萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 吹雪
吹雪
わが故郷前橋の町は赤城山の麓にあ
り、その家並は低くして甚だ暗し。
ふもとぢに雪とけ、
ふもとぢに綠もえそむれど、
いただきの雪しろじろと、
ひねもすけふも光れるぞ、
ああいちめんに吹雪かけ、
吹雪しかけ、
ふるさとのまちまちほのぐらみ、
かの火見やぐらの遠見に、
はぜ賣るこゑもきれぎれ、
ここの道路のしろじろに、
うなひらのくらく呼ばへる家並に、
吹雪かけ、
吹雪しかけ、
日もはや吹きめぐり、
赤城をこえてふぶきしかけ。
―郷土景物詩―
[やぶちゃん注:大正五(一九一六)年五月発行の『時代』に発表された。「うなひ」はママ。
・「ふもとぢ」「麓地」であろう。所謂、赤城山麓の土地、その辺りの一般名詞の謂いと読む。
・「はぜ」不詳。作中の時制と以下の『「うな」ゐ「ら」』から、雛の節句の菓子ともした、餅米を煎って爆(は)ぜさせたあの菓子のことであろうかと推察はした。漢字では「粶」「爆米」「葩煎」等と書く。
・「うなゐ」は「髫」「髫髮(うなゐがみ)」で、元は昔、七、八歳の童児の髪を項(うなじ)の辺りで結んで垂らしたもの、或いは、女児の髪を襟首の辺りで切り下げておいた髪型を言った(語源は「項 (うな)居(ゐ)」の意かとされる)。ここは広義のその髪形にしているような童児、単なる「幼い子ども」の意である。
底本の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に載る以下の「赤城山の雪」という草稿一種がある。誤字・歴史的仮名遣の誤りは総てママ。
*
赤城山の雪
ふともと路も雪とけ
ふとも路に綠もえそむれど
いたゞきの雪しろじろと
けふも □□ひねもすけふも光るに
山□□あゝふゞきかけ
ふゞきしかけ
ふるさとの町は々うすらほのぐらやみに □にしもみ
かの火見やぐらの遠見に
道路にうなひは叫び
戶障子の 昔 ひゞきからから
ハゼうる聲も遠音にきれぎれにきこゆぎれ
ああうなひらよ
前橋連雀新堅町の道路 に をいで
わがいにしえの少女子をわが古き家(や)の門邊をすぎて
とほき赤城 をこえ のふもとをこゑ
ああくらき古きのれんの辻々に
┃ああうなひらのよばへる這路をいでこゑ
┃とほき赤城の麓に
┃夕ざり灯ともしびの灯を點じ
┃ほのぐらき夕餉の魚ははこばれぬ、
↕
┃うなひらの雪とよばへる
┃ここの道路をこゑ
┃遠き赤ふともをこゑさりて
┃われがちゝはゝの家並にしも
┃ほのぐらき夕餉はき
*
最後の「┃」と「↕」は私が附した。前の四行と後の四行が併置残存していることを示す。
・「前橋連雀」連雀町(れんじゃくちょう)は前橋市の旧町名。現在の本町二丁目(グーグル・マップ・データ。以下同じ)の一部。次で判る萩原朔太郎生家跡の南東直近である。
・「新堅町」不詳。竪町(たつまち)ならば、前橋市の旧町名で、現在の前橋市千代田町二丁目と三丁目の各一部に相当する。この中央部附近。拡大すると判るが、現在の「朔太郎通り」の千代田町二丁目の角が萩原朔太郎の生家跡である。
・「夕ざり」「ゆふざり」或いは「よざり」かも知れぬ。「夜去り」で古語の名詞。「夜」の意。「去り」は古語の「去る」で「来る」の意の名詞化したものである。私が中学・高校を過ごした富山県高岡市伏木では、「夜」のことを「よさり」と言う。]
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