狗張子卷之四 霞谷の妖物
○霞谷(かすみだに)の妖物(ばけもの)
伏見開道(ふしみかいだう)、稻荷の北のかたに、小橋あり、世に「朽木橋(くちきばし)」と名づく。
橋のつめに、農人(のうにん)喜衞門といふもの、年比(としごろ)、住《すみ》わたりれり。
「藤(ふぢ)の森(もり)」に、知人、ありて、麻(あさ)の種(たね)を、もとめにいきけり。
とかくするほどに、日、すでに暮になりて、酒には醉(えひ)て、心おもしろく、
「うら道より、野(の)どほりに、家に歸る。」
とて、小歌、うたふて、ゆくゆくみれば、手燭(てしよく)に、蠟燭(らうそく)をたてゝ、立《たち》たり。
あやしみながら、ちかく、あゆみよりて見るに、法師、二人、あり。
身には、衣をも着ず、手には、數珠(じゆず)も、なし。
一人は、色靑き小袖を着(ちやく)し、今一人は、その比《ころ》、はやりし「龜(かめ)や嶋《じま》」の小袖を、はぎ高(だか)にきなし、喜衞門を見て、
「けしかる男かな。農人とみえて、鋤(すき)をかたげたりな。夜(よる)、此道をゆくもの、たやすくは、とほすまじ。こなたへ、こよ。」
とて、喜衞門がかひなをとりて、引《ひき》たてゝゆく。
法師のたけは、九尺[やぶちゃん注:二メートル七十三センチ弱。]ばかりにて、しかも、力のつよき。
聲をたつれども、出あふ人も、なし、引たてられて、山に入《いり》つゝ、奧ふかく、ゆきて、「霞の谷」にぞ、くだりける。
傍らなる洞穴(ほらあな)につきいれて、二人の法師、その口にさしむかひて、まもり居(ゐ)たるを、いかにもすべきやうも、なし。柴かる人も、みえず。
『立出《たちいで》ん。』
と、すれば、更につきいれて、うごかさず。
二夜三日、ものをもくはず、守り居(を)る法師のおそろしさに、洞(ほら)のうちにうづくまりて、
『いかにせん。』
と案ずる間に、法師も、つかれぬらん、坐(ざ)しながら、ねぶりけるを、すきまを見て、手にもちたる鋤(すき)を取《とり》なほし、洞より、かけ出で、左右に、二人ながら、なぎたふし、足にまかせて、はしり歸り、閨(ねや)の内にかけこみ、夜の物、引かづきて、臥(ふし)たり。
宿(やど)には、
「喜衞門の、行がたなく、うせたり。」
とて、あたりのともがら、あつまりて、尋ねに出べき用意せし所へ、はしり歸りしかば、
「いかにせし事ぞ。」
と、枕もとによりて、問ひけれども、いらへもせず。
とかくして、夜もあけしかば、やうやうにして、おきあがり、
「かうかう。」
と、かたるに、
「さては。『霞の谷』にて妖物(ばけもの)にあひけり。洞の有さまこそ、心もとなけれ。ゆきて見よ。」
とて、あたりのわかきともがら、十人ばかり、弓や、「ちぎり木《ぎ》」・「さび鑓(やり)」を手ごとにもちて、「霞の谷」に行《ゆき》てみるに、洞(ほら)の口(くち)、兩《りやう》わきに、長(たけ)一尺ばかりの蟇(ひきがへる)と、おなじほどの龜と、ふたつながら、うちたふれて、死してあり。
鋤(すき)にて、うたれたる痕(あと)あり。
此ものの妖(ばけ)たる事、うたがひなし。
其後(のち)、こと故《ゆゑ》も、なかりき。
[やぶちゃん注:挿絵はない。「妖物」二疋を描いて貰いたかったな。
「霞谷(かすみだに)」江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(三)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)に、『現京都府伏見区深草付近。藤の森』(ここには前の注で『現京都府伏見区深草鳥居崎町。「稲荷社ノ南ニ在リ 是レ早良親王ヲ祭ル所ナリ」(『雍州府志』三)。』とされる。地図ではここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ))『東側に位置する。「深草ニ在リ。凡ソ宝塔寺ノ後、山』、『緒(シヤ)赤』(セキ)『之地』、『惣テ霞ノ谷ト号ス。土人今霞ノ谷ト謂フ」(「雍州府志」九)。』とある。この附近(グーグル・マップ・データ航空写真。やたらに「谷」や「亀」のつく町名が多く、「深草桐ケ谷町」なんぞというのもある入り組んだ丘陵地帯である)であろう。
「伏見開道」伏見街道。京都市東部を南北に走る道路の呼び名。「五条通り」から南下し、伏見に通ずる。沿道に東福寺・伏見稲荷大社がある。全長約六キロメートル。
『稻荷の北のかたに、小橋あり、世に「朽木橋(くちきばし)」と名づく』調べて見たが、この名の橋は見当たらない。最後にシークエンスで喜衛門のことを心配した連中の住んでいる辺りを「宿(やど)」と読んでいる。とすれば、これは伏見稲荷に参詣する連中を泊める宿場があったと考えていいのではないか? とすれば、「今昔マップ」のこの辺り、則ち、喜衛門の家は現在の鴨川に架かる「陶化橋」辺りの橋詰めと想定していいのではあるまいか? ここは高瀬舟が運行される水運の要衝でもあった。
「麻(あさ)の種(たね)」江本氏の注に、『クワ科の一年草。高さ一~三メートル。実は「おのみ」と呼ばれ、灰色の卵円形。「一枝七葉或ハ九葉、五・六月細黄ノ花ヲ開キ、穂ヲ成スニ随ヒ即チ実ヲ結ブ。大ナルハ故荽子(こずゐし)ノ如ク、油ヲ取ルベシ。其皮ヲ剥ギテ麻ニモ作ル。」(『本草綱目』二二)。』とある。なお、嘗ては、バラ目 Rosalesクワ科 Moraceaeとされていたが、現在はDNAの類似性から、バラ目アサ科 Cannabaceaeアサ属アサ Cannabis sativa に分類し直されている。
「野(の)どほり」江本氏の注に、『野通り。野原を通る小道のことで、裏道より狭い』とある。
「龜(かめ)や嶋《じま》」「龜綾縞」「龜屋縞」で、前者の「かめあやじま」の変化した語。菱形の亀甲模様を、きめ細かく織り出した綾織の白羽二重(しろはぶたえ)、或いは、種々の色糸を入れて、女柄に織ったものを指す。一説に、当時、「亀屋」などという織元か、呉服屋から新たに売り出された格子縞などの縞柄の名称とも言う。「かめやおり」「かめや」
「はぎ高(だか)」「脛高」。衣服の丈が短く、脛(すね)の上まで現れていることを言う。
「けしかる」「怪しかる」(形容詞「怪(け)し」の連体形。「えたいの知れない・異様な」の意。こいつらに言われなくないよ!
「ちぎり木《ぎ》」」「千切り木」「乳切り木」で、両端を太く、中央をやや細く削った棒。物を担うほかに、護身用にも用いた。
「さび鑓(やり)」錆びた鎗(やり)。
「蟇(ひきがへる)」本邦には、
両生綱無尾目アマガエル上科ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル亜種ニホンヒキガエル Bufo japonicus japonicus (本邦の鈴鹿山脈以西の近畿地方南部から山陽地方・四国・九州・屋久島に自然分布する。体長は七~十七・六センチメートル。鼓膜は小型で、眼と鼓膜間の距離は鼓膜の直径とほぼ同じ)
同亜種アズマヒキガエル Bufo japonicus ormosus (本邦の東北地方から近畿地方・島根県東部までの山陰地方北部に自然分布する。体長六~十八センチメートル。鼓膜は大型で、眼と鼓膜間の距離よりも鼓膜の直径の方が大きい)
及び、
ヒキガエル属ナガレヒキガエル Bufo torrenticola (日本固有種で、北陸地方から紀伊半島にかけて自然分布し、体長は♂で七~十二・一センチメートル、♀で八・八~十六・八センチメートル)
が棲息するが、ロケーションからは後者二種の孰れかとなろう。怪奇談を含む博物誌は、私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」及び「大和本草卷十四 陸蟲 蟾蜍(ひきがへる) (ヒキガエル)」を参照されたい。]
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