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2022/02/28

萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 吹雪

 

 吹雪

       わが故郷前橋の町は赤城山の麓にあ
       り、その家並は低くして甚だ暗し。

 

ふもとぢに雪とけ、

ふもとぢに綠もえそむれど、

いただきの雪しろじろと、

ひねもすけふも光れるぞ、

ああいちめんに吹雪かけ、

吹雪しかけ、

ふるさとのまちまちほのぐらみ、

かの火見やぐらの遠見に、

はぜ賣るこゑもきれぎれ、

ここの道路のしろじろに、

うなひらのくらく呼ばへる家並に、

吹雪かけ、

吹雪しかけ、

日もはや吹きめぐり、

赤城をこえてふぶきしかけ。

             ―郷土景物詩―

 

[やぶちゃん注:大正五(一九一六)年五月発行の『時代』に発表された。「うなひ」はママ。

・「ふもとぢ」「麓地」であろう。所謂、赤城山麓の土地、その辺りの一般名詞の謂いと読む。

・「はぜ」不詳。作中の時制と以下の『「うな」ゐ「ら」』から、雛の節句の菓子ともした、餅米を煎って爆(は)ぜさせたあの菓子のことであろうかと推察はした。漢字では「粶」「爆米」「葩煎」等と書く。

・「うなゐ」は「髫」「髫髮(うなゐがみ)」で、元は昔、七、八歳の童児の髪を項(うなじ)の辺りで結んで垂らしたもの、或いは、女児の髪を襟首の辺りで切り下げておいた髪型を言った(語源は「項(うな)居(ゐ)」の意かとされる)。ここは広義のその髪形にしているような童児、単なる「幼い子ども」の意である。

 底本の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に載る以下の「赤城山の雪」という草稿一種がある。誤字・歴史的仮名遣の誤りは総てママ。

   *

 

  赤城山の雪

 

もと路も雪とけ

ふともに綠もえそむれど

いたゞきの雪しろじろと

けふも □□ひねもすけふも光るに

山□□あゝふゞきかけ

ふゞきしかけ

ふるさとの町うすらほのぐらやみに □にしも

かの火見やぐらの遠見に

道路にうなひは叫び

戶障子の ひゞきからから

ハゼうる聲も遠音にきれぎれにきこゆぎれ

ああうなひらよ

前橋連雀新堅町の道路 をいで

わがいにしえの少女子をわが古き家(や)の門邊をすぎて

とほき赤城 をこえ のふもとをこゑ

ああくらき古きのれんの辻々に

┃ああうなひらのよばへる這路をいでこゑ

┃とほき赤城の麓に

┃夕ざりともしびの灯を點じ

┃ほのぐらき夕餉の魚ははこばれぬ、

┃うなひらの雪とよばへる

┃ここの道路をこゑ

┃遠きふともをこゑさりて

┃われがちゝはゝの家にしも

┃ほのぐらき夕餉はき

 

   *

最後の「┃」と「↕」は私が附した。前の四行と後の四行が併置残存していることを示す。

・「前橋連雀」連雀町(れんじゃくちょう)は前橋市の旧町名。現在の本町二丁目(グーグル・マップ・データ。以下同じ)の一部。次で判る萩原朔太郎生家跡の南東直近である。

・「新堅町」不詳。竪町(たつまち)ならば、前橋市の旧町名で、現在の前橋市千代田町二丁目と三丁目の各一部に相当する。この中央部附近。拡大すると判るが、現在の「朔太郎通り」の千代田町二丁目の角が萩原朔太郎の生家跡である。

・「夕ざり」「ゆふざり」或いは「よざり」かも知れぬ。「夜去り」で古語の名詞。「夜」の意。「去り」は古語の「去る」で「来る」の意の名詞化したものである。私が中学・高校を過ごした富山県高岡市伏木では、「夜」のことを「よさり」と言う。]

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