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2022/02/21

萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 絕句四章

 

 絕句四章

               みづのひと

 

色白の姉に具されて。今日もまた昔談や。

 あれいま。逍遙うんじて歸る山路。

 遠音に渡るかほとゝぎすの。

 

つみとりてそゞろ心や

      くちづけさはに

 願ふは君が鬚ぐさ飾るやさし七草。

 

あかつきや破れし鐘樓に。肩ねびし人と登りぬ

 見よ君。指ざす方に日は出らめ。

 あゝかの野路こそいと戀ひしや。

 

行きづりの小草の中に。床し小扇

      唯がすさみぞや

 これ優しぐさ『秋の恨み』と。

 

[やぶちゃん注:明治三八(一九〇五)年七月発行の『坂東太郞』に発表された。底本編者注によれば、『他の作者の四章とともに掲載』されたという記載がある。なお、本群馬県立前橋中学校校友雑誌『坂東太郞』第四十二号は、同年四月に校友会幹事の改正で雑誌部幹事(別に講演部幹事も兼ねた)になっていた朔太郎自身が部長町田英とともに編集したものであった。全集年譜によれば、彼の関わったこの年の同誌については、『中學校友會誌として新鮮な編集で内容も充實しているが、あまりにも文藝的であると、先輩から非難も受けた』とある。

「色白の姉」萩原朔太郎には姉テイがいるが、朔太郎が生まれる二年前の明治一七(一八八四)年一月に亡くなっているので、この「姉」は仮想の存在か、或いは年上の親しい女性をかく言ったものか。なお、後の「小扇」の注も参照。因みに発表当時の朔太郎は満十八歳で、この年の四月に先に示した落第した五年に進級している。

・「昔談」「むかしばなし」と訓じていよう。

・「鬚」は不審。校訂本文は「髮」に訂されてある。誤植であろう。自分の編集なのだから、校正不良も甚だしい。

・「肩ねびし」肩の感じが年をとって見える、大人びて見えるの謂いであろう。

・「行きづり」はママ。校訂本文は「行きずり」。

・「小草」「をぐさ」と読みたい。

・「小扇」「こあふぎ(こおうぎ)」と読んでいよう。因みに、これは、この前年の明治三七(一九〇四)年一月に刊行された与謝野晶子の歌集の書名でもある(同歌集は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで全篇が読める。或いはその中に本篇と通底する短歌を見出せるのかも知れないが、私は短歌嫌いなので、悪いが、探す気はない。どなたか晶子ファンの方の御意見をお聴きしたい気はする)。さすれば、或いは、先の「姉」とは暗に晶子をイメージしたものかも知れない。晶子は萩原朔太郎より七つ年上に当たる。朔太郎は、この前橋中学校在学中の三年次の明治三五(一九〇二)年十二月に先に出した町田ら級友とともに『野守』という回覧雑誌を出し、短歌を発表しており、ウィキの「萩原朔太郎」によれば、『作品には与謝野晶子の影響が見られ』、翌明治三十六年七月には、『与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首掲載され、石川啄木らと共に「新詩社」の同人とな』っており、全集年譜を見ると、明治三十七年には、新詩社の「赤城山吟行」の群馬県地方社友の申込み係りにもなっている(但し、この吟行には鉄幹は行っているが、晶子は参加していない模様である。個人ブログ「Peaks&Garden」の「長七郎山・地蔵岳5(地蔵岳から句碑の道を歩く)」の記事の中の「赤城を訪れた文人達」の年表を参照)。しかも晶子の「君死にたまふことなかれ」はこの明治三十七年九月に『明星』に発表されたものであった。朔太郎が実際に與謝野晶子と初めて逢ったのを年譜上で縦覧したが、確認は出来なかった。しかし、彼は、かの「月に吠える」初版(大正六(一九一七)年刊)を晶子に贈呈している。さすれば、この「姉」が晶子のイメージである可能性はすこぶる高いように思われるのだが、如何?

・「すさみ」慰みごと。

・「優しぐさ」「風雅な優しい仕種(しぐさ)」に「小草」の「草」を掛けたものか。]

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