣でお信じなさると、ついコードアだけでなく、王冠までも欲しくなりましせうぜ。……が、こりや不思議なことだ。どうかすると、惡魔が、人間を邪道へ誘はうとしてわざと眞實の事を告げることがある。一寸した驗を見せておいて、重大な事でおとしいれようために』といつて、うまくその場を取りつくらふのであつたが、マクベスは心中に湧き出て來る想像と欲望とのために全く我を忘れてしまつた。さうして遂に奇怪な胸騷ぎを起し、最も怖ろしい考へにまで突き進んで行つたのである。『……善い事なら、何故如是《こん》な誘惑が萠《きざ》して、怖しい幻影が目に見えるか? それを想像すると、身の毛が彌立《よだ》つて、例になく心の臟が、肋骨へぶツつかるやうに鼓動する。現在の怖しさは想像の怖しさ程ではない。今は只空想だけで殺人を行つて居るのだが、それが爲に予の心肉は擾亂を極めて、いろいろな臆測が分別を窒息させてしまつて、ただ空な考への外は何も働かん』卽ち彼の心の中に王を弑するといふ考へがむらむらと燃え上つたのである、而も彼のその考へは彼にとつては恐怖であつた。卽ちその考へは彼の心の中にある弱い人間、性の悉くを戰慄せしめたのである。殺人を考へてさへぞつとするやうな人間がどうして殺人を敢てするに至つたか、こゝがマクベスの性格の最も興味ある點だといふことが出來る。

 彼はマクベス夫人に宛てて、妖婆の豫言を書き送つた。『約サレタル行末ノ光榮ヲ分ツベキ卿ガ、

其慶ビヲ知ラデ在スルヨウナル事アリテハト、此事知ラセ申スナリ。トクト考ヘタマヘ。サラバ。』といふ手紙の最後の文句は、彼が妖婆の豫言を信じ切つて居ることがわかる。彼とマクベス夫人との所謂夫婦仲は極めてよく、二人の間には少しの秘密もなかつた。あらゆる幸福は二人で分たうと決心したがために、彼は自分の確信した幸福を、妻に告げ知らせたのである。

 國王ダンカンは戰に勝つて大に喜び、嫡子マルコムを後嗣と定めて、カンバーランドの公子と呼ぶことにし、これと同時に、功績ある人達の頭上にも、榮譽の章を與へようと、マクベスの居城のあるインヷーネスに行幸しようと言ひ出した。これを聞いたマクベスは、『御役に立たんと思ひますと、休息しておるのが却つて苦勞でございます。小官が先觸役を勤めまして、お成の事を妻に知らせて喜ばせませう。では御免蒙ります。』と表面では何喰はぬ言葉を用ひ、心の中では戰鬪準備をせんがため、夫人に一刻も早く告げたいと思つたのである。人のよい國王は、自分を厚遇するために早く歸るものと心得て居た。然しマクベスは、カンバーランドの公子の設立が氣になつた。『カンバーランドの公子! この踏段で蹉躓《つまづ》くか、それを跳越《とびこ》すかだ、行く先に橫はつて居るのだから。……星よ、光を蹈《ふ》んでくれ、予の此眞黑な、重大な陰謀を照すな、手を目には見せんやうにしておいて、爲果《しはた》せた時になつて、見るのを目が怖れるやうな事をしよう。』と彼は獨語した。この『見るのを目が怖れるやうな事をしよう。』といふ考へはいつまでも彼の心に喰付いて離れなかつた。從つて愈よ王を殺すときに當つても、彼はなほこの幻想の中に在つたのである。

 

        

 さて、手紙を受取つたマクベス夫人は、手紙を讀むなり、マクベスを是非國王にしなければならぬと思つた。彼女のその時の獨白はよく夫の性格を物語つて居る。『グラミスの領主でもありコードアの領主でもある、して見れば豫言通りの身分にもお成りだらう。けれども貴郞《あなた》の氣質が心配になる。手取早くやつてのけるには、甘過ぎる。柔和し過ぎる。偉い人にならうといふ希望もあるし、大望もないではないけれどそれを遂げるには、是非共なくちやならん橫道な心が無い。無上に欲しがつてゐながら不淨な手段は用ひまいとなさる、不義を行ふのを厭がつて居ながら不正な望を抱いておいでだ。グラミスどの、貴郞の手に入れたがつてゐなさるものは「これが欲しければ、斯う斯うしなければいけない」と呼んでゐますよ、けれども貴郞には、それを實行する勇氣は無いんだ。實行したくないのではないけれど。……』實際この言葉の中にはマクベスの性格が完全に寫し出されてあつて、マクベス夫人ほど、良人をよく知つて居た妻は世の中に無いといつても差支ないくらゐである。マクベスの心の中には人間愛が充滿して居たため、國王を感動せしめることが出來たのであるが、その氣高い心に直接して、大犯罪に對する用意が橫はつて居たのである。近世犯罪學の敎へるところによると、どんな大犯罪者もその心が全部犯罪性で充滿されて居ることはないのである。同じく沙翁によつて描かれたリチャード三世の如き大犯罪者すらも、その心が全部犯罪性になり切つては居なかつた。

 マクベスは立派な英雄であつた。生えぬきの兵士でもあり、又、生えぬきの戰士でもあつた。英雄にはある種の功名心が必ず附き纏ふものであつて昔から英雄と稱せられる人はいづれもその長上の人又は臣下の者から賞められたいと希ふのが常であつた。さうしてマクベス夫人は良人に存するこの功名心をよく承知して居たのである。

 かやうな功名心は多くは愛他的のものであるが、それが利己的色彩を持つて來ると、愛他的色彩は當然薄くならなければならぬ。否、薄くなるばかりか、全部消し去られてしまふのである。さうして愛他的功名心が利己的功名心に方向轉換をするのは極めて徐々であるから人目にはつき難いものである。マクベスの功名心は卽ち愛他的から利己的に移つたものであるが、かくの如き方向轉換をなさしめた原因は、明かに彼の性格の中に見出し得られるのである。彼は内心の高尙な欲望を持つた人であると同時に、やはり外觀のよきを欲する人であつた。而もその外觀のよきを欲する點が彼には獨特のものであつた。卽ち彼は不義は働きたくないと思ひながら心では不正を念じて居たのである。彼は不法な行爲に對して幾分か臆病であり乍ら、出來ることなら、不法な行爲の結果を驅使したかつた。然し、かくの如き性格は、私たちがお互ひにわが身を振り返つて見るならば、決してマクベスのみに限られたものでないといふことがわかる。若し私たちが、人から尊敬されるやうな人になりたいと思ふ時、それに從つて行つた動作の結果を振り返つて見るならば、善良な意志から發してなされたときよりも外觀のよさを目的としてなされた時の方が、より多くの善の完成の行はれて居ることを發見するにちがひないのである。かう考へて見ると、マクベスの性格はむしろ定型的なものといふことが出來、かやうな性格を描き出した沙翁の偉大さが沁々感ぜられるのである。

 

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