毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 津蟹(ツガニ) / モクズガニ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。なお、実際には、以下の画像の右端下部には、前の「石蟹」の左歩脚があるのだが、五月蠅いので、今回は文字のない本丁の一部分を切り取り、それをそこに貼りつけて、意図的に消してある。]
「大和本草」に出づ。
津蟹(つがに)
「本草綱目」巻第四十五、
蟹【「かに」・「がに」・「稲かに」・「づがに」・「もくだかに」。】
「寧波府志」に曰はく、
螃蟹【「毛蟹」と呼ぶ。】
「事言要玄」に曰はく、
稲蟹【俗、呼んで、「螃蟹」◦「頭蟹(づかに)」。】
「本草綱目」に曰はく、
※【「かに」。】 郭索(クワクサク)【方言。】
[やぶちゃん注:「※」は「虫」を下にし、上に「觧」を載せた字体。「𧒻」に同じ。「蟹」の異体字。]
螃★(ハウカイ)【「※譜(けいふ)」。】
[やぶちゃん注:「★」=(へん)「魚」+(つくり)「鮮」。]
横行介士(ワウキヤウカイシ)【同。】
無腸公子(むちやうこうし)【「抱朴子」。】
雄を「蛝螘(ゴンカイ)」と曰(い)ひ、雌を「博帶(ハクタイ)」と曰ふ。
蟹は惣名(そうめい)なり。種類、只、「蟹」云ふ。「蟹」は八足の虫なり。
[やぶちゃん注:「蛝」は他に「カン・ゲン・ギン」がある。]
或る人、曰はく、『「谷蟹」と云ふは、然らず。「谷蟹」は山谷(さんこく)の石の間に生ず。其の色、赤し。』と。「本草」に曰はく、『石蟹は、則ち、「谷蟹」なり。此の者と、異なり。』と。
天六乙未(きのとひつじ)年、武陽王子山の川にて捕る。仲呂(ちゆうろ)初七(しよしち)、眞寫す。
[やぶちゃん注:やや図の鉗脚の毛の生え具合が不満だが、これはもう、異名どもからも、迷わずに、
短尾下目イワガニ科モクズガニ属モクズガニ Eriocheir japonica
である。梅園が参考にした「大和本草卷之十四 水蟲 介類 津蟹(モクズガニ)」及び私の注を参照されたい。
「津蟹」これで判る通り、元は「ツガニ」であり、それが「ヅガニ」となったもので、「ズガニ」は誤り(訛り)となる。「津」は基本的に広義の河川・海浜の船着き場・渡し場であり、本種が、非常に古くから人目に触れ、広く食用とされてきた経緯と軌を一にはする。しかし、誰も言っていないようだが、「津」には別に「集まる」の意があり、当該ウィキによれば、モクズガニは、『特定のなわばりを持つこともない』模様で、『移動性が高く、水中の岩の下に複数の個体が同居することも普通である。水流に対しては正の走性があるようで、淵に比べ瀬を好む傾向がある。しかし』、『完全に瀬にのみ分布が集中するわけではなく、瀬頭から淵尻にかけての周辺に高密度の分布がみられる場合もある。堰がある場合も同様で、堰の直上の堪水域と直下の急流域にかけて分布が集中する場合がある』とある通り、多く集まる習性を古人が観察から見知っていたことからも、「津蟹」と呼んでいた可能性が私はあるように感じている。
『「本草綱目」巻第四十五』「漢籍リポジトリ」のこちらの、終わりから二項前の[106-21b]を参照(標題「蟹【「本經」中品。】」は前のページだが、それだけしかない)。その「欽定四庫全書」版で僅か八ページである。その中で、基本、総ての蟹類を概説しているのである。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文九(一六六九)年板行された訓点附きの本文が読むにはいいが、そこでもたった七ページ半である。しかも、李時珍は現在の湖北省黄岡市蘄春(きしゅん)県蘄州鎮の出身で、明の宮廷に招かれたものの、一年で戻っており、殆んど内陸から離れていない。従って、同書の海産生物のパートは先行する本草書にある情報や伝聞をもとにしたもので、実際の生体個体をまず殆んど確認していないため、誤りが甚だ多い。従って、この「蟹」の解説も、相当に疑ってかからねばならぬ。そもそも、モクズガニは中国の中央東部沿岸には、棲息していない。ウィキの「モクズガニ」によれば、『小笠原諸島を除く日本全国、樺太、ロシア沿海州、朝鮮半島東岸、済州島、台湾、香港周辺まで分布する』。『分布域は』同属異種である『チュウゴクモクズガニ』(所謂、「上海蟹」で、モクズガニ属チュウゴクモクズガニ Eriocheir sinensis )『の分布域である中国大陸東岸部から東北部、朝鮮半島西岸を取り囲むように、亜熱帯から亜寒帯までの広範囲にわたっている』とあり、ウィキの「チュウゴクモクズガニ」を見るに、そちらも中央東部沿岸・河口域までで、例えば上海や蘇州と言った同種の名産地を遙かに遡って純淡水の長江中流までやってくることは考え難く、時珍が、生きた自然状態のチュウゴクモクズガニを親しく実見し得た可能性は、限りなく低いと思われる(モクズガニ類は、親が海域へ移動し、海域で繁殖を行うウナギと同じ「降河回遊」型のライフ・サイクルで、淡水域で繁殖を行い、生活史を全うする「陸封化」個体群は報告されたことはない、とウィキの「モクズガニ」の「生活史」にはあるから、チュウゴクモクズガニも同じであろう)。だいたいからして、「本草綱目」の「介之一」は「龜鱉類一十七種 附二種」(「全十七種で附けたりの二種を含む項立て」の意)で、硬い甲羅を持つから。カメの仲間扱いという為体(てうたらく)で(「本草綱目」をバイブルのように崇めてしまった本邦の本草学でも、この分類法が採用されてしまう)、その附録扱いの一つが、まさに「蟹」なのだ。もう一つは、何かって? 「鱟魚」(コウギヨ)さ! クモ類に近い鋏角亜門節口綱カブトガニ目カブトガニ科カブトガニ亜科カブトガニ属 Tachypleus のカブトガニ類さ!
「稲かに」漢籍由来。この異名は後の「事言要玄」の原本画像を参照されたい。私の推理が頭に当たった。
「もくだかに」国立国会図書館デジタルコレクションの別人による写本を見ても、「ダ」である。ただ、梅園は、時に文字の突き通さない箇所を、突き通してしまう癖があり、これは実は「ズ」である可能性も否定は出来ない。であれば、「藻屑蟹」(但し、歴史的仮名遣は「もくづがに」)であろう。
「寧波府志」明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原本画像。PDFで当該巻を含む三巻分一冊の「卷之十二 物產」の「鱗之屬」の冒頭から二番目の58コマ目の右丁三行目に「螃※」(「※」={(下)「虫」+(上)「觧」}=「𧒻」=「蟹」)がある。
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螃※【俗呼毛蟹。两敖多毛、生湖泊淡水中。怒目橫行。故曰螃※。秋後方盛有溪。※小而性寒搗砕愈溼瘡。】
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「溼」は、それらしい漢字を当てただけであるが、「溼」は「濕」(湿)の異体字であるから、意味は通る。
「事言要玄」明の陳懋學(ちんぼうがく:一六一二年に挙人となる)撰の類書(百科事典)。諸書から抜粋し、内容を天集三巻・地八巻・人集十四巻・事集四巻・物集三巻の五部に類纂したもの。万暦四六(一六四八)年序の刊本を山形県「市立米沢図書館」公式サイト内の「デジタルライブラリー」のこちらで視認出来る。本引用は最後の「鱗介」にある。ここの下の右のウィンドウから「33冊目」を選び、ページ・ナンバーのウィンドウに「32」を入れると当該ページに行ける。左の終りから3行目以降で、次の「33」を開くと、その右丁最終行に、「稲蟹」が出、左丁二行目末に、「濺水中八九月稻熟必大出、各持一穗、以朝其魁、然後任其處之、晝夜沸奔自江轉海、或曰持稻以輸海神、漁者☆蕭承其流而障之」(「☆」=「糸」+「常」)とあって、私が思ったように、秋から冬にかけてモクズガニ類は繁殖のために川を下るから、それが稲の実りの時期と合うからであった。しかし、ここにはさらに変わった現象が記されてある。それぞれのカニが稲穂一本を持っており、或いは「彼らが海神に稲を以って供えてそれを贈る」というのである。たまげた!
「螃」(音「ホウ」)は蟹の別名。
「郭索(クワクサク)」現代中国語では「グゥオスゥオ」。これは「蟹がのかさかさと動くさま」の意なのだが、これ、実際の、その「ガサゴソ」するオノマトペイアではあるまいか?
『螃★(ハウカイ)【「※譜(けいふ)」。】』(「★」=(へん)「魚」+(つくり)「鮮」。「※」={(下)「虫」+(上)「觧」}=「𧒻」=「蟹」)「蟹譜」は北宋の傅肱(ふこう)の著した蟹の博物書。「中國哲學書電子化計劃」のここで「螃蟹」が上巻の五ヶ所に出ることが判った。影印本マークで原本をそれぞれ見られたい。
「横行介士【同。】」は「蟹譜」下の以下(同じく「中國哲學書電子化計劃」の影印本を視認)。
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兵權
出師下砦之際、忽見蟹則當呼爲橫行介士、權以安衆。
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「無腸公子【「抱朴子」。】」「内篇」の「仙藥」に「服之令人通神長生、餌之法、或以大無腸公子、或云大蟹、十枚投其中、或以云母水、或以玉水合服之、九蟲悉下、惡血從鼻去、一年六甲行廚至也。」とあり、「登涉」にも、『稱無腸公子者、蟹也。』とある。「蟹譜」のここにも出る。
『雄を「蛝螘(ゴンカイ)」と曰(い)ひ、雌を「博帶(ハクタイ)」と曰ふ』まあ、確かにそう書いてはあるが、名指す意味は判らんね。だいたい総てのカニの雌雄をかく呼ぶこと自体が無理があるぜ。ただカニの♀の多くは、抱卵のために、所謂、「ふんどし」が広いので、何となく判る感じはするが、♂は判らんな(「蛝」はムカデかヤスデで、「螘」はアリ(蟻)の意らしいぜ)。
「惣名」「總名」に同じ。
「谷蟹」前回にも出したが、再掲すると、短尾下目サワガニ上科サワガニ科サワガニ属サワガニ Geothelphusa dehaani である。「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蟹(カニ類総論)」を参照されたい。
「天六乙未(きのとひつじ)年」「仲呂初七」天保六年四月七日。グレゴリオ暦一八三五年五月五日。
「武陽王子山の川」現在の東京都北区王子にある飛鳥山の北を流れる石神井川(グーグル・マップ・データ)であろう。現在の隅田川・荒川の下流上部に接続する川だが、当時は河口がもっと近かったし、環境も自然が保たれていたからして、モクズガニは十分に遡上してくるので、問題ない。]
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