狗張子卷之三 伊原新三郞蛇酒を飮
[やぶちゃん注:挿絵は、今回は所持する一九八〇年現代思潮社刊の「古典文庫」の「狗張子」(神郡周校注)を使用し、トリミング補正して、二幅を近接させた。この総てが奇体な挿絵(左右異時制。右から左へ)から話の内容は想像し得ないであろうから、敢えて冒頭に配しておく。]
○ 伊原新三郞蛇酒(じやしゆ)を飮(のむ)
元和《げんな》年中に伊原新三郞というもの、久しく牢浪して、ある日、宿を出で、三州「みかたが原」に出たり。
[やぶちゃん注:「元和」は一六一五年から一六二四年までで、徳川秀忠・徳川家光の治世。「伽婢子」以降続いていた、戦国時代の設定が、初めて江戸時代となっている点で特異点である。「原本」(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の所収巻・PDF一括版)を見ると、読みが「げんわ」となっている。
「伊原新三郞」不詳。
『三州「みかたが原」』現在の静岡県浜松市北区三方原町(みかたはらちょう:グーグル・マップ・データ)。浜名湖の東方。]
夏の日の、暑氣、甚だしきに、梢に吟ずる蟬の聲、凉しくして、不覺に、あゆみゆくほどに、日、すでに山のはに、かたぶきて、風、やはらかに吹《ふき》おこる折から、道のほとりに、林、あり。
[やぶちゃん注:「不覺に」無意識のうちに。知らず知らずの間に。]
木《こ》のまよりみれば、あたらしく作れる家、四つ、五(いつ)つ、見えたり。餅(もちひ)・酒(さけ)をあきなふ店(たな)とおぼゆ。
[やぶちゃん注:「餅(もちひ)」「もちいひ(餠飯)」の変化した語。後に「もち」となった。]
立よりて、やすまんとするに、年のほど、十五、六なるむすめの、顏うつくしきが、立出で、
「こゝは武家がたの出《いで》てあそびし給ふ所なり。暫(しばし)、やすらうて御通りあれかし。」
と、いふ。
こと葉つき、愛らしく、家に入《いり》たれば、又、餘(よ)の人も、なし。
新三郞、たはぶれかゝれば、此娘、はしたなくもいはず、
「父も兄も内にはあらず。何か、はゞかるべき。」
とて、いとなつかしげにぞ、なれかゝるを、新三郞、よろこびて、
「ともし火とるほどに暮《くれ》たり。さだめて、いまだ何をもめさで、つかれ給ふらんに。」
とて、餠(もちひ)とり出してすゝめけり。
[やぶちゃん注:「はしたなくもいはず」迷惑めいた言い方もせず。事実、娘の方から、逆に誘いかけている。]
「酒は、なきか。」
と、いえば、
「よき酒のあり。」
とて、奧に入て、盃(さかづき)とりそへて、出《いだ》しけるを、新三郞、もとより、飮む人なりければ、娘と友《とも》に、ふたつ、三つ、のむに、なく成《なり》ければ、また、取《とり》にたちけるを、新三郞、さし足(あし)して、奧のかたを見るに、大《おほき》なる蛇(くちなは)を釣りさげて、刀(かたな)をもつて、その蛇の腹を刺して、血、したゝるを、桶にうけて、何やらん、入《いれ》て、酒に、なしけり。
[やぶちゃん注:「友に」は了意の書き癖で、「共に」の意。「伽婢子」以来、たびたび出てきているので、ここで再注しておく。]
新三郞、心まどひて、おそろしくなり、いそぎ、戶を出《いで》て、はしる。
娘、跡より、追いかけて、しきりに、よばふ。
東の方(かた)に聲をあはせて、
「あたら、物を、取にがしけり。」
と、いふ。
新三郞、跡を見かへれば、その長(たけ)一丈ばかりなるもの、追ふて來《きた》る。
[やぶちゃん注:「一丈」三メートル三センチ。]
すでに林の中に入ければ、何とはしらず、白き事、雪のごとくなる物、木のもとより、立《たち》あがる。
林の外に、人の聲ありて、
「こよひ、此ものを捕りにがしなば、明日(あす)は、我ら、大なるわざはひを受くべし。それ、のがすな。」
と、よばはる。
新三郞、ますます、おそろしくて、やうやうに、町はづれまで、かゝぐりつきて、家の戶を、たたく。
[やぶちゃん注:「かゝぐりつきて」「手探りする思いで」或いは「すがる思いで」。但し、例の江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(二)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)では、本文翻刻を大妻女子大学蔵の後印本とするが、本文を『かべりつきて』とし、『かへりつき」の誤刻』とある。その場合は、朝に立った宿のあった宿場町に「歸り着きて」の意となろう。]
戶をあけて、内に入しかば、しばしは、あえぎて、物も、いはず。
暫らくありて、
「かうかうの事あり。」
と、かたる。
あるじ、おどろきて、いはく、
「その林のあたりには、茶店(ちやてん)もなく、家居(いへゐ)も、なし。さだめて、妖物(ばけもの)にあうて、おそろしきめを見たまひぬらん。とほき所の人は、をりをり、かどはかされて、夜もすがら、なやまされ、歸りて後には、わずらひいだす人も、あり。新三郞は、はやくのがれて、ことゆゑなきこそ、めでたけれ。」
と、いふ。
[やぶちゃん注:「新三郞は」飛び込んだ見知らぬ家の者が、かく彼の名を呼ぶはずがない。躓くところで、了意にして、痛い誤りである。「そなたは」ぐらいが穏当。]
餘りのふしぎさに、新三郞、宿に歸りて、人あまた、かたらひ、その酒のみし所に行て見るに、家もなく、茶店も、なし。人氣(ひとげ)まれなる野原(のはら)のすゑ、草むら茫々と滋(しげ)りて、物すさまじく、さびしき中に、草にまとはれて、長(たけ)二尺ばかりの婢子(ばふこ)の、手あし、少(すこし)缺損じたるあり。
「これや、娘に妖(ばけ)ぬらん。」
と、あやしむ。
[やぶちゃん注:「二尺」六十・六センチメートル。
「婢子」江本氏の注に、『伽婢子のこと。伽婢子は、子供のお守りとして用いた三〇センチメートルほどの人形。魔除けとして枕元に置いた。また、身分ある家では嫁入り道具ともなった。』とある。ネットの社団法人日本人形協会社団法人日本人形協会編「人形辞典」には『ほうこ〔這子・婢子〕』として、『平安時代』『からある小児の遊び物。はじめは天児』(あまがつ:祓(はらい)に用いる人形の一種。平安時代からあり、形代(かたしろ)から進歩したもので、十文字形に作った棒の上部に、きれでくるんだ顔をつけた小児の祓いに用いられるもので、日本の人形の祖型の一つ(ここも同辞典の記載を参照した))『と同様、小児の祓いの人形だった』。『首と胴は綿詰めの白絹、頭髪は黒糸、這う子にかたどってあるので、こう名付けられた。別名をお伽婢子』(おとぎぼうこ)『ともいう』とあった。]
そのかたはらに、その長(たけ)二丈ばかりなる色くろき蛇(くちなは)、すでに、腹のあたり、割(さけ)やぶれて、死してあり。
[やぶちゃん注:「二丈」六メートル六センチ。]
それより、東のかたは、人の骸骨、一具(いちぐ)あり。
宍(しゝ)むらは、雨露(あめつゆ)にさらされて、手足(てあし)・筋骨(すぢほね)は、つづきて、白き事、雪のごとし。
[やぶちゃん注:「宍(しゝ)むら」ここは人体の皮肉。表現としては、「さらされて、失せ、」と欲しいところ。]
みな、ことごとく打ちくだきて、薪(たきゞ)をつみて、焚(やき)すて、堀の水に、しづめけり。
新三郞は、日ごろ、中風(ちうぶう)の氣《け》あり。癩(らい)がかりて侍べりしが、蛇酒を飮ける故にや、やまひは、根(かつたい)をぬきて、癒(いえ)たり、とぞ。
[やぶちゃん注:「中風」歴史的仮名遣「ちゆうぶう」。「ちゆうふう(ちゅうふ)」とも読む。脳卒中発作の後に現われる半身不随のこと。運動神経の大脳皮質よりの下行路の部分に脳血管障害が起きたために発生する症状。脳出血や脳梗塞によることが多い。「中気」も同じ。
「癩がかりて」「癩」は旧「癩病」。ハンセン病。抗酸菌(マイコバクテリウム属 Mycobacteriumに属する細菌の総称。他に結核菌・非結核性抗酸菌が属す)の一種である「らい菌」(Mycobacterium leprae)の末梢神経細胞内寄生によって惹起される感染症。感染力は低いが、その外見上の組織病変が激しいことから、洋の東西を問わず、「業病」「天刑病」という誤った認識・偏見の中で、今現在まで不当な患者差別が行われてきている(一九九六年に悪法「らい予防法」が廃止されてもそれは終わっていない)。歴史的に差別感を強く纏った「癩病」という呼称の使用は解消されるべきと私は考えるが、何故か、菌名の方は未だに「らい菌」のままである。おかしなことだ。「ハンセン菌」でよい(但し、私がいろいろな場面で主張してきたように、単に差別の「言葉狩り」をしても意識の変革なしに差別はなくなりはしないのである。ここで私が指摘する差別の問題も実は全く同じものであると私は考えている)。「がかりて」は、中風と思っていたところが、何らかの感染症(最悪では梅毒など)によって、皮膚や皮下組織に爛れや腫瘍といった変性が生じ始めていたことを言っている。
「蛇酒」江本氏はこれに注されて、『「烏蛇(うじゃ)酒 諸風ノ頑痺(がんぴ)、癱緩(なんかん)、攣急(れんきゅう)、疼痛(とうつう)、惡瘡、疥癩(かいらい)ヲ治ス」、「蚺蛇(せんじゃ)酒 諸風痛痺(つうひ)ヲシ、虫ヲ殺シ、蟲ヲ殺シ、瘴ヲ辟ケ、癩風、疥癬(かいせん)、惡瘡ヲ治ス」(『本草綱目』二五。烏蛇はコブラ、蚺蛇は綿蛇のこと。頑痺・癱緩はしびれ、攣急はひきつり、疼痛は痛みの症状のこと。悪瘡・疥癩は皮膚病の一種。痛痺はリウマチで痛みを伴う病。疥癬は疥癬虫の寄生によりおこる感染性の皮膚病。)「蝮蛇酒 楊梅瘡(ようばいそう)、年久キ者及ビ諸悪瘡、癩狂ノ等ノ病ヲ治ス。」(「本朝食鑑」二。蝮蛇はマムシのこと。楊梅瘡は梅毒のこと。)』とある。「本草綱目」のそれは「漢籍リポジトリ」のここの[065-42a]を見られたいが、実際には、最初の「烏蛇酒」の記載は、その前の「花蛇酒」(花蛇は現在の種としては不詳。本邦ならシマヘビの黒化個体と名指せるが)と『治療醸法同上』とあり、それの一部を転用されたものである。
「根(かつたい)」読みの「かつたい」は現代仮名遣で「かったい」で、これはハンセン病に感染し、その瘢痕によって健康な頃に比べて風貌が著しく変わってしまった人を呼んだ古典的差別呼称である。ここは腫瘍様の化膿した主要組織体を指す「根(ね)」をそれに当てている。]
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