毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 コブシガニ / ベンケイガニ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。実際には、以下の画像の右下部には、別種の解説があるのだが、五月蠅いので、今まで同様、文字のない本丁の一部分を切り取り、それをそこに貼りつけて、意図的に消してある。更に、本丁見開きの図群は、描いたものを貼った際にズレが生じて、全体に右に傾斜しているため、回転補正も行った。そのため、多数のマスキングが必要となり、その箇所が見え見えなのは、お許しあれ。]
「兼名苑」に云はく、
『彭螖(ハウコツ)』(あしはらがに)[やぶちゃん注:「彭螖」の右ルビ。]。「葦原蟹」。
「正字通」に云はく、『螯の赤き者、食ふべからず。』と。
『蘆虎(ロコ)』。「あしはらがに」。
「臺灣府志」、
『汝馬蟹(ヂヨマケイ)』。「猩〻(しやうじやう)がに」。
「べんけいがに」。
其の身、皆、赤色。川邉(かはべ)、石カケの中に住む「かに」なり。此の「かに」、人を畏(おそ)る。生薑(しやうが)の莖を以つて石カケの間に入れ置けば、「かに」、好みて、螯み食ふ故(ゆゑ)、引き出だし見れば、放たず、よく釣れる者なり。両国、御舟の川邉、石カケの間に多し。亥八月十六日、舟にて游び、漸(ようや)く捕り來りて、写す。
[やぶちゃん注:これは、彩色と背部の忠実な模写から、
短尾下目イワガニ上科ベンケイガニ科クロベンケイガニ属ベンケイガニ Sesarmops intermedius
に安心して比定出来る。如何に梅園の甲部の細部の写生が正確かは、当該ウィキにある国立科学博物館の乾燥標本と比較すれば、一目瞭然! しかも拡大して見れば、鉗脚の掌部(鋏)外側に顆粒状の小さな突起が描かれてあるところまで(近縁のベンケイガニ科アカテガニ属アカテガニ Chiromantes haematocheir は甲羅が赤くなく、灰褐色であり(背甲中央に内臓由来の微笑んでいるような赤い線はある)、同じ鉗脚の掌部は顆粒がなく、スベスベである。同じく当該ウィキのその比較写真を見よ))、もう、文句ナシやて!!! 小学館「日本大百科全書」の武田正倫先生の記載を引いておく。『河口域から陸上へと生息域を広げているカニ類の代表種。アカテガニと混同されることが多いが、本種は一様に橙赤(とうせき)色で、甲の側縁の前方部に深い切れ込みが一つある。甲幅』三・五『センチメートルに達し、輪郭はわずかに幅広い四角形。額(がく)の中央部はくぼみ、左右の目を結ぶ線上に四つの稜(りょう)がある。胃域と心域を分ける溝ははっきりしている。東京湾から九州、朝鮮半島、中国沿岸を経て東南アジアからインドまで分布する。海岸に近い湿地にすみ、ほとんど海水につかることはないが、幼生の放出の際には海水に浸り、幼生は約』一『か月間』、『海でプランクトン生活をして育つ』。当該ウィキも、どうぞ。ただ、せっかく諸手を挙げて褒めたのに、ちょっと残念なのは、後に示すところの、本書に先行する栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」の「卷十」を梅園は利用している(リンク先は私の古い「卷十」全部の電子化物。古いので、漢字を表記し切れていないのは、お許しあれ)のだが、実はそこに、「蘆虎」と次の「目出タカニ(目クラカニ)」と言う順列が全く同じ図があることである。私がそこで底本とした国立国会図書館デジタルコレクションの当該画像をリンクさせるので、こちらの底本である国立国会図書館デジタルコレクションのここと見比べて貰いたい。この二種が同じ配置で登場するという全くの偶然の可能性というのは――多分――甚だ確率が低い感じがするのである。次に電子化する後者では丹洲の記していない記載もあるのではあるが……う~ん……ここにきて……ちょっと拍手がゆっくらなってきた感じがしてきたのだ……残念…………
「兼名苑」唐の釈遠年撰とされる字書体語彙集だが、散佚して現存しない。ここは実は源順の「和名類聚鈔」の巻十九の「鱗介部第三十」の「龜貝類第二百三十八」の以下の受け売りである。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の板本のここを見られたい。
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彭螖(アシハラカニ) 「兼名苑」に云はく【「彭」「越」二音。「楊氏漢語抄」に云はく、『葦原蟹。』と。】、『形、蟹に似て、小なり。』と。
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但し、本図に多出する「アシハラガニ」は無効で、本和名は短尾下目イワガニ上科モクズガニ科キクログラプスス亜科Cyclograpsinaeアシハラガニ属アシハラガニ Helice triden に与えられてしまっている。アシハラガニは生体の体色がほぼ全身、青緑色だが、鋏脚は淡黄色、甲も淡黄色の縁取りを持ち、この図のような赤色を呈さない。 ウィキの「アシハラガニ」を見られたい。
「正字通」明の張自烈撰になる字書。全十二巻。清の廖(りょう)文英が原稿を見つけて、まんまと自著として刊行した。一六八〇年の序がある。梅膺祚(ばいようそ)の「字彙」の体例に倣って、三万三千余字を収める。巻ごとに十二支を当て嵌め、上・中・下の三支巻に分けてある。「説文解字」以下百三十八種の書を引用している。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、影印本の当該部「螫赤不可食曰蘆虎」(くれぐれも右の機械電子化を見てはダメ。「曰」を「日」に誤っている)視認出来る。
「臺灣府志」清の一六八五年から一七六四年までの台湾の歴史の公式地方記録。全部で七版あり、実際に刊行されたものは六版である。なお、以上の標題柱の幾つかは、先に示した栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」の「卷十」を利用している。
「石カケ」大きな石を粉砕して欠片(かけら)にし、それ人口的に組んだ堰堤の石組みのことであろう。「石陰」「石影」ともとれなくはないが、以下の捕獲法のショウガの茎を、『以つて石カケの間に入れ置けば、「かに」、好みて、螯み食ふ故(ゆゑ)、引き出だし見れば、放たず、よく釣れる者なり。』という部分は「石陰」ではおかしいので、やはり「石欠け」で読みたい。
「両国、御舟の川邉」これは両国にあった幕府の「御船蔵(みふなくら)」の辺りということであろう。それは現在のここにあり、現在の国道七号の下を流れている隅田川から分岐した人工河川である竪川(たてかわ)に遊んだものであろう。
「亥八月十六日」天保十年己亥(つちのとゐ)。グレゴリオ暦一八三九年九月二十三日。]
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