毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 目出タカニ / ヤマトオサガニ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。実際には、以下の画像の上部には、先のベンケイガニの解説の一部があるのだが、五月蠅いので、今まで同様、文字のない本丁の一部分を切り取り、それをそこに貼りつけて、意図的に消してある。更に、本図は、底本を見て戴くと判る通り、全体に右に寄っているため、バランスが悪いので、左に動かし、多数のマスキングを行った。]
目出たがに【「目くらがに」。】
◦何(いづ)れの産や、知らず。乾-干(ほ)たる者、某氏藏す。之れを乞ひて写す。海がにに似て、長く、扁(ひらた)し。「生ける時、手にて押さゆれば、目の莖、前の甲のもとゑ、ぴつたりとふう付くる。」と云ふ。
[やぶちゃん注:これは、
短尾下目スナガニ上科スナガニ科オサガニ属ヤマトオサガニ亜属ヤマトオサガニ Macrophthalmus japonicus
と思われる。「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、『内湾の軟泥地に斜めの穴を掘ってすむ』蟹で、甲幅は約四センチメートル。『甲は横長の四角形』を成し、『甲長と甲幅の比はほぼ』二対三である。『眼窩外歯』(左右眼窩の外側の棘部)『のすぐ後方に深い切り込み』が、『葉状の前側縁第』一『歯の後方に浅い切り込みがある。オサガニ』属の『特徴として眼柄は著しく細長いが』、『眼窩外歯をこえない』♂の『鋏脚は長大で』、『平滑無毛』。♂はこの『両方の鋏脚を曲げたまま』、♀に『向かって高く振り上げて求愛する』(ウェイビング:waving)。『本州北部から九州までの各地に多産し』、『朝鮮半島』・『中国北部』。『台湾にも分布する』。なお、『鋏脚を体の前で輪を描くように振る』♂が『本州各地で発見され』、『形態はヤマトオサガニと酷似する』ものの、『生殖隔離が起こっていること』判明し、『別種としてヒメヤマトオサガニ Macrophthalmus banzai と命名された』とある。また、所持する平成七(一九九五)年保育社刊「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」(西村三郎編著)では、甲長は二・九センチメートルまでとし、『眼窩外歯はあまり尖らず』、『後方は大きな切れ込みによって第』二『歯の後方にさらに小さな切れ込みがあ』り、『前側縁』(前方の肝域と後ろの後側縁の前の部分)『の第』二『歯の位置で』、『甲は最大幅となる』。『鉗脚の可動指』(前方)『・不動指』(後方)の『それぞれの基部近くには幅広い』一『歯がある』。♂は♀よりも『鉗脚が著しく大きく発達し』、『歩脚よりも長大である』。『青森県以南種子島までの各地の泥干潟に生息する』。『性行動には』、『地上交尾と』、♂が♀を『自分の巣穴へ誘い込む』二『つの様式がある』とあり、先に掲げた近縁種とされるヒメヤマトオサガニついては、『和歌山県以南西表島まで』を分布とするので、本図の個体はヒメヤマトオサガニである可能性はかなり低いと判断出来る(西日本の藩の関係者から話を聴き、標本を見せられた可能性はないとは言わないが、梅園の接触者を想像してみるに、それはかなり低いように私は感じている。但し、この図、前回、既に述べ、また、後述する通り、梅園は実物を見ていない可能性も、実は、あるから、断言は出来ない)。両種の♂のウェイビングの違いについては、『ヤマトオサガニでは鉗脚は曲げたまま上下されるのに対して』、ヒメヤマトオサガニでは、『鉗脚が弧を描くように広げられることで明瞭に区別される』とある。その違いは、YouTubeで、ヤマトオサガニのそれが、Takeo Oshima氏の「ヤマトオサガニの求愛行動(ウェービング) ~しかし受け入れてもらえない~」(習志野市谷津干潟にて撮影)で、ヒメヤマトオサガニのそれは、MankoMizudori氏の「ハサミをぐるぐる回すヒメヤマトオサガニ Macrophthalmus banzai」(学名が斜体でないのはママ。沖縄の「漫湖(まんこ)水鳥・湿地センター」の撮影らしい)で動画として見られ、確かに一目瞭然である。
さて、本図であるが、残念なことに、少なくとも、この本図は、本書に先行する栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」の「卷十」(文化八(一八一一)年の成立とされるが、書き継いでいるようだ(後注のクレジット参照)。リンク先は私の古い「卷十」全部の電子化物。古いので、漢字を表記し切れていないのは、お許しあれ)の、「蘆虎」とこの「目出タカニ(目クラカニ)」と言う順列が全く同じ図があるのである。私がそこで底本とした
国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像(写本であって丹洲の自筆ではない)
をリンクさせるので、
と、見比べて貰いたいのだが、このベンケイガニとヤマトオサガニの二種が同じ配置で登場するという全くの偶然の可能性というのは、私は思うに、甚だ確率が低いと感ずるのであり、ベンケイガニの絵は確かに梅園が実物を見て写生したことは疑いようがないのだが、このヤマトオサガニの図は丹洲のそれに余りにも酷似しているのが気になるのである。梅園には非常に悪いが、彼は丹洲の絵をもとにしつつ、転写したことを判らないようにするために、色や細部をわざと不全に描いた可能性も否定出来ないからである。何故なら、特に梅園の本図の眼柄に細かな節がある点で、これは実際とは全く異なるからである。ベンケイガニが博物画として超弩級に優れているのに……まことに残念ことではある……
「目くらがに」この差別和名は驚くべきことに、まだ生きている。短尾下目Pilumnoidea 上科Pilumnidae科メクラガニ亜科メクラガニ属メクラガニ Typhlocarcinus villosus である。サイト「日本十脚目写真館」のこちらや、個人サイト「淡路島の生き物たち3」の上から四つ目に画像がある。梅園の絵の個体とは似ても似つかぬものである。この異名は、思うに、彼らの♂の摂食行動や求愛のウェイビングの様子が、杖をついた座頭を連想させたためであろう。
「何(いづ)れの産や、知らず。乾-干(ほ)たる者、某氏藏す」所蔵者が何所で手に入れたかを知らないというのもおかしい。
「海がに」広義の海産蟹の謂いであろう。
に似て、長く、扁(ひらた)し。「生ける時、手にて押さゆれば、目の莖、前の甲のもとゑ、ぴつたりとふう付くる。」と云ふ。因みに、丹洲のキャプションは(本篇と同じくひらがなに直し、記号も添えた)、
*
「めくらがに」の図取。「目出たがに」とも、いふ。
甲戌(きのえいぬ)三月十六日、活物(いきもの)を得て、寫す。
*
「甲戌」は文化十一年(先に「書き継ぎ」と言ったのはこれに拠る)で、グレゴリオ暦五月五日。]
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