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2022/01/22

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 貝蟹(ヤドリガニ) / カギツメピンノの♀か

 

[やぶちゃん注:底本のここからトリミングした。以下の解説中の下線は底本では二重右傍線で、「「たすき」と」で「と」まで引かれているのはママである。]

 

Yadorigani

 

貝蟹【「やどりがに」。】

 

「南越志」に曰はく、『璅蛣(さうきつ)、長さ、寸餘り、大なる者、長さ二、三寸、腹中、蟹の子、有り、楡莢(ゆけふ)のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱(とも)に蛣と爲りて、食を取る。』と。今、常の文蛤(はまぐり)に蟹ある者、徃々あり、蟹ある蛤(がふ)は、肉、必ず、瘦せたり。『蠣の肉、亦、蟹となる』

 

此の蟹、「馬訶貝(ばかがひ)」のむき身の膓(はらわた)より、二つ、出でたり。其のむきみ、各(おのおの)、舌、なし。蟹、肉中より生ずるや、亦、外より、貝に入り、肉を食ふや。然らず。此の蟹、其の甲・腹、甚だ柔らかなり。肉ゑ、入りたると、思はず。肉より生じ、肉を食ふならん。蛤(ごふ)のみに限らず、いづれの貝にも有りぬべし。其の狀(かたち)、大いさ、圖のごとし。乾して、之れを藏す。又、曰はく、此の「小がに」、むき身の、ひらひらしたる処を、「たすき」と云ひ、「はかま」とも云ひ、其の「たすき」「はかま」の薄き皮との間に、此の「かに」、出入りす。口を開けども、殻の外ゑ、出て遊ぶにや。全躰、入るべき餘地、なし。

 

丙申(ひのえさる)十一月十六日、之れを採り、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは、

甲殻亜門軟甲(エビ)綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目原始短尾群 Thoracotremata(トラコトレマータ)亜群カクレガニ上科カクレガニ科 Pinnotheridae カクレガニ亜科 Pinnotherinae のカクレガニ類

の内、バカガイ(斧足綱異歯亜綱バカガイ上科バカガイ科バカガイ Mactra chinensis 。恐らく江戸湾産)から出現したことと、背甲の見た目の模様や腹部側の図からは、最も普通に見られる、

シロピンノ属カギヅメピンノ Pinnotheres pholadisの♀

ではないかと思われる。「長崎歴史文化博物館」公式サイト内の、ライデン国立自然史博物館蔵の同種の博物画()を見られたい。梅園の絵と、よく似ていることが判る。

『「南越志」に曰はく、『璅蛣(さうきつ)、長さ、寸餘り、大なる者、長さ二、三寸、腹中、蟹の子、有り、楡莢(ゆけふ)のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱(とも)に蛣と爲りて、食を取る。』と。今、常の文蛤(はまぐり)に蟹ある者、徃々あり、蟹ある蛤(がふ)は、肉、必ず、瘦せたり。』ここまでは、実はまたしても呆れた孫引きで、貝原益軒の「大和本草卷之十四 介類 海蛤」の一節である。結構、リキを入れて注釈したので、そちらから私の注を転載する。

「南越志」晋代の作とされる沈懐遠撰になる南越(広東・広西・ベトナム北部域)の地誌。

「璅蛣(さうきつ)」「廣漢和辞典」の「蛣」の項に、蛸蛣(ソウキツ)・璅蛣(ソウキツは「蟹奴(カイド)」ともいい、腹の中に蟹の子を宿して共同生活をする一種の虫とある。そこで……「璅蛣」の日本語で検索をかけたら……あらまぁ……僕のテクストやがな、この「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(5)」は……。まあ、ええわ。ともかくも、この「蟹奴」から連想するのは確かに最早、リンク先で私が注している通り、カクレガニ科 Pinnotheridae に属するカニ類しかあるまい。同科の種の殆んどは貝類等の他の動物との共生性若しくは寄生性を持つ。甲羅は円形乃至は横長の楕円形を呈し、額は狭く、眼は著しく小さい。多くの種は体躯の石灰化が不十分で柔らかい。本邦には四亜科一四属三〇種が知られる。二枚貝類の外套腔やナマコ類の総排出腔に棲みついて寄生的な生活をする種が多く、別名「ヤドリガニ」とも呼称する。一部の種では通常は海底で自由生活をし、必要に応じてゴカイ類やギボシムシなどの棲管に出入りするものもいる。基準種カクレガニ亜科オオシロピンノ Pinnothres sinensis などの属名 Pinnotheres から「ピンノ」とも呼ぶ。宿主の体を食べることはないが、有意に宿主の外套腔や体腔等の個体の内空間域を占拠するため、宿主の発育は阻害されると考えられ、この点から私は寄生と呼ぶべきであると思っている(以上の記載は主に保育社平成七(一九九五)年刊「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」及び平凡社「世界大百科事典」の記載を参考にし、以下の種記載は主に前者に拠る)。

「長さ寸餘り、大なる者、長さ二、三寸」長さ約三センチメートル、大きなものは六~九センチメートル強。

「腹中、蟹の子有り。楡莢(ゆけふ)のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱に蛣と爲りて、食を取る」「楡莢」はバラ目ニレ科ニレ属Ulmus の実を包む羽のような形の莢(さや)のことを指す(なお、これは食用になる)。――さて、ところが実は、私はこの叙述を読みながらふと、これはカクレガニなんかではなく、カニ類に寄生する顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚下綱根頭上目Rhizocephala のケントロゴン目 Kentrogonida 及びアケントロゴン目 Akentrogonida に属する他の甲殻類に寄生する寄生性甲殻類であるフクロムシ類のことを言っているのではなかろうかと感じたことをここで述べておきたい。それを説明し出すと、これまた、注がエンドレスになりそうなので、これについては、フクロムシを注した私の電子テクストである「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 二 消化器の退化」をリンクするに留めおくが、私は実は、何かまさしくモゾモゾゾクゾクするぐらい探りたい好奇心を禁じ得ないでいることは最後にどうしても述べておきたいのである。

「つねの文蛤などに蟹あるも徃々あり、蟹ある蛤(がふ)は、肉、必ず、瘦せたり」上記カクレガニ(ピンノ)類は宿主の体を食べることはないが、宿主の外套腔や体腔等の個体の内空間域を占拠するため(特に私がアサリで実見したある個体は吃驚するほど巨大で、その宿主のアサリは有意に軟体部が小さかったことをよく覚えている)、私は「必ず瘦せ」ているとは思わないものの、宿主の発育は相応に阻害され得ると考えており、この点から私は彼らは寄生と呼ぶべきであると考えていることを申し添えておく(これには反論される研究者もあるとは思われる)。因みに、そちらでも私が述べているが、「蛤(がふ)」は二枚貝の広称ではなく、「はまぐり」と読んではならない。日本人はすぐにこれを「はまぐり」と読みたがる悪い癖がある。

「蠣の肉、亦、蟹となる。」この部分も、やはり「大和本草卷之十四 水蟲 介類 牡蠣」からの孫引き。但し、最後に「云々」とあるから、梅園はこれで孫引きであることを示しているとは言えるが、ちゃんと「大和本草」が元だと断るのが筋だ。

「肉より生じ、肉を食ふならん」トンデモ化生説の宙返り版である。

「たすき」「襷」。

「はかま」「袴」。土筆の「はかま」と言うでしょ。

「口を開けども、殻の外ゑ、出て遊ぶにや。全躰、入るべき餘地、なし。」なんとなく言い方がおかしく、意味が判らない。

「丙申十一月十六日」天保七年。グレゴリオ暦一八三六年十二月二十三日。]

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