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2022/02/09

毛利梅園「梅園介譜」 龜鼈類  瑇瑁(タイマイ) / タイマイ(附・付着せるサラフジツボ?)《二日に亙ってやっと完成!》

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。]

 

Taimai

 

瑇 瑁

  タイマイ

 

此の者、未だ親しく見(まみえ)せず。只、竒品にして、得難き故、或る人の藏せる画を乞ひ求め、亀類の條に載すのみ。

 

天保七丙申(ひのえさる)孟春五日、寫す。

 

[やぶちゃん注:実は次の見開きの右に、解説がある。]

 

Taimaikaisetu

 

瑇 瑁

 

「華夷鳥獸考」に曰はく、『瑇瑁は亀の類なり。廣南に出づ。身、亀に似て、首・觜(はし)、鸚鵡(あうむ)のごとし。腹・脊、甲、皆、紅点の斑紋、有り。大なる者、盤のごとし。』と。

 

右に圖する瑇瑁は、「越後にて、とれし者なり。」とて、或る人、公事(くじ)に、かの地に行きて、漁父(ぎよふ)より求めしを、或る人、乞ひて、求めしが、程なく腐爛(ふらん)して、席上に置くべき樣(やう)もあらざれば、庭の木にかけてをきしが、雨なぞにあいて[やぶちゃん注:ママ。]、いよいよたゞれたり。予、不図(ふと)、かの家に行きしが、しかじかの事を語り、此の亀を見せらる。此れ、予、「瑇瑁なるべし。惜しいかな、腐爛せり。願はくは、たまわれ[やぶちゃん注:ママ。]。」とて、寫し、圖せしものなり。其の大(おほき)さ、圖のごとし。所々に、「めうが貝」、つけり。又、ある儒生、上總の国、九十九里に遊びて、大亀の、網にかゝれるを見、其の形を、はなせしに、圖せし。「瑇瑁ならんか。」と充(あ)つるを、考書、添えたり。「其の大きさ、九尺余りあり」と。「磯辺(いそべ)に引き上げしが、水を放れては、歩-行(ありく)こと、あたはづ[やぶちゃん注:ママ。]。」と。「漁父は亀を獵(りやう)することを好まざれば、直ちに、波うち際(ぎは)に引き行きしが、半身、水に入ると、その疾(とき)こと、鳥のごとく、波、かきたてゝ、いづくともなく、うせたり。」と語りき。  屋代が「画帖」に出づ。

 

『瑇瑁は唐(もろこし)より來たる。本邦に無し。長門に「簑亀(みのがめ)」、一名「鳥亀(とりがめ)」と呼ぶ者あり。形、亀に似て、首、鴿(はと)のごとく、觜(くちばし)も鳥に似たり。甲、重疂(ちやうでふ)して簑のごとし。色、黄にして斑文(はんもん)あり。亦、瑇瑁の類なり』。 「怡顔齋介品」に出づ。

予、考ふるに、此の瑇瑁の圖、をそらくは[やぶちゃん注:ママ。]、此(ここ)に謂ふ「みの亀」ならんか。

 

「和名抄」に曰はく、『曹憲が曰はく、「瑇瑁は、亀のごとく、大海より出づ。大(おほいな)る者、籧篨(キヨチヨウ)[やぶちゃん注:ルビはママ。正しくは「キヨヂヨ」と思う。竹で編んだ目の粗い筵(むしろ)・茣蓙のこと。]のごとし。背の上に、鱗々(りんりん)、有り。大(おほいな)る者、扇のごとし。大(おほいな)る章(しるし)有り。將に噐(うつは)と作(な)さんとす。」と。則ち、其の鱗を煮れば、柔き皮のごとくにして、意(こころ)を任(まか)して、之れを用ふる。』

 

[やぶちゃん注:遠見で図だけを見ても、

カメ目潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科タイマイEretmochelys imbricata

と判る。梅園が模写した某氏の原図自体が、かなり博物画として優れていたことが見てとれる。但し、後の梅園の謂いでは、現物を見て写生したとあり、齟齬がある)。

 古くより「鼈甲亀」(べっこうがめ)の名でも知られる。甲長は六十センチメートル内外で、ウミガメ類(カメ目ウミガメ上科Chelonioidea の海産のカメ類の総称。現生種はウミガメ科Cheloniidae・オサガメ科 Dermochelyidaeの二科六属七種が認識されている)では、やや小型である。甲は、中央板五枚、中央側板四対、縁板二十五枚が、瓦状に重なり合う形で構成されており(腹甲は二十二枚で全体では計五十九枚となる)、黄褐色に濃黒色の雲状紋を有し、背甲は所謂、「鼈甲」として細工物に使われる。熱帯から亜熱帯に産し、日本中部以南の太平洋岸にも姿を見せる。夏季、砂地の海岸に上陸し、穴を掘って九十~百五十個の卵を産む。私のものでは、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の「瑇瑁(たいまい)」を読まれたいが、特にそこで私は以下のように述べた。

   *

私は満を持して語りたいことがある。それは理不尽な「ワシントン条約」による鼈甲細工の危機に対する怒りである。キューバではタイマイの科学的な飼育管理に成功しており、追従を許さない鼈甲技術を持つ日本の購買可能性を強く求めている。更に、そのような養殖成功を受けて、有意な数のウミガメの専門科学者による捕獲使用の好意的見解が示されてもいる。しかし、それを無視してアメリカは伝家の宝刀である「ペリー修正法」を適応して日本の鼈甲細工文化を破滅に導くことに、ほくそ笑んでいるのである。梅崎義人氏の平成九(一九九七)年の「動物保護運動の虚像」(成山堂書店刊)によれば、鼈甲業界の本邦の従業員は当時約千五百人、その内の凡そ千二百人が古くからの名産地であった長崎の従事者であった。その内の歴史的職人である加工技術者の方の五十三人は、下肢に障害を持った人々である。梅崎氏は言う。クジラやアザラシと全く同様に経済支配の白人優位を目論むアメリカの東部エシュタブリッシュメント集団によって生み出された偽善的戦略によって、科学的に中立的な『正義を捨てて』、『アメリカの圧力に屈し、小さな産業を見殺しにしようとしている政府[やぶちゃん注:アメリカの太鼓持ちと化した日本政府という謂いである。]は、転職のきかない障害技術者まで見殺しにしてはならない。』と。私は喜んで、その独善的なアメリカ人に物言おう。私はヒトとして、クジラも、アザラシも、タイマイも「食う」。しかしそれは、君達が我々黄色人種を社会的に「食い尽くそう」とするような最下劣な目論見に比べれば、遥かにお前達の自然保護の『正当性』を凌駕している、と(但し、この鍵括弧は君等のようにおぞましい『地球にやさしい自然保護の正当性』等を豪語する程には生物的に傲慢ではないという謂いであることを忘れるな)。

   *

この私の批判は、現在も、基本、変更するつもりは、ない。なお、一応、ウィキの「タイマイ」もリンクさせておく。なお、以前にはかく書いたが、厳密には、タイマイの肉を食したことはない。ウミガメ(種は不明)の卵は、二十代の頃に一度だけある。

 なお、本図の個体には、頭部上顎の右奥・両前脚上面・背甲の前部左右の縁板附近に、多くの蔓脚類の乾燥殼板が視認出来るが、実は、タイマイに付着する蔓脚類は被寄生種によって特化する有意な傾向があり、これも石灰化した殼の跡(のざっくりとしたイラスト)に過ぎないものの、実は種を同定出来る可能性が高いのである。それは、十年前に、「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(2)の2」の私の注で既に述べている。しかも、そこで私が指示している日本ウミガメ協議会の「ニュースレター八一号」(ここからダウンロード可能)の表紙の写真は、まさに、国立国会図書館デジタルコレクションの毛利梅園の「梅園介譜」の自筆でない別人の写本の方の本図の画像なのである。その「■□Cover photograph■□」の解説に、本図譜であることが記され、そこに『サラフジツボ Platylepas hexastylosと思われるフジツボが多数付着している様子までしっかり描かれている。国立国会図書館所蔵(写真提供:倉谷うらら、文責:林亮太)』と書かれているのである。則ち、この図のタイマイ個体に付着していたのは、全部とは言えないまでも、

甲殻亜門脚綱鞘甲亜綱蔓脚下綱完胸上目無柄目フジツボ亜目オニフジツボ上科Platylepadidae Platylepas 属サラフジツボ Platylepas hexastylos

であった可能性が極めて高いのである。私の特定寄生の謂いが信じられない方は、海洋生物の専門家らしいbeachcomberjpのブログ「Beachcomber's Logbook」の「見逃さないでよ・サラフジツボ」を見られたい。そこでブログ主は、『サラフジツボはカメフジツボ』(オニフジツボ上科カメフジツボ科カメフジツボ属カメフジツボ Chelonibia testudinaria )『と違い、移動するのではなく固着!』『それも甲羅の中に潜り込んでしまうフジツボです。これはアカウミガメ』(ウミガメ科アカウミガメ亜科アカウミガメ属アカウミガメ Caretta caretta )『の甲羅の外側から見たところですが、埋もれていますね』。『でも、これだけじゃありません。この裏側がスゴイのです』。『甲羅をペロンとめくり、これがその内側を見たらスパイクのような突起が出ていますね。このスパイクをカメの甲羅に外側からめり込ませ、外れないようにしているのです。このようにくっつく力が強いので、カメフジツボが背甲や腹甲を中心に付着していますが、手足というか』、四『本のヒレ、尻尾の付近、頭部でも見られるフジツボです』とある。まさに本図を解説して下さっているようではないか! なお、私が「全部とは言えないまでも」と言ったのは、これらに中には、或いは、付着するそのサラフジツボに、さらに付着する蔓脚下綱完胸上目有柄目エボシガイ亜目エボシガイ科エボシガイ属 Conchoderma がいる可能性があり、その殼板片がそこに含まれているかも知れないと考えたからである。而して、図らずも、後の梅園の解説に、エボシガイならぬ、「メウカ貝」が付着していたとあったのである。但し、これが現在の真正の、

蔓脚下綱完胸上目有柄目ミョウガガイ亜目ミョウガガイ科ミョウガガイ属ミョウガガイ Scalpellum stearnsii

であるかどうかは、若干、疑問を持たれる向きもあるかと思う。しかし、本「梅園介譜」の終りの方には、実は「茗荷貝」が図入りで載るのである。梅園が言う「メウカ貝」はその絵から見て、まずミョウガガイに比定してよいように思うのである(但し、剝した左手のそれの鱗状の表面(それは、寧ろ、あたかも近縁のカメノテ(ミョウガガイ科カメノテ属カメノテ Capitulum mitella )の柄部表面の皮状体の細かな鱗状鱗片にそっくりである)は、ちょっと不審ではある)、私はミョウガガイもエボシガイも、有意に、このタイマイ個体には付着していたのではなかったと考える。実は、私は、この白い山型の密集物を最初に見た時、『フジツボかも知れないが、寧ろ、これは、エボシガイかミョウガガイではなかろうか?』と一瞬、思ったのである。その密集度と鋭角のスタイルは、フジツボよりも、それらの方が私には腑に落ちたからである。

「瑇瑁」「玳瑁」の字も当てる。「本草綱目」では、「瑇瑁」として巻四十五の「介之一 龜鱉類」に立項する。「漢籍リポジトリ」では、ここの[106-9a]から、国立国会図書館デジタルコレクションの訓点付き(寛文九(一六六九)年板本)では、ここ

「天保七丙申孟春五日」天保七年一月五日。グレゴリオ暦一八三六年二月二十一日。

「華夷鳥獸考」「華夷花木鳥獸珍玩考」(かいかぼくてうじうちんぐわんかう)は明の慎懋官(ぼうかん)撰になる動植物誌。全十二巻。「花木部」巻一~六・巻七「鳥獸部」・巻八「珍玩部」・巻九「花木續考」・巻十「鳥獸續考」・巻十一「珍玩續考」・巻十二「花木雑考」。一五八一年序。但し、以下、梅園が引く内容は、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の天保六(一八三五)年の写本を何度も調べたが、「玳瑁」の記載は複数個所あるのだが、一致する箇所が見当たらない。「中國哲學書電子化計劃」の二冊も調べたが、やはり、ない。というより、梅園は、実は、また孫引きをしたのだった。後に出る松岡恕庵(寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年:名は玄達。怡顔斎は号。山崎闇斎・伊藤仁斎に儒学を、稲生若水に本草学を学んだ。儒医を職業とする傍ら、本草を研究し、動植物の品類研究の端緒を開いた人物として著名。著作に「用薬須知」「桜品」などがある)の「怡顔齋介品」(いがんさいかいひん)からであった(原本を後で後掲する)。そこで、これ、元の松岡恕庵が引用書名を間違えたと判断し、この梅園の原本画像の漢文文字列で一致する漢籍を調べてみたところ、長崎純心大學准教授の石井望氏のブログ「―尖閣480年史― 今古循環、愚智往復 480 years history of Senkakus」の「長崎の鼈甲。玳瑁。毒に逢へばバイブレーションで警報してくれる。」という記事の中で、『北宋・蘇頌「本草圖經」の逸文二則』及び『宋・唐慎微「證類本草」卷二十「蟲魚部・上品」四庫全書本』とされ、以下が示されてある野に行き当たった(孰れも原本当該部の画像附きである)。

   《引用開始》[やぶちゃん注:改行を連続させた。]

明・劉文泰 「本草品彙精要」卷二十九、蟲魚部・瑇瑁:「圖經曰、生嶺南山水間、今亦出廣南、蓋龜類也。惟腹背甲皆有紅點斑文。其大者如盤、身似龜、首嘴如鸚鵡者是也。入藥須生者爲靈、帶之亦可以辟蠱毒。凡遇飲食有毒、則必自搖動。其自死及煮拍爲器者則不能。神矣。」(故宮珍本叢刊、海南出版社、第370冊、康熙四十年進呈鈔本)

[やぶちゃん注:ここに「本草品彙精要」書誌データ・リンクがあるが、略す。以下、上記「圖經曰……」以下の訓読文。]

嶺南の山水の間に生ず、今は亦た廣南に出づ、蓋し龜の類なり。ただ腹背の甲、皆な紅點の斑文あり。その大なる者は盤の如し。身は龜に似て、首と嘴とは鸚鵡の如き者これなり。藥に入るに須らく生ける者を靈となす、これを帶びれば亦た以て蠱毒を辟すべし。凡そ飲食に毒あるに遇へば、則ち必ず自ら搖動す。その自死せる及び煮拍して器となせる者は則ちあたはず。神なり。

   《引用終了》

「本草品彙精要」は小学館「日本大百科全書」によれば、明代に書かれた勅撰本草書で、太医院院判であった劉文泰らが編集に当たり、一五〇五年に完成させ、孝宗に進呈した。彩色原図を付した豪華本であったが、明・清代には刊行されることなく秘蔵され、その後、数奇な運命を辿って、現在は日本に陳蔵されている、とあった。以下は、後者の「證類本草」卷二十「蟲魚部・上品」の玳瑁の原文と石井氏の訓読文。

   《引用開始》[やぶちゃん注:改行を連続させた。]

「圖經曰、瑇瑁生嶺南山水間。今亦出廣南。蓋龜類也。惟氣背甲皆有紅㸃斑文。其大者有如盤。入藥須生者乃靈、帶之亦可以辟蠱毒。凡遇飲食有毒、則必自搖動。死者則不能。神矣。」。

圖經に曰く、瑇瑁は嶺南の山水の間に生ず。今は亦た廣南に出づ。蓋し龜の類なり。ただ氣(腹)背の甲、皆な紅㸃の斑文あり。其の大なる者は盤の如き有り。藥に入るるに須らく生ける者にして乃ち靈なり。これを帶びれば亦た以て蠱毒を辟すべし、凡そ飲食に毒あるに遇へば、則ち必ず自ら搖動す。死せる者は則ちあたはず。神なり。

   《引用終了》

なお、以上に現われる石井氏の玳瑁の甲羅(鼈甲の細工したものではないもの)の持つ毒物に対する共感振動という霊性が、甚だ興味深い。氏のブログ記事を引かさせて戴く。『今日の大學院の授業で李時珍の「本草綱目」の玳瑁を取り上げたが、北宋・蘇頌を引いて「必自搖動」としてゐるのが不可解であった。そこで蘇頌「本草圖經」(逸書)の逸文を見ると「帶びる」云々とあるので理解できた。玳瑁甲を攜帶してゐれば、毒に出逢ったときに振動して警報してくれるのである。但し屍で得たものや煮込んで形を整へて器にしたものは靈驗なし。「本草綱目」では「帶びる」云々が脱落してゐる。古書にはかういった事がままある。』とあった。また、一つ、勉強になった。石井氏に感謝申し上げる。

「越後にて、とれし者なり」タイマイの分布域はウィキの「タイマイ」の分布図では、日本海側では、九州北部西端から朝鮮半島東岸縁まで(太平洋岸では本州中部以南にも姿を見せる)であるが、対馬暖流に乗って越後までくることはあり得るので、違和感はない。或いは、弱った個体か、死亡個体が漂着したものかも知れぬ。そうなると、俄然、漂流浮遊物に有意に付着するエボシガイもここで候補とする価値が増すのである。

「程なく腐爛(ふらん)して」私は、高校時代の日帰り遠足で、とある日本海側の知られた名所にあった水族館の裏手で、飼育員が死亡した甲長三十センチほどのウミガメ(種は不明)の解体をしているところに出くわした。裏手の遊歩道からは樹木で遮られていたのだが、すぐに気づいた。それは、強烈な生臭さが鼻を撲(う)ったからである。恐らく、私が人生の中で吸引した最も激烈な腥さであった。

「たまわれ」前の記事と後の部分から、「写生を致したく思ふによつて、切に見せて給はれ」と乞うたということになる。しかし、前に言った通り、図に添えられた説明とは異なってくるわけである。

「めうが貝」既に述べた「茗荷貝」。フジツボ類とともに蔓脚亜綱に含められる。則ち、漢字和名に「貝」がつくが、分類学上は貝類ではなく、発生は甲殻類特有のノープリウス幼生に始まる。岩礁の岩につくカメノテに似た形態で、相模湾からインドネシア海域までの水深百メートル以深に分布し、海底の石などに付着している。雌雄異体で、♀は体長十センチメートルを超え、頭状部が約半分を占める。頭状部には灰褐色の殻片が十四枚ある。柄部は扁平にして革質で、半月形の小鱗片が環状に並んでいる。♂は体長一ミリメートル以下で、単なる袋状を成す、チョウチンアンコウのような極端な性的二型である。♀の左右の楯板(じゅんばん)の間に埋もれて生活しているが、数十個体が同時に観察されることがある(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

『圖せし。「瑇瑁ならんか。」と充(あ)つるを、考書、添えたり。』やや文章が不自然である。知り合いの儒生が、九十九里浜で、漁師の網に引っ掛かった個体を発見し、写生した図を梅園に送り、そこに「思うに、これは瑇瑁(たいまい)ではないでしょうか?」という考証書きをも添えて、私に送ってきた。」というのである。

「其の大きさ、九尺余りあり」凡そ二メートル七十三センチメートルでは、大き過ぎて、タイマイではあり得ない。タイマイと比定を誤ったところからは、ウミガメ科アオウミガメ亜科アオウミガメ属アオウミガメ Chelonia mydas (甲長は最大で一メートル十八センチでウミガメ科中の最大種。但し、ウミガメの場合は産卵で陸に上がるのデータのみがある)や、ウミガメ科アカウミガメ亜科アカウミガメ属アカウミガメ Caretta caretta (最大甲長一メートル五センチ)が想起出来るものの、この儒生の示した体長は、それらを遙かに凌駕している。最も知られるウミガメの最大種にしてカメ目Testudines 自体でも大きさのチャンピオンである、ウミガメ上科オサガメ科オサガメ属オサガメ Dermochelys coriacea の甲長は一メートル八十九センチに達するものの、彼らは他のウミガメと異なり、甲羅(カメ類のそれは骨質と鱗から成る)は発達せず、皮膚で覆われており、タイマイを比定候補とした儒生が間違えようはないもので、違うと思う。個人的には「七」というのは、誤記か転写の誤りのように感ずる。崩し字で誤りそうなのは、「四」で、それだと、一メートル二十一センチで、これだと、小型であるタイマイ(最大九十三・五センチメートル)でもおかしくはない。首或いは前脚から後脚までをざっくりと視認するなら、それくらいにはなるからである。

「漁父は亀を獵(りやう)することを好まざれば」中国や日本では、霊亀として崇敬されてきた。必ずしも日本のそれは中国渡来のものではなく、海洋民として平行進化した結果のように私には思われる。所謂、漂着神であり、産卵のために上陸するそれを見た古代人は、そこに豊饒のシンボルを見たであろうことは想像に難くない。従って、漁師たちは現在でも、ウミガメを殺さず、酒を飲ませて海へ帰す。これはアイヌの漁民でも同様である。「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(19:海龜)」の本文や私の注、また、浦島龍宮伝説よろしく、神の使者となる私の「諸國里人談卷之一 龍王祭」(「淡路國由良の湊の南西の海中に、周(めぐ)り、三里ばかりの小島あり。此所に平生(ひらもへ)といふ大石、海へさし出たる、方三間あまりの平なる石あり。每年六月三日、由良の八幡の社僧、來り、此石の上に供物を備へ、祭儀を修す。これを『龍王祭』といふ也。此時節に至つて、かの石の邊に、大小の龜、數萬、群り集りて、海上を塞ぐ。祭事、過ぬれば、殘らず、忽に去る。今に至て、例年、たがはず。」とあるのは、見てみたかったものではないか? 今も来るのかなぁ)も参照されたい。

『屋代が「画帖」』江戸後期の御家人で右筆であった国学者屋代弘賢(やしろひろかた 宝暦八(一七五八)年~天保一二(一八四一)年)の「不忍文庫」の画譜か。現物を見たことがないので何とも言えない。

『瑇瑁は唐(もろこし)より來たる。本邦に無し。長門に「簑亀(みのがめ)」、一名「鳥亀」と呼ぶ者あり。形、亀に似て、首、鴿(はと)のごとく、觜(くちばし)も鳥に似たり。甲、重疂(ちやうでふ)して簑のごとし。色、黄にして斑文(はんもん)あり。亦、瑇瑁の類なり』云〻。以上は先に述べた京都の本草家松岡恕庵の「怡顔齋介品」からの引用。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同原本の「下」巻の一括PDF版1011コマ目を参照されたい。前の無断孫引きがしっかり発覚する。なお、ここに出る「簑亀(みのがめ)」「綠毛龜(みのがめ)」をタイマイの旧異名に比定することは無効で、誤りである。所謂、浦島太郎が乗る緑色の藻を甲羅に靡かせたあれだが、通常、日本人が「みのがめ」と呼ぶものは、淡水産にカメに藻類が付着した個体を指し、ウミガメには用いない(ウミガメに海藻類が付着することはあるが、自然界ではあの昔話の絵にかいたような「みのがめ」には絶対にならない。僕らが見るのは、腐らない漁網を蓑のようにぞろ引いた哀れな彼らの姿ばかりである)なお、真正の「みのがめ」についての生物学的記載は、「東邦大学」公式サイト内の「生物科」内の、細胞構造額研究室の宮地和幸氏の書かれた「ミノガメの秘密 亀の甲羅で生きる藻類」がよい。

『「和名抄」に曰はく、『曹憲が曰はく、「瑇瑁は、亀のごとく、大海より出づ。大(おほいな)る者、籧篨(キヨチヨウ)[やぶちゃん注:ルビはママ。正しくは「キヨヂヨ」と思う。竹で編んだ目の粗い筵(むしろ)・茣蓙のこと。]のごとし。背の上に、鱗々(りんりん)、有り。大(おほいな)る者、扇のごとし。大(おほいな)る章(しるし)有り。將に噐(うつは)と作(な)さんとす。」と。則ち、其の鱗を煮れば、柔き皮のごとくにして、意(こころ)を任(まか)して、之れを用ふる。』これは後半の生物部と思って探すと見落としてしまう。「和名類聚鈔」の巻十二の「裝束部第二十一」の「腰帶具第百六十六」にあるのである。国立国会図書館デジタルコレクションの版本の当該部を視認して起こす。

   *

瑇瑁(タイマイ) 曹憲が曰はく、『瑇瑁【「代」「昧」二音。又、「毒」「冒」。今、案ずるに、以帶の具と爲す故に附け出だす。】龜のごとし。大海(たいかい)より出づ。大(だい)なる者、籧篨(キヨチヨ)のごとし。背の上に、鱗、有り、鱗の大(おほい)さ、扇(あふぎ)のごとし。文章(もんしやう)有り。將に器(うつは)に作(な)さんとす。則ち、其の鱗煮るに、柔かなる皮のごとくにして、意に任せて、之れを用ゆ。

   *

 さても。久々に注にリキが入った。]

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