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2022/02/02

萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 曆の亡魂

 

   曆 の 亡 魂

 

薄暮のさびしい部屋の中で

わたしのあうむ時計はこわれてしまつた。

感情のねぢは錆びて ぜんまいもぐだらくに解けてしまつた。

こんな古ぼけた曆をみて

どうして宿命のめぐりあふ曆數をかぞへよう。

いつといふこともない

ぼろぼろになつた憂鬱の鞄をさげて

明朝(あした)は港の方へでも出かけて行かう。

さうして海岸のけむつた柳のかげで

首(くび)なし船のちらほらと往き通(か)ふ帆でもながめてゐよう

あるひは波止場の垣にもたれて

乞食共のする砂利場の賭博(ばくち)でもながめてゐよう。

どこへ行かうといふ國の船もなく

これといふ仕事や職業もありはしない。

まづしい黑毛の猫のやうに

よぼよぼとしてよろめきながら步いてゐる。

さうして芥燒場(ごみやきば)の泥土(でいど)にぬりこめられた

このひとのやうなものは

忘れた曆の亡魂だらうよ。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。「こわれてしまつた」「あるひは」はママ。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 曆の亡魂』、及び、「暦の亡魂 (初出形)」(前者の注にもリンク済み)を参照されたい。

「ぐだらく」「愚堕落」。ここは対象物がその本来あるべき正しい姿や価値を失うことを指す「堕落」の強調形だが、「ぐだぐだ」に伸び絡まってしまった発条(ゼンマイ)のオノマトペイアも利かせてあると言える。

「首(くび)なし船」物理的には洋船で舳先にフィギュアヘッド(figurehead:船首像(せんしゅぞう))を持たない現代の船舶の意とは採れる。小学館「日本大百科全書」の「船首像」によれば、『船の飾りの一つで、西洋型船において船首の船体部先端に飾り付けた彫刻像。もともとこれには二つの意味があって、船に取り付けられるようになったと考えられている。その一つは宗教的な意味で、海の神に対して船の安全を願うため、海神を喜ばすような像を船に積んでおかなければならないと考えられていたことである。もう一つは、船が安全な航路を進むためには、船自体に目が必要であると考えられていたことである。この点から、世界各地で形こそいろいろと変化はあるものの、なんらかの絵または像を船首に描き、または取り付ける習慣ができていた。東洋では水押(みおし)に大きな目が描かれ、古代エジプトなどでは船首の上部に鳥の像などを取り付けていたのも同じ趣旨であったとみられる。そのほか』、『ライオンなどの動物の頭像を、古代ギリシアやローマ、あるいはフェニキアなどでも船首に取り付ける風習があった。また、船首にそのような模様を織り込んだタペストリーを垂れて飾ったりしたが、これらすべてが船首像の元といえる』。十六『世紀の初めころからは、船首のバウスプリット』(bowsprit)『(槍(やり)出し)の根元の下部に、ほぼ船名に関係ある像を取り付ける習慣がフランスあたりから固定されるようになり、この習慣は西洋に広く行き渡った。それはさらに入念になり、名のある彫刻家によって、美人像や英雄像などが彫刻されて船首像として取り付けられるようになった。たとえば、現在も保存されている』一八六九『年建造のクリッパー(快速帆船)、カティー・サークCutty Sark』(排水二千百三十三トン)『は、船名に関係ある「魔女」の船首像』(Cutty Sarkは、古いスコットランド語で「短いシュミーズ」(フランス語:chemise/英語:slip)を意味し、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns)作の詩「タモシャンター」(Tam o' Shanter )から採られたものである。農夫のタムが馬にのって家路を急いでいると、悪魔や魔法使いが集会をしているところに出くわした。そこでタムは、カティ・サークを身に纏った若い魔女ナニー・ディー(Nannie Dee)に魅了され、思わず手を出そうとした。その途端、にわかに空が暗くなり、魔女たちがタムを捕まえようとした。タムは馬に跨り、命からがら逃げ出した。ナニーは馬の尾を摑んだものの、尾が抜けてしまったため、タムは逃げのびることができた。後に「カティ・サーク」はこの妖精ナニー・ディーのニックネームとなった。邦文ウィキの「カティーサークに載る実際の同船の彼女の船首像の画像(英語版の横向きはこちら)リンクさせておく)『を取り付けて』おり、これが話題となり、『少なくとも帆船の場合は』、殆んど『全部が船首像をもつようになった。これらの像は木の彫刻品であって』、派手な『色彩が施されていた。船首像として知られている』。造形対象は『神話的動物像』・『美女像』・『英雄像』『などが有名である。船首像は、帆船においては』、『現在もこれを取り付ける習慣が続いているが、歴史的には蒸気船の出現とともに消滅の傾向を示し』、現在では『数少なくなった』とある。また、西洋ファンタジー用語ナナメ読み辞典 Tiny Tales」の「船首像とは」には、『Figurehead(英)/Figure de Proue(仏)/Polena(伊)/Galionsfigur(独)』とあり、『船の先端に取り付けられた木像』。『いつどこで始まった風習かは不明ですが、古代ギリシアやエジプトなど、古くからヨーロッパを中心とした広い範囲で用いられていたことが確認されています』。『その目的は文字のなかった時代においての船のネームプレート代わりと、船主の力の大きさを誇示するためとされています』。『当時』、『船首像のモチーフとされていたのは主に』、『その土地土地で速さや力強さの象徴とされていた動物で、それ以外では神話の神々を彫ったものが使用されていました』。『一般にイメージされる女性像が多用されるようになったのは、カリブ海に海賊が出没するようになって以降』(一六三〇年頃以降)で、『海賊らはその性質上』、『岩礁の多い場所を航行する必要があり、そこに住まい』、『船を沈没させると恐れられ』た『セイレーンの誘惑を打破するべく、その影響を受けない女性を像の形で船に乗せたとされています』。『よく「船は女性だから女性像を取り付ける」などとも言われますが、例えば先述の神話の神々などでは』、『男性神の像の方が多いですし、そもそも船を女性形(女性名詞、She、彼女など)で呼んでいるのは英語とその影響を受けた日本ぐらいで、一般に欧米諸国では女性と限られてはいません』。『このように女性像は難破回避のお守りとしての役割を有しており、古代の動物についても』、『生贄の意味合いがあったのでは』、『という考えがあります』。『それらにより』、『航海の安全を祈願するものとの認識が強いこの船首像ですが、実際は重量増加やバランス悪化を招くとして船の安全を脅かすものでした』。『使用する材質を選んだり』、『法整備が整えられるなどで伝統の保存が試みられましたが、第一次世界大戦』(一九一四年~一九一八年)で、『艦船の効率化が図られたのを境に』、『急速に衰退していきました』。『しかしその代わりに懐サイズのマスコットが、失われた船首像の代わりのお守りとして今も用いられています』とあった。さて、朔太郎のこの「首(くび)なし船」は、まずは船首像を持たない味気ない殺風景な現代の船舶を描出することで、現代という「忘れた曆の亡魂」のような自分自身が忌避すべき〈現代の時間〉の象徴と考えて、まずは、よいであろう。しかし、同時に「首(くび)なし船」という言葉の与える怪奇な、慄然とする幽霊船のような感覚的雰囲気の醸成をも、確信犯で添えている点も見逃してはなるまいとは思う。

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