毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 鞍掛鰕(クラカケヱビ) / ボタンエビ
[やぶちゃん注:底本のここからトリミングした。左下方は「ケンガニ」のキャプションの一部と同種の鋏、右手下方の「腹」は「團扇蟹(ウチハガニ)」のキャプションで無関係。]
鞍掛鰕(くらかけゑび)
其の形、此くのごとく、脊(せ)の甲、馬に鞍を置きたるがごとし。故、名づく。「あをりゑび」とも充(あ)つ。此のゑび、其の身、甲の皮、「あをり」のありて、水を遊(およ)ぎ行く時、「あをり」て、以つて、鰭[やぶちゃん注:底本は「魚」の下方を「大」にし、「曰」を下方全体に配した字体。]のごとく、つこう[やぶちゃん注:「使ふ」の口語。]と云ふ。
[やぶちゃん注:この和名異名は生きていないが、形状の細部描写から、
十脚目タラバエビ科タラバエビ属ボタンエビ Pandalus nipponensis
ととってよい。私は毎週、行きつけの寿司屋で必ず刺身で食う、エビ・カニの中では特異的に好きな種である。当該ウィキを引く。『海洋生物学者であった東京帝国大学農学部の横屋猷(よこや ゆう)博士』(明治二四(一八九一)年~昭和四四(一九六九)は、昭和八(一九三三)年の東京帝国大学『農學部紀要』で、『日本周辺の大陸棚に生息している多数の十脚目甲殻類を報告した』が、『本種』Pandalus nipponensis Yokoya, 1933も『そのひとつである』。『体長は』十三センチメートルから二十センチメートルを『超える大型のものもいる。体色は濃いオレンジ色である。鮮度が落ちると、次第に黄色っぽくなる。額角(がっかく)の中央部付近と背部の赤味が濃い。殻から内臓が透き通って見える』。第一~五『腹節の側面に各』二『個の赤い不定形の斑紋(はんもん)がある』。『この斑紋が牡丹の花びらを散らしたように見えることが名前の由来であるという説と、体色が全体に赤く』、『牡丹色が連想されたことが由来であるという説が見られる』。『額角は頭胸甲(とうきょうこう)の』一~一・五『倍と長い。頭胸甲の背面の隆起は』同属のトヤマエビ Pandalus hypsinotus『と比べると低い』(なお、トヤマエビは本種と異なり(後述)、日本海全域からベーリング海にかけて棲息し、富山湾で最初に漁獲されたことから「トヤマエビ」と名付けられ、漁獲高も多い)。ボタンエビは『日本海には分布せず、太平洋側の宮城県沖以南にだけ分布する日本固有種で、大陸斜面の水深』三百~五百メートルに『生息する』。『かつては福島県の小名浜沖、東京湾、高知県の土佐湾などでも獲れたが』、『沖合底曳網漁の衰退により、現在では千葉県の銚子沖や静岡県の駿河湾、三重県の尾鷲沖などで少し獲れるだけになってしまった。市場には「牡丹海老」の名で複数種の赤いエビが出回っている』。十月から五月に『かけて、底引き網漁で捕獲される。ボタンエビは傷みやすいので、生きたまま持ち帰るためには鮮度を保ついろいろな工夫が必要となる』。『卵は青緑色でプチプチして美味。その大きさは』三・四×二・三ミリメートルで『タラバエビ属では最大である』。『卵が大型であり、幼生は短縮発生』(浮遊幼生期が短いことを指す語であろう)『するので、分散力は弱いと考えられる。一度に』五百~千二百『個程度を産卵し、メスが約』一『年に渡って抱卵する』。『幼生の成長は「卵黄依存型」で、研究環境で』六『段階が確認されていて』、『幼生段階が』一から四『期、後期幼生段階が』五乃至六『期である』。『雌雄同体』で『雄性先熟、すなわち』、『若い個体は繁殖期がやってきた時に』は、まず、『オスとして繁殖に参加するが、成長するとメスに性転換する。このため、体長』十三センチメートル『前後を超える大型の個体はすべてメスとなる』とある。
「あをり」「あふり」が正しい。漢字は「障泥」「泥障」と書く。馬具の付属具で、鞍橋(くらぼね)の四緒手(しおで)に結び垂らして、馬の汗や蹴上(けあ)げる泥を防ぐもの。下鞍(したぐら)の小さい大和鞍や水干鞍に用い、毛皮や皺革(しぼかわ)で円形に作るのを例とするが、武官は方形として、「尺(さく)の障泥(あおり)」と呼んで用いた。馬具のそれらは、引用元である「デジタル大辞泉」の同語の解説に添えられた解説図を参照されたい。]
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