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2022/01/21

萩原朔太郎詩集「宿命」「散文詩」パート(「自註」附) 女のいぢらしさ

 

   女のいぢらしさ

 

「女のいぢらしさは」とグウルモンが言つてる。「何時(いつ)、何處(どこ)で、どこから降つて來るかも知れないところの、見たことも聞いたこともない未來の良人を、貞淑に愼(つつ)ましく待つてることだ。」と。

 家の奧まつた部屋の中で、終日(ひねもす)雀の鳴聲を聽きながら、優しく、惱ましく、恥かしげに、思ひをこめて針仕事をして居る娘を見る時、私はいつもこの抒情味の深い、そして多分に加特力敎的な詩人の言葉を思ひ起す。

 いぢらしくもまた、私の親しい友が作つた、日本語の美しい歌を一つ。

 

   君がかはゆげなる机卓(つくゑ)の上に

   色も朱(あけ)なる小箱には

   なにを祕めたまへるものならむ。

   われ君が窓べを過ぎむとするとき

   小箱の色の目にうつり

   心をどりて止まず。

   そは やはらかきりぼんのたぐひか

   もしくは、うら若き娘心を述べつづる

   やさしかる歌のたぐひか。(室生犀星)

 

 若い未婚の娘たちは、情緖の空想でのみ生活して居る。丁度彼女等は、昔の草双紙に物語られてる、仇敵討ちの武士みたいなものである。その若く悲しい武士たちは、何時(いつ)、何處(どこ)で、如何にして𢌞り逢ふかも解らない仇敵を探して、あてもなく國々を彷徨(さまよ)ひ步き、偶然の奇蹟を祈りながら、生涯を疲勞の旅に死んでしまふ。

 昔のしをらしい娘たちは、かうした悲しい物語を、我が身の上にひき比(くら)べ、行燈の暗い燈影で讀み耽つた。同じやうにまた、今日(けふ)の新時代の娘たちが、活動寫眞や劇場の座席の隅で、ひそかに未來の良人を空想しながら、二十世紀の草双紙を讀み耽つて居る。その新しい草双紙で、ヴァレンチノや林長二郞のやうな美男が扮する、架空の人物を現實の夢にたづねて、いぢらしくも處女(をとめ)の胸をときめかして居る。そして目算もなく、計畫もなく、偶然の𢌞合のみを祈りながら、追剝の出る街道や、辻堂や笹原のある景色の中を、悲しく寂しげに漂泊して居る。昔の物語の作者たちは、さうした悲しい數數の旅行の後で、それでも、漸く最後に取つて置きの籤(くじ)をひかせて、首尾よく願望を成就させた。だが若し、現實の人生がさうでなければ! そもそも如何に。女のいぢらしさは無限である。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。なお、底本(再版本)では「仇敵討ち」「仇敵を探して」の孰れの「仇敵」にもルビは振られていないが、筑摩版全集の校訂本文では後者に「仇敵(かたき)を探して」と振られてある。校異にも載らないので、初版本は「かたき」と振られていたものと推定される。しかし、ならば、前の「仇敵討ち」に「かたきう」とルビが振られていないのはバランスが悪い。それを考えて再版では敢えて外したとも考えられなくはない。但し、本詩集に先行するアフォリズム集「絕望の逃走」(昭和一〇(一九三五)年十月十日第一書房発行)所収のものでは、確かにこちらの「仇敵(かたき)を探して」の部分にのみルビがある。

「グウルモン」フランスの詩人・作家・批評家のレミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont 一八五八年~一九一五年)。引用元は不詳。

「加特力敎的な」これを萩原朔太郎が「カトリツクてきな」と読んでいるか、「カトリツクきやうてきな」と読んでいるかは、これでは判然としないが、後でリンクする初出が「カトリツク教的な」となっていることから後者で読むべきである。他にも、朔太郎が『「藍色の蟇」 跋――大手拓次君の詩と人物 萩原朔太郎 附 大手拓次訳 アルベール・サマン「秋」』(リンク先は私のブログ版。大手拓次の詩集「藍色の蟇」の電子化はブログ分割版サイト版縦書版も完備している)の中で「加特力教的」と「加特力」を使い分けて記載していることで決定的である。

「君がかはゆげなる机卓(つくゑ)の上に……」の詩は、大正一二(一九二三)年二月アルス刊の室生犀星の詩集「靑き魚(うを)を釣る人」に所収されている「朱(あけ)の小箱」である。但し、同詩集版とは表記に異同がある。以下に所持する昭和四二(一九六七)年新潮社刊の「日本詩人全集」第十五巻「室生犀星」から示す。

   *

 

   (あけ)の小箱

 

君がかはゆげなる卓(つくゑ)のうへに

いろも朱なる小箱には

なにをひめたまへるものなりや

われきみが窓べをすぎむとするとき

小箱まづ目にうつり

こころをどりてやまず。

そは、やはらかきりぼんのたぐひか

もしくば

うらわかき娘ごころをのべたまふ

やさしかるうたのたぐひか。

 

   *

「ヴアレンチノ」サイレント映画時代のハリウッドで活躍したイタリア出身のイケメン男優ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino 本名:Rodolfo Alfonso Raffaello Piero Filiberto Guglielmi di Valentina d'Antoguolla 一八九五年~一九二六年)。当該ウィキによれば、『彼の魅力はそのエキゾチックな容姿で、『シーク』ではアラブ系の族長を、『血と砂』ではスペイン人の闘牛士を、『荒鷲』ではロシア人の貴族を演じ、同時代のセックス・シンボルとして絶大な人気を誇った。当時、劇場に出かける女性の多くが「彼がスクリーンから見つめる」という理由で綺麗に化粧をしていったという』とあるが、一九二六年、『胃潰瘍で』、『突然』、『倒れ』、『直ちに手術が行われたものの、術後に腹膜炎を併発し』て三十一歳の若さで亡くなった。『葬儀の際には』十『万人のファンがあつまり、後追い自殺するものまで出たという』。しかし、『彼がスターであったのは実質』僅か五『年間であった』とある。本篇の初出は昭和七(一九三二)年であるので、彼は既に没していた。

「林長二郞」戦前から戦後の長きに亙って日本映画界を代表する二枚目の時代劇スターとして活躍した長谷川一夫(明治四一(一九〇八)年~昭和五九(一九八四)年)の旧芸名の一つ。彼は昭和二(一九二七)年に歌舞伎役者から松竹下賀茂撮影所に入社し、歌舞伎の師匠から「林長二郎」の芸名を貰い、犬塚稔監督の「稚児の剣法」で銀幕デビューを果たした。当該ウィキによれば、『当時、時代劇映画の製作に』力を入れ『始めた松竹は、林を期待の新人スターとして、莫大な宣伝費をかけて売りだ』し『た。結果、この映画は若い女性の間で大人気となり、林は抜群の美貌に加え、若手時代劇スターを渇望していた松竹が社をあげて宣伝したことが功を奏し』、『たちまちスター俳優となった』。『同年、主演第』二『作目で』名監督『衣笠貞之助監督の『お嬢吉三』に出演。以来』、『衣笠とは大映時代までの約』五十『作品でコンビを組んだ。松竹時代では『鬼あざみ』『二つ燈籠』『鯉名の銀平』などの衣笠作品に主演、同時に美剣士スターとして大人気となった』とある。

「𢌞合」「めぐりあひ」。

 初出は昭和七(一九三二)年一月号『セルパン』であるが、真の初出形は筑摩版全集には載らない。詳しくは二〇一三年二月六日附の私のブログの「女のいぢらしさ 萩原朔太郎 (初出形)」を参照されたい。なんと! これが私のブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」の第一号記事だったとは! まるで覚えてなかった! なお、「絕望の逃走」版は室生犀星の名に丸括弧がなく、しかもポイント落ちではなく、散文詩本文と同じポイントで、而も九字下げであることと、先に述べた「かたき」ルビがあること、以外は本文に異同はない。]

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