萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 暮春詠嘆調
暮春詠嘆調
夢みるひと
×
年(とし)ひさしくなりぬれば
すべてのことを忘(わす)れはてたり
むざんなる哉(かな)
かばかりのもよほしにさへ
淚(なみだ)も今(いま)はみなもとをば忘(わす)れたり
×
人目(ひとめ)を忍(しの)びて何處(いづこ)に行(ゆ)かん
感(かん)ずれば我(わ)が身(み)も老(お)ひたり
さんさんと柳(やなぎ)の葉(は)は落(お)ち來(く)る
駒下駄(こまげた)の鼻緖(はなを)の上(うへ)に落日(おちび)は白(しろ)くつめたし
[やぶちゃん注:大正二(一九一三)年十月四日附『上毛新聞』に発表された。
・「淚(なみだ)も今(いま)はみなもとをば忘(わす)れたり」は「淚も今は/みな/もとをば忘れたり」(淚も今は皆元をば忘れたり)ではなく、「淚も今は/みなもとをば/忘れたり」)淚も今は源をば忘れたり)であろう。
・「老(お)ひたり」はママ。
言っておくが、この発表時、萩原朔太郎は満二十六歳である。
五月蠅いので、読みの除去版を示す。
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暮春詠嘆調
夢みるひと
×
年ひさしくなりぬれば
すべてのことを忘れはてたり
むざんなる哉
かばかりのもよほしにさへ
淚も今はみなもとをば忘れたり
×
人目を忍びて何處に行かん
感ずれば我が身も老ひたり
さんさんと柳の葉は落ち來る
駒下駄の鼻緖の上に落日は白くつめたし
*
なお、「習作集第八巻(愛憐詩篇ノート)」に「ゆく春のうたありや」(太字は底本では傍点「﹅」。言わずもがなであるが、「ありや」は「アリア」のこと)という草稿があり、その中に、本篇の草稿がある。しかも、編者注によれば、ノート『卷末の目次では「暮春詠嘆調」という題名を附している』とある。以下に同草稿全部を示す。
*
ゆく春のうたありや
としひさしくなりぬれば
すべてのことを忘れはてたり
むざんなるかな
かばかりのもよほしにさヘ
淚もそのいまはみなもとをば忘れたり
×
ひとりありて何をか思ふ
けふもまたそのあかき書(ふみ)を讀まんとする
けふもまた哀しきまなこもて
その赤き書(ふみ)を讀まんとするか
ひとまをいでゝ遠きを見よ
いま初夏きたり、あめつちこぞりて明るきに靑明なり
×
夕ぐれとなりてものみなは形をうしなひ
ちまたのうち
露路のかげより人步み來る
かゝるとき我
ものゝにほひに淚をながしつゝ
われはまだ知らぬ戀にこがれ行く
×
人目をしのびていづこに行かむ
感ずればわが身も老ひたり
さんさんと柳の葉は落ち來る
駒下駄の鼻緖うへに落日は白くつめたし
×
えこそわすれめや
そのくちづけのあとやさき
流るゝみづをせきとめし
われかのきはの靑き月の出
×
雨おとし來らんとして
沖につばなの花咲き
くらげは渚にきて靑く光れり
砂丘にのぼりて一人遠きを望む
いまわが身のうへに好しと思ふことありけり、
*
「老ひ」はママ。第一連と第四連が本篇の草稿である。最終連の「沖につばなの花咲き」というのはちょっと躓く。「つばな」は「茅花」でチガヤの花穂を指すからだが、前の「雨おとし來らんとして」から、海が荒れて白波が立っているのをかく比喩したものと読める。或いはそれを「津花」と洒落たのかも知れぬ。なお、本詩篇は間違いなく「エレナ」詩篇である。まず、第二連の「あかき」「赤き」「書(ふみ)」である。萩原朔太郎自作製本になる「ソライロノハナ」(リンク先は私のマニアックな注附きの一括縦書PDF版)は現物を展覧会で見たが、本文の一部に薄い赤い斑の下地紙を用いているのである。「われはまだ知らぬ戀にこがれ行く」とは、終生、彼が幻像として聖なるものに昇華・個執化させたエレナへのそれ(心傷)以外には考えられず、而して最終連のそれはまさに「ソライロノハナ」で描かれた大磯のシークエンスを髣髴させるからである。なお、次の「ありや二曲」も参照のこと。]
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